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原子力発電所が危険だと思われるのはなぜか

2011年04月26日 23時14分35秒 | つれづれ日録
(雑駁な長文です。アートとは直接関係ありません)

 こういうタイトルを書くと
「そんなもん、危険に決まってるべや」
という人が多いだろうし、あるいは
「絶対安全とはいえないが、電力確保のためには、より安全に配慮して原発を稼働させ続けていくしかないよね」
という人もいるだろう。

 もちろん筆者は原子力の専門家でもなんでもない。
 あの事故以来、専門家がけっこうたくさんいることが分かったが、人によって言うことがバラバラなので、誰を信じていいのか分からない。


1.もっと危険なもの

 この期におよんでなお「原発ほど安全なものはない」とまで言うつもりは毛頭無い。
 ただし、みんな言わないけど、危険なものはほかにもけっこうあるのではないだろうか。

 たとえば、自動車である。
 巨大な金属の塊が時速数十キロというスピードで、歩行する人間のすぐ横を通り抜けていく。
 みんな慣れっこになっているけれど、よーく考えてみればこういう光景が日本中、世界中で繰り広げられているというのは、相当に異様なことである。
 しかも、日本国内だけで年間4000人の死者が出ている。この数だって、警察や関係者の努力で相当減ってきたもので、数年前までは1万人が亡くなっていたのだ。
 これは、原子力発電による犠牲者の数とは、比べものにならない。

 だけど
「走る殺人機械、自動車をなくそう」
と主張する人は、日本にはほとんどいない。
 なぜか。
 便利だからだ。

 この論理って、原発とおなじだ。
 原発は危ないけど、電気は便利。

 じゃ、どうして自動車はOKで、原発はダメだっていうんだろう。


 おなじ図式はジェット旅客機にもあてはまる。

 もしジェット機のエンジンが故障し、制御できなくなって、大都市のど真ん中に墜落したら、乗客はもちろん地上の人をもたくさん巻き込む大惨事になることはまちがいない。
 だが、ジェット旅客機を全廃せよという訴えは聞いたことがない。
 なぜか。
 便利だからだ。


 現代文明が生んだ技術にはいずれも利便性と危険性の両面がある。
 原子力発電だけがことさら危険な結果を出してきているわけではない。
 少なくても、今までの犠牲者の数は、自動車やジェット機とは比較にならないほど少ない。


2.なぜ原発が悪者に?

 では、どうして原発がことさら拒否感を持たれるのだろうか。


 まず挙げられる理由としては、原発の事故が珍しいからである。
 報道は、珍しいことを大きく、よくあることは小さく取り上げるのが常である。
 したがって、おびただしい死者を出している自動車事故は、あまり報道されない。
(もちろん、原発事故が珍しくなくなればいいと考えているのではない) 

 でも、それだけではないような気もする。

 原子力が爆弾にも使われ、広島・長崎で甚大な被害を出したことから、拒絶反応が大きいのかもしれない。


 しかし、最大の理由は、めったに事故は起きないが、いったん起きると、制御不能の状態が何日も続き、影響範囲が広範囲におよぶことではないだろうか。

 たとえば、いくら自動車事故や航空機事故が大規模だとしても、事故の後、何日も何週間も附近が使えない状態になり、大勢の人が長期にわたって避難を強いられることは、考えられない。

3.予想よりも少ないチェルノブイリの犠牲者

 長期間の避難を余儀なくされるのは、放射性物質の危険があるためである。 
 ただ、これに関しては、確たることが言えないなあと思う。WHO(世界保健機構)の文書(下のリンク先)を知ったためだ。

http://www.who.int/mediacentre/news/releases/2005/pr38/en/index.html#

 世界中の100人を超す科学者が集まって2005年に出した結論は、チェルノブイリ原発事故によって死亡した人は50人に満たないというのだ。
 しかも、その半数ほどは、旧ソ連政府による鎮圧作戦にかり出された軍人などである。一般市民で、原発事故で死亡したという因果関係のはっきりした例は、驚くほど少ないのだ。

 けさ(2011年4月26日)の北海道新聞「チェルノブイリ事故きょう25年」の記事によると、
「国際環境保護団体グリーンピースは「27万人ががんを発症。9万3千人が死亡」と主張する」
とのこと。
 しかし、こんなときにだけ、ヒステリックな反捕鯨団体の主張の方を信じるというのは、趣味じゃないな。



 もっとも、放射性物質は目に見えないこともあって、過剰な反応を生みやすい。
 事実、日本からの輸出が各国で拒否反応にあったり、海外からの観光客が全国で激減している。
 いまの議論の流れだと、その手の風評被害も、東京電力が補償しなくてはならないようだ。そうなると、「原発は安全か否か」という高度な議論以前に、これまで安いとされてきた原子力の発電コストがぐんと跳ね上がってしまうのではないか。

 原子力発電が安いとされてきたのは確かで、事実、北海道電力では、以前は全国で電力料金がいちばん高かった(そりゃ受益者が少ないのに送電線が長いんだから仕方ないよね)のに、泊原発の稼働後は格段に安くなった。
 これにはいろんな仕掛けがあるんだけど、ここでは詳述しない。
 ただ、補償のほか、これまでの想定よりも大きな地震や津波に備えるための設備増強といった要素が出てくると、原発のコストはかなり高くなってくるのではないか。

 もうひとつ、これは23日の毎日新聞に出ていた話だが、ウィーン自然資源・生命科学大のウォルフガング・クロンプ教授によると、ウランの採掘可能年月はあと50年らしい。


 というわけで、筆者はとても過激な反原発の人たちの主張にはくみする気分になれないのだが、といって、原子力発電をこれまでのように進めていくにはムリがありすぎるというのが実感なのだ。


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