3月27日に、札幌市資料館で開かれた「年度末だよ大集合!-SIAFラボの年度末、専門家と考える2日間」の特別シンポジウム「なぜ石は資料館に置かれているのか~《一石を投じる》を巡って」について、アップが遅れてすみません。作家の島袋道浩さんと、アートジャーナリスト村田真さんを招いて行われたシンポはとても興味深いものでした。
島袋さんの話を中心に、以下、まとめてみようと思います。(厳密な書き起こしではなく、文責はもちろん、筆者=ヤナイ=にあります)オダイさんの言葉も一部まじっています。途中の小見出しも、ヤナイがテキトーにつけました。
0.まとめ
まとめの大要をまず書いておくと、「一石を投じる」のシンポジウムはこの後も開かれ、そのつど、島袋さんは札幌にいらっしゃることになりそうとのこと。
筆者は、これまで、あの石は二風谷に返却すべきだと考えていましたが、島袋さんによると、元の持ち主は札幌で売りたがっているそうで、それなら札幌にあってもいいのかなと、考えを変えました。
1.札幌にあること
前の場所のほうが良かったという声があります。それはわかっているんですよ、ぼくも。
道外で、これを購入したいという人が出てきました。でも、ぼくは売らなかった。
これは二風谷の石屋さんの貝沢さんから借りている物。貝沢さんとしては、持って帰りたくない、庭石として札幌で売りたいと言っている。それは石屋さんの理屈として分かるんです。
自分は、札幌や北海道の地面にとどめておきたいと思っていました。
ファイナルトークで「あの石は残して」という意見が出まして、その場で上田市長から前向きな発言が即答であったようで。
そこからは急展開でしたね。そういう話って、ふつう時間がかかるじゃないですか。
道庁赤れんがの前には、枕木を置いてその上に石を設置したんですが、長い期間の展示には適さない。札幌市資料館が、次の芸術祭の拠点になるともきいていたので、ランドマークのようにもなる、これはいいなと思いました。大通公園、テレビ塔、イサム・ノグチ「ブラック・スライド・マントラ」もあり、近代を象徴する場所でもあります。
とにかく札幌に残せるというのが大きくて。値段も安かったけど。
本州に売っていたら、きょうはファーストクラスで来られたかも(笑)。
(実際に資料館前を見ると)、両側に石より高い木があったり、手前に柵があったり、気になるところがある。
次の3年どうするか、ゆっくり検討しましょうと約束したので、市民に公開で決めることができたらいいと思っています。
2.札幌国際芸術祭参加のきっかけ
2013年3月、アラブ首長国連邦のシャルージャ・ビエンナーレでたまたま坂本龍一さんと一緒になったのがきっかけです。
シャルージャはとなりのドバイのように高いビルはありませんが、芸術に力を入れています。
現地に行ってみると、労働者を運ぶ、片道10円ぐらいの船(短い航路)がある。ガイドブックには書いてなく、看板もないので、現地の人しか知らない。そこで、看板をぼくがつくって、ビエンナーレのマップにも入れてもらいました。出会いをつくりたかったんです。女の子が乗ってくると労働者もうれしいしね。
船着き場で「Ice Cream with Salt」「Ice Cream with pepper」という看板を出して、アイスの屋台を出したんです。
労働者の船の中に、ビエンナーレを見に来た白人の女の子がひとり交じるのと似ていて、異質なものとの出会いですね。でもこれが意外においしい。
そしたら、坂本さんがパチパチと写真を撮りながら現れて―坂本さんはだいたいパチパチ写真を撮りながら歩くんですが―。またまたアビチャッポンも来たので
「わっ、カンヌとオスカーがやってきた! どんなアイス屋や~」(笑)。
(ヤナイ註・「アピチャッポン・ウィーラセタクン」はタイ出身の映画監督で、「ブンミおじさんの森」が2010年のカンヌ国際映画祭でパルムドール=最高賞=を得た。美術家でもあり、新進の頃、札幌にアーティスト・イン・レジデンスで滞在したことがある)
その夜、坂本さんとご飯を食べて「実は札幌で国際芸術祭をやることになったんだ」と出品を誘われました。
