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(承前)
ところで、文学館という施設に行くたびいつも思うことは
文学館は本屋を併設せよ!
ということだ。
美術館の主役は作品だが、文学館の場合は、陳列されているものはあくまで資料であって、やはり
「本を読んでナンボのもの」
ではないだろうか。
ガラスケースの中の本をながめたって、その作家のことがわかるわけじゃないだろう。
文学館の展示で知って「あら、おもしろそう」と思った作品を、その場で入手できないのはなんとも歯がゆい(北海道弁だと「いずい」)。
近くの書店に行ってお目当ての本を見つけられればまだいいけど、本屋さんの棚にならんでいる文学書は、現役の人気作家のものばかり。文学館でとりあげているような作家や作品は、地味な文庫の棚にあったり、少部数の全集類に収められていることが多くて、小さな書店にはないし、大きな店では探すのに難渋する。
だから、文学館には、文学書に特化した本屋を設けてもらいたいのだ。
ついでに、道立文学館には、札幌市立図書館の検索端末を置けば便利なのではないだろうか。
どうしてこんなことをエンエンと書いているかというと、今回の吉増剛造展では、チラシなどで
「名作『石狩シーツ』」
なーんて、うたわれているくせに、肝心の「石狩シーツ」はどうやって読めばいいのじゃ! という怒りが、あらためてフツフツとわきあがってきたからなのだ。
札幌でいちばん大きいといわれている某書店に行っても、詩集の少ないことにはあきれるほかない。戦後の代表的な詩人の作品を収録した思潮社の「現代詩文庫」シリーズはあっても、現代詩の単行本の詩集はほとんどならんでいないのだ。
しかも「石狩シーツ」は、比較的新しい作品なので、「現代詩文庫」の吉増剛造詩集には収録されていないときている。
とはいえ、じぶんはどこかで「石狩シーツ」を読んだ記憶がある。
それが、どこで読んだのかを思い出せないでいた。
吉増剛造展の会場で「石狩シーツ」のコーナーに来て、思わず
「あっ、これか!」
と声をあげてしまった。
そこには、初出誌として「ユリイカ」の94年12月号があったのだ。
これなら、家にあるぞ。
「ユリイカ」のこの号は、フランスの文豪バルザックの特集である。
筆者はバルザックが好きだし、じっさいすごい小説家だと思う。「ゴリオじいさん」を読んで面白いと思わない人はいないだろう。
さて、家に帰って長編詩「石狩シーツ」を読み返してみる。
女坑夫さん、女坑夫さん…のリフレインが、絶唱というにふさわしい。
フッサ、シップ、望来、オオウバユリ…
さまざまな「音」がこだまし、残響する。
ところで、文学館という施設に行くたびいつも思うことは
文学館は本屋を併設せよ!
ということだ。
美術館の主役は作品だが、文学館の場合は、陳列されているものはあくまで資料であって、やはり
「本を読んでナンボのもの」
ではないだろうか。
ガラスケースの中の本をながめたって、その作家のことがわかるわけじゃないだろう。
文学館の展示で知って「あら、おもしろそう」と思った作品を、その場で入手できないのはなんとも歯がゆい(北海道弁だと「いずい」)。
近くの書店に行ってお目当ての本を見つけられればまだいいけど、本屋さんの棚にならんでいる文学書は、現役の人気作家のものばかり。文学館でとりあげているような作家や作品は、地味な文庫の棚にあったり、少部数の全集類に収められていることが多くて、小さな書店にはないし、大きな店では探すのに難渋する。
だから、文学館には、文学書に特化した本屋を設けてもらいたいのだ。
ついでに、道立文学館には、札幌市立図書館の検索端末を置けば便利なのではないだろうか。
どうしてこんなことをエンエンと書いているかというと、今回の吉増剛造展では、チラシなどで
「名作『石狩シーツ』」
なーんて、うたわれているくせに、肝心の「石狩シーツ」はどうやって読めばいいのじゃ! という怒りが、あらためてフツフツとわきあがってきたからなのだ。
札幌でいちばん大きいといわれている某書店に行っても、詩集の少ないことにはあきれるほかない。戦後の代表的な詩人の作品を収録した思潮社の「現代詩文庫」シリーズはあっても、現代詩の単行本の詩集はほとんどならんでいないのだ。
しかも「石狩シーツ」は、比較的新しい作品なので、「現代詩文庫」の吉増剛造詩集には収録されていないときている。
とはいえ、じぶんはどこかで「石狩シーツ」を読んだ記憶がある。
それが、どこで読んだのかを思い出せないでいた。
吉増剛造展の会場で「石狩シーツ」のコーナーに来て、思わず
「あっ、これか!」
と声をあげてしまった。
そこには、初出誌として「ユリイカ」の94年12月号があったのだ。
これなら、家にあるぞ。
「ユリイカ」のこの号は、フランスの文豪バルザックの特集である。
筆者はバルザックが好きだし、じっさいすごい小説家だと思う。「ゴリオじいさん」を読んで面白いと思わない人はいないだろう。
さて、家に帰って長編詩「石狩シーツ」を読み返してみる。
女坑夫さん、女坑夫さん…のリフレインが、絶唱というにふさわしい。
フッサ、シップ、望来、オオウバユリ…
さまざまな「音」がこだまし、残響する。