毎年、あるいは隔年のきまった時期に個展をひらいていた美術家が亡くなるというのは、さびしい気持ちのするものです。
後志管内余市町の画家村上豊さん(現展会員)も毎年春に札幌時計台ギャラリー(中央区北1西3)で個展をひらいていましたが、昨年2月にがんのため亡くなりました。
一昨年までは、心のどこかに「また来年も見られる」という安心感のようなものがあったと思うのですが、今回は、できるだけゆっくり見ようと努めました。次にいつ見られるか、わからないからです。毎年見ることのできたものが、とつぜん、めったなことで見られなくなるというのは、なんとも不条理だと思います。
時計台ギャラリーの2階A、B、C室を使った遺作展には、油彩90点ほどが並んでいたようです。すべてが、あの村上さん独特の、大きく鮮やかな色斑が浮かんでいる画風のもので、初期作品などはありませんでした。このような画風にいたる前の時期の絵も見たかったような気もします。しかし、生前「こういう描きかたをしているのはじぶんしかいない」と言っていた村上さんの展覧会ですから、これが自然なのかもしれません。
筆者がいちばん好きなのは、ベネチアを描いたシリーズです。ゴンドラと、それをもやっておく竿が、黒で描かれ、画面を引き締めているように感じるからです。
案内状には「やすらぎ」という絵が印刷されていました。こういう、広場やオープンcafeなどを描いた作品も何点かあります。方法意識のまさった絵を描いていても、やはり人間という存在に愛着を持ち続けた人なのだ、と、漠然と思います。
まるで画風に共通点はないのですが、筆者は、6日に行われた坂本順子さんのお通夜のことを思い出していました。
その人が、現世での仕事をやりおおせたかどうかにかかわりなく、死は訪れます。これほど残酷で、理に合わないことはないと思います。
祭壇を作った高橋靖子さんをはじめ、式に参列していた美術関係者の多くは、彼女よりも年上でした。
なんとも、ことばを失います。
3月6-11日 10:00-18:00(最終日-17:00)
札幌時計台ギャラリー(中央区北1西3 地図)
後志管内余市町の画家村上豊さん(現展会員)も毎年春に札幌時計台ギャラリー(中央区北1西3)で個展をひらいていましたが、昨年2月にがんのため亡くなりました。
一昨年までは、心のどこかに「また来年も見られる」という安心感のようなものがあったと思うのですが、今回は、できるだけゆっくり見ようと努めました。次にいつ見られるか、わからないからです。毎年見ることのできたものが、とつぜん、めったなことで見られなくなるというのは、なんとも不条理だと思います。
時計台ギャラリーの2階A、B、C室を使った遺作展には、油彩90点ほどが並んでいたようです。すべてが、あの村上さん独特の、大きく鮮やかな色斑が浮かんでいる画風のもので、初期作品などはありませんでした。このような画風にいたる前の時期の絵も見たかったような気もします。しかし、生前「こういう描きかたをしているのはじぶんしかいない」と言っていた村上さんの展覧会ですから、これが自然なのかもしれません。
筆者がいちばん好きなのは、ベネチアを描いたシリーズです。ゴンドラと、それをもやっておく竿が、黒で描かれ、画面を引き締めているように感じるからです。
案内状には「やすらぎ」という絵が印刷されていました。こういう、広場やオープンcafeなどを描いた作品も何点かあります。方法意識のまさった絵を描いていても、やはり人間という存在に愛着を持ち続けた人なのだ、と、漠然と思います。
まるで画風に共通点はないのですが、筆者は、6日に行われた坂本順子さんのお通夜のことを思い出していました。
その人が、現世での仕事をやりおおせたかどうかにかかわりなく、死は訪れます。これほど残酷で、理に合わないことはないと思います。
祭壇を作った高橋靖子さんをはじめ、式に参列していた美術関係者の多くは、彼女よりも年上でした。
なんとも、ことばを失います。
3月6-11日 10:00-18:00(最終日-17:00)
札幌時計台ギャラリー(中央区北1西3 地図)