平成23年3月5日~16日 (11泊12日) 参加者 44都道府県から 363名が参加して行われました 「遺児による洋上慰霊」 の「想い出の会」も平成27年は第4回を迎えました。
お仲間の皆様の中には洋上慰霊中に配偶者・親族が犠牲に遭われたお方もお出でになりますことに今年度は「想い出の会」を仙台市にて開催して被災地閖上(ゆりあげ)地区の慰霊と視察の旅に
参加を致しました。
日 程 第一日目 4月27日(月) 気温 日中は28度とも報道されました。
13:15 仙台国際ホテル 1Fロビー集合
13:40 ホテル出発
14:00 宮城県護国神社参拝(青葉城本丸跡)
15:50 東日本大震災被災地 慰霊・視察
17:00 ホテル到着
18:30 懇親会開始
先ず宮城県護国神社へ
宮城県護国神社参拝 「第4回 洋上慰霊想い出の会」 参加者 51名 参拝記念御朱印
東日本大震災被災地 閖上(ゆりあげ)地区 慰霊・視察へ
(HPより)宮城県名取市のサイトで閖上地域の人口を見ると、大震災前の2月末時点で5612人だった。
しかし大津波で壊滅した閖上は、かつて活気に満ちた漁港を中心にほとんど更地と化してしまった。
名取市の犠牲者数は1027人(不明者は119人:6月10日現在)にも上っており、そのほとんどが閖上地区に集中している。
9月末の人口は2410人となり、犠牲者だけでなく多くの住民が閖上から姿を消したことを物語っている。
多くの人が犠牲になった主因は他地域と同様に、まさかここまで津波は来ないとの思い込みによる避難の遅れであるが、ここ閖上にはもう一つの要因、車での避難者が大渋滞に巻き込まれて
身動きが取れないまま多数の人命が失われたことが挙げられる。
8月3日の河北新報社証言記事が詳細に報じた。
3.11の被害に遭われた閖上(ゆりあげ)地区の慰霊と視察
お地蔵尊が各所に建てられておりました 土台のみが遺る住宅跡地に咲くチューリップ
土盛り工事中の多くのダンプとクレーン車のみが目につきました 8.4メートル忘れぬ名取・閖上に震災慰霊碑建立
震災慰霊碑は日和山近くの市有地に建てられた。盛り土の上に立つ白御影石の碑は植物の芽生えをデザインしたもの。
地面からの高さは一帯を襲った津波と同じ8.4メートルに設計された。
種をイメージした黒御影石の碑には 「亡き人を悼み故郷を想(おも)う 故郷を愛する御霊よ 安らかに」 と刻まれた。
944人の犠牲者名を記した 「芳名板」 も設置されました。
石には追悼のお言葉が刻まれていました 日和山公園跡の表示板
日和神社参拝 日和神社を後方より撮影
標高6.3mの日和山。津波はこれより約2m高かったと言われています。神社の境内に立つ松の木の3分の1程まで水が来たそうです。
かつてはここに上り「今日は良い日和」と海を街を眺めたところから日和山 → 日和神社となりましたことを伺いました。
(HPより)
名取市北東端の太平洋・仙台湾に面した場所にあり、名取川河口の南岸、貞山運河の東、閖上漁港がある広浦の西に位置する築山。
山の東側に(旧)日和山公園(2012年3月廃止)があり、同園に接続するように東側に石段の登山道(参道)が設置されている。
過去の写真から、建造当初は2段の階段ピラミッドのような形状で、だったことが分かるが、経年変化により山体は丸みを帯びたいびつな円錐形になった。
平坦な山頂には、忠魂碑と、湊神社(閖上2丁目)から遷座された富主姫神社の社殿(湊神社が管理)とがあったが、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に伴う津波で社殿が流失した。
震災後、閖上地区一帯を見渡せる当山には多くの人が訪れるようになり、鎮魂の場となっています。合掌
慰霊の旅ですね~住宅跡地のチューリップ、日和山公園~
実際に見るのと、テレビ、新聞でみるのとは違い感無量
ですね。復興が待たれます。
今の現地の様子、写真を有難うございました。
閖上(ゆりあげ)地区の慰霊と視察には心が痛みました。
広大な住宅地跡は土台が遺るのみ、土盛りの作業が進められておりましたが、土はどこから持ってくるのでしょうか?
全く不足のようです。
近くの山々はすべて削られてしまい、復興も先が見えないように思いました。