会ってすぐに言われたらアーティストとしては意気に感じて頑張るかなあ~って、なりますよね。
「キツいことするかもしれませんよ」
って言ったら、坂本さんは
「いやいや大丈夫。ぼくが引き受けるから」
みたいな感じでした。
サイトスペシフィックというのは「ここでなければできない」ということですが、同時に「この人とじゃなきゃできない」というのもあるはず。札幌で坂本さんとしかできないのをやろう! と思ったんです。
それで2013年8月半ば、リサーチで札幌に来ました。
3.札幌で下調べ
札幌では面白いと思ったところを案内してくれ、と。知事公館には坂本さんとずいぶん長い時間いましたね。
北大にある中谷宇吉郎の研究室とか、ジャンプ台、狸小路にも行きました。
坂本さんと歩いていると、店から女の子が出てくるんですよ。花咲かじいさんみたいに人が集まってくる。歩いているだけでいいんですよ。ぼくはマネジャーだと思われて「写真撮っていいですか?」と聞かれたりして。
狸小路の8丁目に「さかもと」という店があり、ここでやりたくて、交渉もしたんですよ。でもだめでした。いまは更地になってますね。
ぼくにとっての北海道は砂澤ビッキの場所です。
彼の「神の舌」は絶対に見に行かなくちゃと思いました。
坂本さんは「(作品に)近づくと声が変わる」と言ってまして「さすが音楽家だなあ」。
北海道はもう一つ、ぼくにとっては藤木正則さんがいるところです。
(藤木さんが4丁目交叉点に白線を引いた、伝説的なパフォーマンスを紹介)
アートって不思議なもので、こういう人がいるだけで、札幌に足を向けて寝られないなと思います。
4.石をどこから運び、どこに置くか
直球で、自然をガンと持ってくることをしたい、と坂本さんに答えました。
石が都会を見学して帰る、みたいなのをやりたかった。
石のパレードをやって、その上に坂本さんが乗っかったらおもしろい。
「どうですか」
「great」
と坂本さんに言われました。
北海道では石ばかり見ていました。
車を走らせて、良さそうな石があれば止まる、みたいな繰り返し。(胆振管内の)白老にはベーコンみたいな石がありました。
昔と違って法律が変わり、河川を管理する国から石を買い上げることができなくなっているんです。それに重い物を運ぶにも許可が要る。河原から運ぶにしても、そこに行く道を造らないとだめなんです。
最初は道路の真ん中に置きたかった。
4丁目交叉点の真ん中なら、藤木さんもビックリするんじゃないかと。
すすきの交叉点の中心には時計塔があるなら、石も置けるんじゃないかなとか。坂本さんも「いいねえ」と。
道の真ん中ならそんなに大きくなくてもいいかなと思いました。
でも、警察とのやりとりをしなくてはならず、カンベンしてしょいいと言われて。
そのとき、露口さん(露口啓二、写真家)から彫刻家を紹介され、その人から「石だったら貝沢さんがいいよ」と言われまして、二風谷の石屋さんの貝沢さんに会いに行ったんです。
行ってみたら、怖い顔してる人が坐ってて、ビビりました。でも、説明するしかない。
説明が終わったら、ニヤっとわらって
「片棒をかついでやる」
と言われました。
昔は家を建てると庭に石を置く人が多かったんですが、今は石を買う人がいないんですね。おじさんもうれしそうで、これはもうこの人とやるしかないと思いました。
貝沢さんのところは5回ぐらい通いました。ちょっとした遺跡のようです。
2、3日前にどの石にするか決めたんですが、坂本さんが病気になって、パレード案がムリになって、これは石に頑張ってもらわないとと、思ってたよりも大きい石にしました。
カムイノミもやりましたが、アイヌの人に、一度やったら、動かしたらダメなんだと言われて困りました。
5.おわりに、ヤナイから
書き始めると、ダラダラ長い文章になってしまい、これで本職が新聞記者だなんて信じられないですけど、許してください。
今後SIAFで「一石を投じる」についてオープンな話し合いの場を設けるとのことですが、その都度、島袋さんが来札するとのこと。
まさに「一石を投じた」結果になるわけですが、さて石はどこにゆくのでしょうか?
