(承前)
長文です。
でも、読んでくださいね。
1.2011年という「時代」
2.スイーツ・アートって?
3.「女性作家だけ」の深層
4.「おじさん」的社会への態度
5.おじさん的価値観にドロップキック!(ちょっと古いか)
6.最後に疑問
の6章からなっています。
1. 2011年という「時代」
7月25日の北海道新聞夕刊、文化面「美術季評」欄を、札幌芸術の森美術館の吉崎元章副館長は、次のように書きだしている。
「その通り!」と言いたくなるような、手際の良く、鋭いまとめである。美術が現代社会の状況に敏感に反応するのは当然のことであろう。
もちろん筆者は、ことし3月11日以降に制作された作品はすべて震災や原発に言及しなくてはならないなどと、単純なことを言っているわけではない。むしろ、そのような直接性への志向は、作品をプロパガンダへとおとしめる危険性をはらんでいる(吉本隆明が、反核運動への異論を表明したのは、おそらくそういう文脈においてである)。
話がムツカシクなってしまった。
とにかく、筆者は思うのだ。
誠実な作家や、きちんと企画された展覧会であれば、作品やポートフォリオや説明パネルなどのどこかに「3・11」以降の日々への思いが、顔をのぞかせているのではないだろうか。
それが、「震災・原発一色になることへのひそかな反発」であったとしても、だ。
では、今回の「織姫たちのスイーツ・アート 楽しい現代美術入門」はどうだろう。
2.スイーツ・アートって?
会場入り口に掲げられた「ご挨拶」を読んでみる。
気持ちはわかる。
現代美術が取っ付きやすくなりさえすればいいのか、という思いはあるけれど、少しでも多くの人に気軽に見てもらいたいという関係者の願いには共感できる。
しかし、このタイミング、つまり「震災後・福島後」で、どうしてスイーツなんだろうか。北海道の「食」は、放射性物質の影響がなくて大丈夫ですよ、というアピールなんだろうか。
まあ、べつに、震災に関係ない美術展だからといって、ダメということにはならないだろう。個人的には、どうかと思うけど。
ただ、この「ご挨拶」は、いかにもまずい。どうみても、だめだと思う。
どこがまずいか。
3.「女性作家だけ」の深層
もう一回引用してみる。
七夕が、彦星と織姫が年に1度、天の川を渡って会う日であることは、だれもが知っているだろう。
七夕だというのは、出品者を女性に限る理由にはならない。どうして「彦星」が出品していないのか。
主催者に問いただしても答えは返ってこないだろう。
展覧会を組織した「おじさん」たちの無意識の領域の話だから。
これは、結婚式場の広告ポスターや結婚情報誌の表紙に、ウエディングドレス姿の新婦しか登場しないのと同じ理由なのだろう。
つまり「おじさん」たちの思考の中では
恋愛→結婚は女性のライフステージ
というのが前提になってしまっているのである。
ここには、恋愛や結婚が男女ともにたいせつなできごとであるという認識はない。「男は仕事があるから結婚はひとつのエピソードにすぎないが、女は結婚が人生のゴールなのだ。女の幸せは良き花嫁になることだ」-という昔からの観念の枠組みが、強固すぎて、ついつい露呈してしまうのだろう。
そして、メーンディッシュでもなく、人生と正面から向き合った姿勢でもなく、デザートとしてわき役に登場するスイーツが、女性作家のテーマとしてふさわしいという判断も、同じような、女性に対する視線の無意識的なあらわれなのである。
4.「おじさん」的社会への態度
おじさんがおじさん的価値観で組織しているのがこの展覧会だとしても、女性たちが出品することについて
こういう旧弊な価値観に屈して、媚びているのだ!
