札幌の画家水野スミ子さんの教室展ですが、いわゆる「絵画の教室展」からイメージされるものとはほど遠く、荒削りだけど爆発的なエネルギーとパワーにあふれているのが「千展」です。週末、ギャラリーをまわる方は、どうぞそのエネルギーにふれてください。
吉村千加子さんはひとりで18点を出品する大活躍です。
入り口附近には、白いキャンバスが3つならんでいますが、木の枝などをキャンバスの下に入れてから、キャンバスを切り裂いています。フォンタナの試みを、さらに大胆にしたもののようです。
吉村さんは、会場奥にさしわたし3メートルを超す大作を出しているほか、中央のインスタレーションも彼女の作品です。松の葉が集積し、Tシャツを黒く染めてつなげたものが転がっているというものです。
その奥に見えているのは、大槻初恵さんの絵。
貝殻は、一見栃内忠男さんを思い出させますが、画面全体に飛沫が散っています。
下は佐藤徳子さんの作品。荒々しい力がみなぎっています。
左側の絵は、なんと五角形です。
伝法常子さんの「風紋」は、紙に、蚊取り線香で大量の穴をあけ、それらを糸で縫った労作です。
赤石操さんは、鉛筆によるデッサンが大半ですが、油彩の大作もあります。
真田由美子さんは、さらしに、墨とボンドを混ぜたものをぶちまけ、糸でつなぎ合わせています。
墨象作品のような感じです。
生徒たちをけしかける? 役の水野さんは、アクリル画11点を出品。
抽象のように見えますが、モティーフは珊瑚だそうです。
「きれいに仕上げる心地よさというのもあるけど、バーっとかくときの解放感もかえがたい。『あれやれ、これやれ』と指図するより、偶然に任せたほうがおもしろいでしょ」
と、水野さんは語っていました。
3月7日(火)-12日(日)10:00-19:00
ギャラリー大通美術館(中央区大通西5、大五ビル 地図A)
吉村千加子さんはひとりで18点を出品する大活躍です。
入り口附近には、白いキャンバスが3つならんでいますが、木の枝などをキャンバスの下に入れてから、キャンバスを切り裂いています。フォンタナの試みを、さらに大胆にしたもののようです。
吉村さんは、会場奥にさしわたし3メートルを超す大作を出しているほか、中央のインスタレーションも彼女の作品です。松の葉が集積し、Tシャツを黒く染めてつなげたものが転がっているというものです。
その奥に見えているのは、大槻初恵さんの絵。
貝殻は、一見栃内忠男さんを思い出させますが、画面全体に飛沫が散っています。
下は佐藤徳子さんの作品。荒々しい力がみなぎっています。
左側の絵は、なんと五角形です。
伝法常子さんの「風紋」は、紙に、蚊取り線香で大量の穴をあけ、それらを糸で縫った労作です。
赤石操さんは、鉛筆によるデッサンが大半ですが、油彩の大作もあります。
真田由美子さんは、さらしに、墨とボンドを混ぜたものをぶちまけ、糸でつなぎ合わせています。
墨象作品のような感じです。
生徒たちをけしかける? 役の水野さんは、アクリル画11点を出品。
抽象のように見えますが、モティーフは珊瑚だそうです。
「きれいに仕上げる心地よさというのもあるけど、バーっとかくときの解放感もかえがたい。『あれやれ、これやれ』と指図するより、偶然に任せたほうがおもしろいでしょ」
と、水野さんは語っていました。
3月7日(火)-12日(日)10:00-19:00
ギャラリー大通美術館(中央区大通西5、大五ビル 地図A)
大槻さん、伝法さん、真田さんに会いました。
お茶を戴いて、長居をしました。
絵画についてまじめな対話をしてきました。
3枚目の写真に写っているシーンがいいと感じました。
私がことに吉村さんの表現世界にかかわって、真田さんと伝法さんと対話をつづけていたのですが、それはあの荒川さんのトリノでの演技(イナバウア)やイチローのプレーを参考にしたうえで、絵画における作品の評価を、仮に①技術点②芸術点③性格点④想像力的創造力的プラスアルファの総合得点として見てみた場合、吉村さんの全道展に出品しているタブローは一体どう評価できるのかということでした。
全道展という公募展のなかで、自分の作品世界の独自の地歩を築いていくには、荒川選手やイチローのように、用意周到な策略についての緻密な計算が必要であるというのが切り口です。
荒川選手はアイスリンクという舞台の上で競争相手と真剣に競いあいながら審判による厳しい評価(技術点と芸術点)を受ける。
イチローはグラウンドという舞台で対抗チームと真剣に競い合いながら審判による厳しい判定を受ける。
朝昇竜は土俵の上で競争相手と真剣に競い合いながら行司と審判による勝ち負けの判定を受ける。
公募展ではさてそれよりも不透明な密室で判定がなされるにしても、やはり、それを勝ち抜くための作戦というものが必要になるであろう。緻密な計算が必要になる。つまり、競争相手は誰なのかという明晰な意識のことである。
その点で、吉村さんの全道展でのタブローの世界とこの「千展」での表現世界との間に、見過ごすことのできない乖離があるように思えてならない。タブローの方の推進力の方が弱い感じがするからである。
絵画表現を「仮に①技術点②芸術点③性格点④想像力的創造力的プラスアルファの総合得点として」見るということは真面目に考えてみる必要があると思う。
木村富秋さんや富田知子さん他の手強い相手が何人も何人も存在する全道展の舞台で、吉村さんの表現世界を強烈に認識させるためには、やはり、強烈な表現世界の策略が要ると思う。荒川さんがトリノの舞台に向けて緻密に練り上げた作戦に匹敵するくらいの準備が要るであろう。
つまり、木村さんの「鳥の唄」のような独得のモチーフ、富田さんのような「渇いた伝言」のような持続するモチーフがあるのかないのかから計算は始められる。その上で、持続する性格的なモチーフを独得の表現世界として彫りこんでいく徹底的な追求のプロセス(研究と自己研鑽)がつづく。
水野さんの絵画の方法論の影響力から竟には自力で離脱するだけの強い方法てき意志力が自由に闊達に伸びていくことを私は願っているのです。
吉村さんの自分のなかに存在する「絵画をつくる自分」と「絵画を見る自分」とのバランス関係を変えていく、それを後者の視点から深く吟味することで変えていくことではないのか。
吉村さんにおける絵画表現の原型的イメージを吟味することではないのか。
>吉村さんの自分のなかに存在する「絵画をつくる自分」と「絵画を見る自分」とのバランス関係を変えていく、それを後者の視点から深く吟味することで変えていくことではないのか。
わたしも同意します。
一般的なスポーツにくらべると、フィギュアスケートや絵画は客観的なものさしに乏しい(あるにはあるのですけど)のが、むつかしくも、面白いところだと思います。
ただし、いまは一般入選の段階ですから、傾向のまったく異なるものを複数出すというのはアリだと思いますよ。