なお、後半の村田真さんのお話については、また稿を改めて…。
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0.まとめ
まとめの大要をまず書いておくと、「一石を投じる」のシンポジウムはこの後も開かれ、そのつど、島袋さんは札幌にいらっしゃることになりそうとのこと。
筆者は、これまで、あの石は二風谷に返却すべきだと考えていましたが、島袋さんによると、元の持ち主は札幌で売りたがっているそうで、それなら札幌にあってもいいのかなと、考えを変えました。
1.札幌にあること
前の場所のほうが良かったという声があります。それはわかっているんですよ、ぼくも。
道外で、これを購入したいという人が出てきました。でも、ぼくは売らなかった。
これは二風谷の石屋さんの貝沢さんから借りている物。貝沢さんとしては、持って帰りたくない、庭石として札幌で売りたいと言っている。それは石屋さんの理屈として分かるんです。
自分は、札幌や北海道の地面にとどめておきたいと思っていました。
ファイナルトークで「あの石は残して」という意見が出まして、その場で上田市長から前向きな発言が即答であったようで。
そこからは急展開でしたね。そういう話って、ふつう時間がかかるじゃないですか。
道庁赤れんがの前には、枕木を置いてその上に石を設置したんですが、長い期間の展示には適さない。札幌市資料館が、次の芸術祭の拠点になるともきいていたので、ランドマークのようにもなる、これはいいなと思いました。大通公園、テレビ塔、イサム・ノグチ「ブラック・スライド・マントラ」もあり、近代を象徴する場所でもあります。
とにかく札幌に残せるというのが大きくて。値段も安かったけど。
本州に売っていたら、きょうはファーストクラスで来られたかも(笑)。
(実際に資料館前を見ると)、両側に石より高い木があったり、手前に柵があったり、気になるところがある。
次の3年どうするか、ゆっくり検討しましょうと約束したので、市民に公開で決めることができたらいいと思っています。
2.札幌国際芸術祭参加のきっかけ
2013年3月、アラブ首長国連邦のシャルージャ・ビエンナーレでたまたま坂本龍一さんと一緒になったのがきっかけです。
シャルージャはとなりのドバイのように高いビルはありませんが、芸術に力を入れています。
現地に行ってみると、労働者を運ぶ、片道10円ぐらいの船(短い航路)がある。ガイドブックには書いてなく、看板もないので、現地の人しか知らない。そこで、看板をぼくがつくって、ビエンナーレのマップにも入れてもらいました。出会いをつくりたかったんです。女の子が乗ってくると労働者もうれしいしね。
船着き場で「Ice Cream with Salt」「Ice Cream with pepper」という看板を出して、アイスの屋台を出したんです。
労働者の船の中に、ビエンナーレを見に来た白人の女の子がひとり交じるのと似ていて、異質なものとの出会いですね。でもこれが意外においしい。
そしたら、坂本さんがパチパチと写真を撮りながら現れて―坂本さんはだいたいパチパチ写真を撮りながら歩くんですが―。またまたアビチャッポンも来たので
「わっ、カンヌとオスカーがやってきた! どんなアイス屋や~」(笑)。
(ヤナイ註・「アピチャッポン・ウィーラセタクン」はタイ出身の映画監督で、「ブンミおじさんの森」が2010年のカンヌ国際映画祭でパルムドール=最高賞=を得た。美術家でもあり、新進の頃、札幌にアーティスト・イン・レジデンスで滞在したことがある)
その夜、坂本さんとご飯を食べて「実は札幌で国際芸術祭をやることになったんだ」と出品を誘われました。
会ってすぐに言われたらアーティストとしては意気に感じて頑張るかなあ~って、なりますよね。
「キツいことするかもしれませんよ」
って言ったら、坂本さんは
「いやいや大丈夫。ぼくが引き受けるから」
みたいな感じでした。