と、出品者たちを糾弾するつもりは、筆者にはない。
現実の社会がおじさん的であったので、それに対応すること自体は、責められないからである。
ただし、とりわけ美術業界は、作家もキュレーターも鑑賞者も女性が多くなりつつあり、旧来の男性優位的な雰囲気は急速に薄れているのではないか。女性だからという理由で昇進できなかったり作家として一流扱いされなかったりという事例は、ほとんどなくなりつつあると思われる。
女性13人の作品を見ると、つぎの三つに分類できるだろう。
イ スイーツというテーマに沿った作品
ロ スイーツというテーマを相対化している作品
ハ テーマにあまりこだわらず自己の作風を貫いているもの
「イ」に属する作品のキャプションには、次のようなものがあって、筆者は「ここまでハードルを下げて、見る側にアピールしなくてはならないのか」と、いささか驚いた。
引用する。
細かいことを申せば、「ちりばめ」を漢字で書きたかったら「鏤め」としていただきたい。
「ハ」に分類される作品では、川上りえ「Yet,We keep Seeking for a Balance」を挙げたい。
会場の中央に巨大な(5.8メートル×5.8メートル)鉄製の物体は、スイーツとまったく無関係に、圧倒的な存在感と絶妙なバランスを表現している。
(ひょっとしたら「Balance」というあたりになんらかの意味がこめられている可能性もあるが)
5.おじさん的価値観にドロップキック!(ちょっと古いか)
しかし、ぜひここで触れておかなくてはならないのは、「ロ」に入る唯一の作品、水戸麻記子「甘やかされて」であろう。
作品解説は、ごく短い。
裸の男性の腹部にケーキやクリームが盛られている。
男性の頭部は、古くからの水戸ファンにはおなじみの、スイカになっている。
ご存じない向きもあるかもしれないが、この世には「女体盛り」というのがあって、女性の裸身を刺身などの皿代わりにするものらしい。或る意味、おじさん的欲望の究極のかたちだが、水戸さんはこれをひっくり返す形で作品にした。本人は単純におもしろがってやったのかもしれないけれども、おじさんがおじさん的な価値観で組織した今展覧会に対する痛烈な一撃になっている。
わたしたちに必要なのは、女性差別を糾弾する作品ではない。
必要なのは、男も女も、おじさん的な価値観につかりかかっていることへの異議申し立てであり、そして、われわれが無意識に浸っているおじさん的価値観を、目の前のくもりを取り払って白日の下にさらすような、そんな作品ではないだろうか。
だとしたら、この展覧会にほしいのは、ジェニー・ホルツァーやシンディ・シャーマンなのかもしれない。
6.最後に疑問
出品者は次の通り。
蒼野甘夏 絵画 デザートはあなた
上田とも子 絵画 旅への入り口
伽井丹彌 立体 精霊(プシュケ)の蘇生V
精霊(プシュケ)の蘇生P
樫見菜々子 立体 余韻
加藤宏子 彫刻 continuum
川上りえ 彫刻 Yet,We keep Seeking for a Balance
熊澤桂子 立体 Twinkle Sweets
小林麻美 絵画 片目で見た夢
わたしの輪郭線
Message
久野志乃 絵画 破片を集める
松田郁美 立体 assort
水戸麻記子 絵画 夢とメシ-ねがい星-
甘やかされて
吉成翔子 工芸 あふれる風
渡邊希 工芸 ドロシー
このジャンル分けも、けっこう謎。
どうして吉成さんが「工芸」で、松田さんが「立体」なのか。どっちも金工なのに。伽井さんは人形だけど「立体」なのか。じゃあ、「立体」と「彫刻」の違いって、なんだろう。
それよりわからないのが、これって「現代美術」の展覧会なんだろうか、ということ。
定義づけにこだわっても意味はないけれど、写実的な日本画を「現代美術」とはあまり言わないと思うなあ。
2011年7月15日(金)~8月7日(日)10~8時(入場~7時半)、期間中無休
プラニスホール(札幌市中央区北5西2 札幌エスタ11階)
一般300円
(この項いったん終わり、「フォールディング・コスモス」へ続く)
長文です。
でも、読んでくださいね。
1.2011年という「時代」
2.スイーツ・アートって?
