北海道美術ネット別館

アート、写真、書など展覧会の情報や紹介、批評、日記etc。毎日更新しています

田沼建治『幻の北海道殖民軌道を訪ねる 還暦サラリーマン北の大地でペダルを漕ぐ』(交通新聞社新書)

2020年04月23日 09時14分31秒 | つれづれ読書録
 アートとはまったく関係の無い本だが、たいへんおもしろかったので、手短に紹介しておきたい。

 この本をおもしろく感じたのはたぶん、筆者が定年前のサラリーマンだからだろうと思う。
 廃線跡めぐりの静かなブームはずっと続いているけれど、この書物は、道内にかつて走っていた殖民軌道を網羅したものではない。
 現地のカラー写真であれば、おそらくブログなどでアップしている人も多いだろう。
 この本の価値は、そういう資料的なところにあるのではなく、単純に旅行記としておもしろいのだ。
 プロの作家ではない、化学会社のサラリーマンが、休暇で北海道を訪れ、空模様や時刻表や腕時計とにらめっこしながら、かつて北海道を走っていた殖民軌道や簡易軌道の痕跡を見て回り、郵便局で貯金もしていく。思いもかけない人との出会いがある。
 現地に行っても時間が無くて、この次に回したり、あまり収穫がないままに帰ったりする。でも、ぼやきと冗談交じりにそのことをつづる筆致は、簡潔で、そっとユーモアをしのばせている。
 たいした筆力の持ち主なのだ。

 たとえば、書き出しが
「標茶から磯分内を経て(…)僅かな上り勾配が延々と続く。」
である。
 順番に書くのではなく、いきなり現場の空気の中に読者をさらっていく。
 全4章のうち、旅行計画をたてるのが第3章というのも、斬新な構成だ。

 そして、最終章。
 標茶簡易軌道の終点「沼幌」を訪れた際のくだりは、もう泣きそうになる。

 私のため息におかまいなく時間は容赦なく過ぎた。そしてここを徘徊している間に過ぎてしまった一時間は、昭和四十五年六月からあっという間にたってしまった三十五年の年月の延長線上にある一時間なのだと思い至った。今のこの沼幌の状況は、サラリーマンの終点に近づいて「こんなはずではなかった」と狼狽しているもうひとりの私の状況でもあることに気づいた。(中略)ペダルを漕ぎながら、ここにはもう一度来なくてはならない、そうでないと私の人生にけじめをつけられない、と思った。


 この
「いったいオレはなんのためにこんなことをやっているんだろう」
と、ふとわれに返る感覚。
 ものすごく身に覚えがある。
 自分のやりがいと仕事と趣味が完全に一致しているのでもなければ、多くの人が抱いたことのある感懐ではないだろうか。
 自分もこんなブログをえんえんと書き続けてなんになるんだろうとときどき考えるのだが、田沼さんも、人の姿がほとんど無い北海道の道路で、くたびれながらペダルを漕いでいると、ふっと自分の行為の意味を(もっというと、人生の意味を)問い返すことがあるのだろうと思う。

 田沼さんは1947年生まれで、いわゆる「団塊の世代」である。
 一橋大学では鉄道研究会に所属し、71年に国鉄私鉄など鉄道軌道の全線乗車を成し遂げている(これは大変な偉業である。国鉄・JR全線乗車という人はちょくちょくいるが)。
 大学4年の1970年6月に、幌延町営、歌登村営、浜中町営、別海村営、標茶町営の各軌道や、日曹天塩炭鉱専用線などに乗っているというから、うらやましい。
(もちろん筆者はひとつも乗ったことがない。まあ、瀬棚線も士幌線も深名線も富内線も乗ったことがあるからいいんだけどね…)

 そして、これ以降は完全に空想で書くのだけれど、田沼さんがキャンパスにいたころは、ヘルメットをかぶってゲバ棒を持った学生たちが大勢いて、しょっちゅう授業がなくなっていただろう。彼はそういう時代の空気にいまひとつなじめなくて、旅行を繰り返していたのではないだろうか。
 そして、サラリーマンになっても、出世競争に邁進するのではなく、一歩離れたところで次の休暇を待ちわびる年月を送っていたのではないだろうか。

 すごく、共感する。

 沼幌・オソツベツ再訪記や、他の地方の紀行文などを書いたら、きっとおもしろいだろうし、ネタはまだまだあると思うのだが、田沼さんはこの1冊しか上梓していないようだ。
 惜しい。


https://shop.kotsu.co.jp/shopdetail/003000000019/

 (最近読んだ本では『夏への扉』もおもしろかったが、これについては、多くの人が感想を書いているので、筆者がいまさら付け加えることはない)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。