サイトスペシフィックというのは「ここでなければできない」ということですが、同時に「この人とじゃなきゃできない」というのもあるはず。札幌で坂本さんとしかできないのをやろう! と思ったんです。
それで2013年8月半ば、リサーチで札幌に来ました。
3.札幌で下調べ
札幌では面白いと思ったところを案内してくれ、と。知事公館には坂本さんとずいぶん長い時間いましたね。
北大にある中谷宇吉郎の研究室とか、ジャンプ台、狸小路にも行きました。
坂本さんと歩いていると、店から女の子が出てくるんですよ。花咲かじいさんみたいに人が集まってくる。歩いているだけでいいんですよ。ぼくはマネジャーだと思われて「写真撮っていいですか?」と聞かれたりして。
狸小路の8丁目に「さかもと」という店があり、ここでやりたくて、交渉もしたんですよ。でもだめでした。いまは更地になってますね。
ぼくにとっての北海道は砂澤ビッキの場所です。
彼の「神の舌」は絶対に見に行かなくちゃと思いました。
坂本さんは「(作品に)近づくと声が変わる」と言ってまして「さすが音楽家だなあ」。
北海道はもう一つ、ぼくにとっては藤木正則さんがいるところです。
(藤木さんが4丁目交叉点に白線を引いた、伝説的なパフォーマンスを紹介)
アートって不思議なもので、こういう人がいるだけで、札幌に足を向けて寝られないなと思います。
4.石をどこから運び、どこに置くか
直球で、自然をガンと持ってくることをしたい、と坂本さんに答えました。
石が都会を見学して帰る、みたいなのをやりたかった。
石のパレードをやって、その上に坂本さんが乗っかったらおもしろい。
「どうですか」
「great」
と坂本さんに言われました。
北海道では石ばかり見ていました。
車を走らせて、良さそうな石があれば止まる、みたいな繰り返し。(胆振管内の)白老にはベーコンみたいな石がありました。
昔と違って法律が変わり、河川を管理する国から石を買い上げることができなくなっているんです。それに重い物を運ぶにも許可が要る。河原から運ぶにしても、そこに行く道を造らないとだめなんです。
最初は道路の真ん中に置きたかった。
4丁目交叉点の真ん中なら、藤木さんもビックリするんじゃないかと。
すすきの交叉点の中心には時計塔があるなら、石も置けるんじゃないかなとか。坂本さんも「いいねえ」と。
道の真ん中ならそんなに大きくなくてもいいかなと思いました。
でも、警察とのやりとりをしなくてはならず、カンベンしてしょいいと言われて。
そのとき、露口さん(露口啓二、写真家)から彫刻家を紹介され、その人から「石だったら貝沢さんがいいよ」と言われまして、二風谷の石屋さんの貝沢さんに会いに行ったんです。
行ってみたら、怖い顔してる人が坐ってて、ビビりました。でも、説明するしかない。
説明が終わったら、ニヤっとわらって
「片棒をかついでやる」
と言われました。
昔は家を建てると庭に石を置く人が多かったんですが、今は石を買う人がいないんですね。おじさんもうれしそうで、これはもうこの人とやるしかないと思いました。
貝沢さんのところは5回ぐらい通いました。ちょっとした遺跡のようです。
2、3日前にどの石にするか決めたんですが、坂本さんが病気になって、パレード案がムリになって、これは石に頑張ってもらわないとと、思ってたよりも大きい石にしました。
カムイノミもやりましたが、アイヌの人に、一度やったら、動かしたらダメなんだと言われて困りました。
5.おわりに、ヤナイから
書き始めると、ダラダラ長い文章になってしまい、これで本職が新聞記者だなんて信じられないですけど、許してください。
今後SIAFで「一石を投じる」についてオープンな話し合いの場を設けるとのことですが、その都度、島袋さんが来札するとのこと。
まさに「一石を投じた」結果になるわけですが、さて石はどこにゆくのでしょうか?
なお、後半の村田真さんのお話については、また稿を改めて…。
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