3.「女性作家だけ」の深層
4.「おじさん」的社会への態度
5.おじさん的価値観にドロップキック!(ちょっと古いか)
6.最後に疑問
の6章からなっています。
1. 2011年という「時代」
7月25日の北海道新聞夕刊、文化面「美術季評」欄を、札幌芸術の森美術館の吉崎元章副館長は、次のように書きだしている。
今期の道内美術の今期の道内美術の動向は、やはり3月の東日本大震災や福島第1原発事故との関わりを抜きには語れない。
(中略)
さらに顕著だったのが、この時期に制作、発表された作品の多くに、この未曽有の出来事に対するそれぞれの作家の苦悩が表れていたことである。尊い多くの命、そしてごく普通の生活や長年築き上げてきたものが一瞬に失われていく様、安全だと信じていた最新技術の脆さ、便利さを優先し危険性に無関心であったことに対する反省など、居たたまれない思いが多くの作家を制作へと突き動かし、逆にしばらく制作ができなかったとも聞く。
「その通り!」と言いたくなるような、手際の良く、鋭いまとめである。美術が現代社会の状況に敏感に反応するのは当然のことであろう。
もちろん筆者は、ことし3月11日以降に制作された作品はすべて震災や原発に言及しなくてはならないなどと、単純なことを言っているわけではない。むしろ、そのような直接性への志向は、作品をプロパガンダへとおとしめる危険性をはらんでいる(吉本隆明が、反核運動への異論を表明したのは、おそらくそういう文脈においてである)。
話がムツカシクなってしまった。
とにかく、筆者は思うのだ。
誠実な作家や、きちんと企画された展覧会であれば、作品やポートフォリオや説明パネルなどのどこかに「3・11」以降の日々への思いが、顔をのぞかせているのではないだろうか。
それが、「震災・原発一色になることへのひそかな反発」であったとしても、だ。
では、今回の「織姫たちのスイーツ・アート 楽しい現代美術入門」はどうだろう。
2.スイーツ・アートって?
会場入り口に掲げられた「ご挨拶」を読んでみる。
3回目となる本年のテーマは「スイーツ・アート」。七夕時期でもあることから、現代美術に携わる女性アーティストの皆さんに、「織姫」として、イメージの翼を大きく広げていただき、楽しくオシャレな現代アート展を開催いたします。
ともすれば、難解で取っ付きにくいと思われている現代アートですが、「スイーツ」という視点を持つことにより、温かく親しみ深いものが立ち現れてくるのではと考えております。
気持ちはわかる。
現代美術が取っ付きやすくなりさえすればいいのか、という思いはあるけれど、少しでも多くの人に気軽に見てもらいたいという関係者の願いには共感できる。
しかし、このタイミング、つまり「震災後・福島後」で、どうしてスイーツなんだろうか。北海道の「食」は、放射性物質の影響がなくて大丈夫ですよ、というアピールなんだろうか。
まあ、べつに、震災に関係ない美術展だからといって、ダメということにはならないだろう。個人的には、どうかと思うけど。
ただ、この「ご挨拶」は、いかにもまずい。どうみても、だめだと思う。
どこがまずいか。
3.「女性作家だけ」の深層
もう一回引用してみる。
七夕時期でもあることから、現代美術に携わる女性アーティストの皆さんに、「織姫」として、イメージの翼を大きく広げていただき、(以下略)
七夕が、彦星と織姫が年に1度、天の川を渡って会う日であることは、だれもが知っているだろう。
七夕だというのは、出品者を女性に限る理由にはならない。どうして「彦星」が出品していないのか。
主催者に問いただしても答えは返ってこないだろう。
展覧会を組織した「おじさん」たちの無意識の領域の話だから。
これは、結婚式場の広告ポスターや結婚情報誌の表紙に、ウエディングドレス姿の新婦しか登場しないのと同じ理由なのだろう。
つまり「おじさん」たちの思考の中では
恋愛→結婚は女性のライフステージ
というのが前提になってしまっているのである。
ここには、恋愛や結婚が男女ともにたいせつなできごとであるという認識はない。「男は仕事があるから結婚はひとつのエピソードにすぎないが、女は結婚が人生のゴールなのだ。女の幸せは良き花嫁になることだ」-という昔からの観念の枠組みが、強固すぎて、ついつい露呈してしまうのだろう。
そして、メーンディッシュでもなく、人生と正面から向き合った姿勢でもなく、デザートとしてわき役に登場するスイーツが、女性作家のテーマとしてふさわしいという判断も、同じような、女性に対する視線の無意識的なあらわれなのである。
4.「おじさん」的社会への態度
おじさんがおじさん的価値観で組織しているのがこの展覧会だとしても、女性たちが出品することについて
こういう旧弊な価値観に屈して、媚びているのだ!
