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(承前)
9月6日の続き。
あまり会社内部のことを書くのもさしつかえがあるのかもしれないが、筆者が勤務する北海道新聞グループは、道内の6カ所に印刷工場を持っている。
札幌、北広島、函館、旭川、帯広、釧路である。
地震の後は北海道全域で停電しているため、北広島の工場の一部を動かして、いつもより薄い16ページの新聞を刷り、全域に配ることになった。
しかし、北広島から函館や稚内、根室は遠い。
根室や、知床の斜里町ウトロまでは400キロ以上もある。
締め切り時間が、信じられないぐらい繰り上がった。
筆者の働いているのは、地域版をつくる職場だ。ふだんは朝刊35ページを編集しているが、この日は非常事態につき7ページに集約。そのかわり、広告を取っぱらい、全段の広い紙面だ。
筆者の面がいちばん遅く、夜9時過ぎに作業を終えた。
会社が手配したタクシーに、おなじ方向に住む同僚と同乗して帰った。社を出ると、まず、いつもより暗いことに気づく。時計台の前の信号機もさっぽろテレビ塔も点灯していない。
国道36号を直進したが、豊平橋を渡った直後は電気がきているらしく信号も自動販売機も街頭も普段通り光っているが、3丁目を過ぎると、真っ暗だ。
国道453号との交叉点も信号が消えている。
幸い(?)、国道36号は札幌の中心部から一直線に千歳、苫小牧方向へ進む、道内一の幹線道路であるため、信号のない十字路でも、まったく停止する必要がない。
美園地区もNTT支店の周囲以外は暗い。
坂を上り、月寒中央通に入ってすぐのあたりは、路地の街頭が点灯していたが、地下鉄駅のまわりや水源地通りとの交叉点は闇に包まれている。こんなに交通量の多い交叉点がーと思うと、肝を冷やす。
福住地区は全般に明るく、カーディーラーも札幌ドーム周辺もファミリーマートも明るかったが、羊ケ丘から西岡に回ってくると、まったく明かりがない。
けさの夜明け前は階段に非常灯がともっていた澄川の高層住宅も、真っ暗になっていた。
明るいのは、時折通り過ぎる車のヘッドライトだけだ。
どうやら、病院などがある地区につながる電気は早めに復旧し、そうでない地区は後回しにされていたということだ。
自宅にLINEを発してもまったく既読がつかず、メールにも反応がない。
かなり心配してドアを開けたら、妻と娘は意外と元気だった。
LINEの既読がつかないのは単にスマートフォンの電波が来なかったせいだった。
娘が以前、学校の技術家庭科で作った、きのこ型の乾電池式ランプが大活躍していた。妻はどこかからラジオも見つけて、聴いていた。
とりあえず、自宅は水道とプロパンガスが生きていたし、米や菓子などが豊富にあったので、あと数日停電が続いてもなんとか生きていけるだろうと思った。
この夜は、月明かりがなかったこともあり
「星空がきれい」
「札幌で天の川を見た」
などというツイートを後でいくつも見たが、筆者には、曇っていたという記憶しかない。
ただ、2階の窓から見た、あかりが一つもなく、真っ暗な闇に沈む住宅地の光景は、死ぬまで忘れないだろうと思う。
9月6日の続き。
あまり会社内部のことを書くのもさしつかえがあるのかもしれないが、筆者が勤務する北海道新聞グループは、道内の6カ所に印刷工場を持っている。
札幌、北広島、函館、旭川、帯広、釧路である。
地震の後は北海道全域で停電しているため、北広島の工場の一部を動かして、いつもより薄い16ページの新聞を刷り、全域に配ることになった。
しかし、北広島から函館や稚内、根室は遠い。
根室や、知床の斜里町ウトロまでは400キロ以上もある。
締め切り時間が、信じられないぐらい繰り上がった。
筆者の働いているのは、地域版をつくる職場だ。ふだんは朝刊35ページを編集しているが、この日は非常事態につき7ページに集約。そのかわり、広告を取っぱらい、全段の広い紙面だ。
筆者の面がいちばん遅く、夜9時過ぎに作業を終えた。
会社が手配したタクシーに、おなじ方向に住む同僚と同乗して帰った。社を出ると、まず、いつもより暗いことに気づく。時計台の前の信号機もさっぽろテレビ塔も点灯していない。
国道36号を直進したが、豊平橋を渡った直後は電気がきているらしく信号も自動販売機も街頭も普段通り光っているが、3丁目を過ぎると、真っ暗だ。
国道453号との交叉点も信号が消えている。
幸い(?)、国道36号は札幌の中心部から一直線に千歳、苫小牧方向へ進む、道内一の幹線道路であるため、信号のない十字路でも、まったく停止する必要がない。
美園地区もNTT支店の周囲以外は暗い。
坂を上り、月寒中央通に入ってすぐのあたりは、路地の街頭が点灯していたが、地下鉄駅のまわりや水源地通りとの交叉点は闇に包まれている。こんなに交通量の多い交叉点がーと思うと、肝を冷やす。
福住地区は全般に明るく、カーディーラーも札幌ドーム周辺もファミリーマートも明るかったが、羊ケ丘から西岡に回ってくると、まったく明かりがない。
けさの夜明け前は階段に非常灯がともっていた澄川の高層住宅も、真っ暗になっていた。
明るいのは、時折通り過ぎる車のヘッドライトだけだ。
どうやら、病院などがある地区につながる電気は早めに復旧し、そうでない地区は後回しにされていたということだ。
自宅にLINEを発してもまったく既読がつかず、メールにも反応がない。
かなり心配してドアを開けたら、妻と娘は意外と元気だった。
LINEの既読がつかないのは単にスマートフォンの電波が来なかったせいだった。
娘が以前、学校の技術家庭科で作った、きのこ型の乾電池式ランプが大活躍していた。妻はどこかからラジオも見つけて、聴いていた。
とりあえず、自宅は水道とプロパンガスが生きていたし、米や菓子などが豊富にあったので、あと数日停電が続いてもなんとか生きていけるだろうと思った。
この夜は、月明かりがなかったこともあり
「星空がきれい」
「札幌で天の川を見た」
などというツイートを後でいくつも見たが、筆者には、曇っていたという記憶しかない。
ただ、2階の窓から見た、あかりが一つもなく、真っ暗な闇に沈む住宅地の光景は、死ぬまで忘れないだろうと思う。
(この項続く)