と、出品者たちを糾弾するつもりは、筆者にはない。
現実の社会がおじさん的であったので、それに対応すること自体は、責められないからである。
ただし、とりわけ美術業界は、作家もキュレーターも鑑賞者も女性が多くなりつつあり、旧来の男性優位的な雰囲気は急速に薄れているのではないか。女性だからという理由で昇進できなかったり作家として一流扱いされなかったりという事例は、ほとんどなくなりつつあると思われる。
女性13人の作品を見ると、つぎの三つに分類できるだろう。
イ スイーツというテーマに沿った作品
ロ スイーツというテーマを相対化している作品
ハ テーマにあまりこだわらず自己の作風を貫いているもの
「イ」に属する作品のキャプションには、次のようなものがあって、筆者は「ここまでハードルを下げて、見る側にアピールしなくてはならないのか」と、いささか驚いた。
引用する。
Sweetな曲にのせて夏の彦星君たちをイメージしたSweetsをつくりました。甘くビターなテイストに胸いっぱいに広がる色とりどりのフレーバー。トッピングには夜空に輝く星を散りばめて、きりっと冷えた器にのせたら、ほら、おいしそうでしょ?
細かいことを申せば、「ちりばめ」を漢字で書きたかったら「鏤め」としていただきたい。
「ハ」に分類される作品では、川上りえ「Yet,We keep Seeking for a Balance」を挙げたい。
会場の中央に巨大な(5.8メートル×5.8メートル)鉄製の物体は、スイーツとまったく無関係に、圧倒的な存在感と絶妙なバランスを表現している。
(ひょっとしたら「Balance」というあたりになんらかの意味がこめられている可能性もあるが)
5.おじさん的価値観にドロップキック!(ちょっと古いか)
しかし、ぜひここで触れておかなくてはならないのは、「ロ」に入る唯一の作品、水戸麻記子「甘やかされて」であろう。
作品解説は、ごく短い。
スイーツの「男体盛り」です。
裸の男性の腹部にケーキやクリームが盛られている。
男性の頭部は、古くからの水戸ファンにはおなじみの、スイカになっている。
ご存じない向きもあるかもしれないが、この世には「女体盛り」というのがあって、女性の裸身を刺身などの皿代わりにするものらしい。或る意味、おじさん的欲望の究極のかたちだが、水戸さんはこれをひっくり返す形で作品にした。本人は単純におもしろがってやったのかもしれないけれども、おじさんがおじさん的な価値観で組織した今展覧会に対する痛烈な一撃になっている。
わたしたちに必要なのは、女性差別を糾弾する作品ではない。
必要なのは、男も女も、おじさん的な価値観につかりかかっていることへの異議申し立てであり、そして、われわれが無意識に浸っているおじさん的価値観を、目の前のくもりを取り払って白日の下にさらすような、そんな作品ではないだろうか。
だとしたら、この展覧会にほしいのは、ジェニー・ホルツァーやシンディ・シャーマンなのかもしれない。
6.最後に疑問
出品者は次の通り。
蒼野甘夏 絵画 デザートはあなた
上田とも子 絵画 旅への入り口
伽井丹彌 立体 精霊(プシュケ)の蘇生V
精霊(プシュケ)の蘇生P
樫見菜々子 立体 余韻
加藤宏子 彫刻 continuum
川上りえ 彫刻 Yet,We keep Seeking for a Balance
熊澤桂子 立体 Twinkle Sweets
小林麻美 絵画 片目で見た夢
わたしの輪郭線
Message
久野志乃 絵画 破片を集める
松田郁美 立体 assort
水戸麻記子 絵画 夢とメシ-ねがい星-
甘やかされて
吉成翔子 工芸 あふれる風
渡邊希 工芸 ドロシー
このジャンル分けも、けっこう謎。
どうして吉成さんが「工芸」で、松田さんが「立体」なのか。どっちも金工なのに。伽井さんは人形だけど「立体」なのか。じゃあ、「立体」と「彫刻」の違いって、なんだろう。
それよりわからないのが、これって「現代美術」の展覧会なんだろうか、ということ。
定義づけにこだわっても意味はないけれど、写実的な日本画を「現代美術」とはあまり言わないと思うなあ。
2011年7月15日(金)~8月7日(日)10~8時(入場~7時半)、期間中無休
プラニスホール(札幌市中央区北5西2 札幌エスタ11階)
一般300円
(この項いったん終わり、「フォールディング・コスモス」へ続く)
女流のレッテルはあまり好きじゃないのだけれど、この冠の振り切れ感はなかなか凄いなと。普通だったらこのタイトルにはちょっとためらうと思うのだけれど、やるならここまで言い切っちゃうと作家の反応も面白いんだなと思いました。
人前ではあるのだけれど、思わず、やんわりとたしなめずにいられない、それが女性らしいしぐさを図らずもひき出すような。いたずら少年のスイッチがオンになったりオフになったりするのを妄想しています。
私は、川上りえさんの、評価をはかり返すような差し出し方と強靭な制作がクールだな~とうっとりしました。
ツイッターではずいぶん反響がありましたが、ブログにコメントを書き入れてくれたのははしごさんだけです。ありがとうございます。
個々の作品は良いのだと思います。
ただ、わたしは、七夕→織姫、という時点でこりゃだめだと思いました。
斎藤美奈子氏らがよくやり玉に挙げている図式が、はっきりしてしまったのです。
あ、そうだ。
この展覧会で一番の傑作は、水戸さんの、フライヤーに載っている顔写真です!
企画者は男性なのでしたっけ?
であれば「七夕→織姫」で、しょうがないのでは(発想が貧困というのはあるでしょうが)。
その代わりに、女性の企画で「七夕→彦星」の展覧会を開催しましょう。
イケメンの作家だけを集めて(←いるのか?)。
ヤナイさんがそこまで思う展覧会・・・逆に見てみたいです。今回は札幌までこの時期いけないのが残念です。文章から想像すると企画者は結局この展覧会から何を言いたかったんですかね。見えてこない・・・ ところで京都はいいですよ(笑)
先日から京都にいて仏像三昧です。宗教の力で美術ができ??疑問もあるが・神を描いたものが多いこと・・美術はやはり祈りに近いのではないか・・・現代アートも崇高で敷居が高いのは当たり前、その敷居はあくまでも高くあるべきで、しかし現代アートという難解な海原に小舟を漕ぎ出した人たちは大歓迎!!するものだと思っています。と私も溺れそうですが・・汗
いつもどうもです。
いや、30年前の男性向け雑誌ならいざ知らず、21世紀のアート企画者としては、発想の貧困があんまりではないかと。
>うさぴょんさん
なんと、京都ですか!
いいな~。でも、いまは暑そう。
ひとつだけ言わせてもらうと、仏像は美術作品としてつくられたのではなくて、つくられたずっと後の明治になって「美術」というカテゴリーができたので、そこに入れられたのです。
久しぶりに北海道美術ネットみてます。
ここ初めて行ってきました。観たその日、終日黙りたい気分でした。
ですので、今、ヤナイさんの文章を読んで一安心しています。
誤解をおそれずに言えば、少しは観る人間の価値観を信じた構成にしてほしかったなあと。
信じた信じないとは言い過ぎかもしれませんが、寄せ集め感を強く感じますし(札幌での現代美術、といえばめずらしくはないかと)、あのスペースを埋めるだけのただの展示だったら誰でもできるなと思いました。
作品の目の前にいるのに、企画への不満が邪魔して鑑賞まで辿り着けないのは僕の見方が酷いせいかもしれませんが。
と、ここまでしか言葉うかびません。
なんにしても、受付の印象が全てでしたよ。
(この展覧会のメイン「七夕限定スイーツ」は鑑賞できませんでした)
寄せ集めなら寄せ集めでもいいと思うのです。よくわからないテーマを設定するくらいなら、「2011年 札幌の美術の断面」なんかの方がよっぽど誠実さを感じます。
受付ですか…。
この前のエントリで相当悪口を書きました。ご容赦されたし、です。