2018年10月12日、北海道新聞の渡島檜山版から。
渡島管内福島町の話題です。
「弯」は、正しく「彎」と書くべきかと思います。
それはさておき、吉岡漁港にはことし3月、「伊能忠敬北海道測量開始記念公園」というのが整備されたんですね。
http://www.town.fukushima.hokkaido.jp/kanko/miru/%E8%87%AA%E7%84%B6/%E4%BC%8A%E8%83%BD%E5%BF%A0%E6%95%AC%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E6%B8%AC%E9%87%8F%E9%96%8B%E5%A7%8B%E8%A8%98%E5%BF%B5%E5%85%AC%E5%9C%92-2/
4月27日に「伊能忠敬翁銅像」の除幕式が行われたそうです。
伊能忠敬(1745~1818)について、ここであらためて説明するまでもないでしょう。
千葉県九十九里生まれ。佐原で名主として栄え、貧民救済にも尽力しながら、49歳で隠居。その後、一念発起して上京し暦学を修め、全国各地を歩いて測量を続け、この時代としては驚異的な正確さで知られる日本地図を作り上げたことで有名です。
全国の海岸線を歩き通した忠敬ですが、第1回の測量の旅で向かったのが、蝦夷地だったのです。
このあと、様似、釧路などを経て、別海、根室に至っています。
さすがに佐原まで行くのは大変ですから、道内で、伊能忠敬や日本の歴史に興味のある人が足を運ぶのは、当然のことといえるかもしれません。
北海道はもともと、もっぱらアイヌ民族が住んでいた土地であり(今も住んでいますが)、本州以南にくらべると、江戸期以前の名所や遺構が少ないという事情があります。
そのあたりも、人気の秘密かもしれません。
福島町は、昭和の名横綱とうたわれた千代の富士の出身地。
小さな町から2人の横綱を出しており「横綱千代の山・千代の富士記念館」が有名です。
また青函トンネル工事では北海道側の建設基地のような存在で、一時は工事関係者で人口が増えました。現在は、記念館があります。
それ以外に、人を集めるような有名施設はあまりなく、伊能忠敬の像の人気は福島町の観光関係者にとってうれしいニュースではないでしょうか。
道内にも野外彫刻はたくさんありますが、話題になる作品は少ないです。
どんな名目であれ、注目されるのは良いことだと思います。
なお酒井さんは、東京都江東区の富岡八幡宮に設置されている「伊能忠敬銅像」も手がけた彫刻家。
・函館バス、松前方面行きで「豊浜」降車、約440メートル、徒歩6分
吉岡総合センターの所在はこちらのようです。
渡島管内福島町の話題です。
【福島】町吉岡から道内測量を始めた江戸時代の測量家、伊能忠敬の銅像が吉岡漁港内に完成してから半年近くがたち、町外から視察が相次いでいる。これまでに4組が訪れ、さらに1組を予定。学芸員らによる解説のほか、町施設での関連展示も好評だ。町教委などは忠敬を通じて町の歴史をPRし、人を呼び込みたい考えだ。
4日は函館市町会連合会中央地区の関係者20人が研修会と銘打ち、バスで銅像を訪れた。銅像前で町教委の鈴木志穂学芸員が、銅像を制作した横浜市の彫刻家・酒井道久さんなどについて紹介。町史研究会の中塚徹朗会長が「忠敬は当初、青森県三厩から函館に渡ろうとしたが、風で流されて吉岡に上陸した。そこから蝦夷地測量が始まった」と解説。参加者は熱心に聞き入った。
(中略)
銅像の視察は、9月ごろから増え始めた。同月中旬には、大野文化財保護研究会(北斗市)の20人が訪問。今月6日には道南を観光して巡るサイクルツアーの参加者約10人が立ち寄った。17日には渡島ブロック商工会女性部の研修会の一環で、道南の約100人が訪れる予定だ。
町内では、郷土資料を展示する「町チロップ館」(町白符)に忠敬の測量日記や地図などに関するパネル約20点を展示。銅像近くの町吉岡総合センターには、測量器具「弯窠羅鍼」なども展示している。銅像を見学する前後に、関連する展示を合わせて見学する団体が多いという。
(以下略)
「弯」は、正しく「彎」と書くべきかと思います。
それはさておき、吉岡漁港にはことし3月、「伊能忠敬北海道測量開始記念公園」というのが整備されたんですね。
http://www.town.fukushima.hokkaido.jp/kanko/miru/%E8%87%AA%E7%84%B6/%E4%BC%8A%E8%83%BD%E5%BF%A0%E6%95%AC%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E6%B8%AC%E9%87%8F%E9%96%8B%E5%A7%8B%E8%A8%98%E5%BF%B5%E5%85%AC%E5%9C%92-2/
4月27日に「伊能忠敬翁銅像」の除幕式が行われたそうです。
伊能忠敬(1745~1818)について、ここであらためて説明するまでもないでしょう。
千葉県九十九里生まれ。佐原で名主として栄え、貧民救済にも尽力しながら、49歳で隠居。その後、一念発起して上京し暦学を修め、全国各地を歩いて測量を続け、この時代としては驚異的な正確さで知られる日本地図を作り上げたことで有名です。
全国の海岸線を歩き通した忠敬ですが、第1回の測量の旅で向かったのが、蝦夷地だったのです。
このあと、様似、釧路などを経て、別海、根室に至っています。
さすがに佐原まで行くのは大変ですから、道内で、伊能忠敬や日本の歴史に興味のある人が足を運ぶのは、当然のことといえるかもしれません。
北海道はもともと、もっぱらアイヌ民族が住んでいた土地であり(今も住んでいますが)、本州以南にくらべると、江戸期以前の名所や遺構が少ないという事情があります。
そのあたりも、人気の秘密かもしれません。
福島町は、昭和の名横綱とうたわれた千代の富士の出身地。
小さな町から2人の横綱を出しており「横綱千代の山・千代の富士記念館」が有名です。
また青函トンネル工事では北海道側の建設基地のような存在で、一時は工事関係者で人口が増えました。現在は、記念館があります。
それ以外に、人を集めるような有名施設はあまりなく、伊能忠敬の像の人気は福島町の観光関係者にとってうれしいニュースではないでしょうか。
道内にも野外彫刻はたくさんありますが、話題になる作品は少ないです。
どんな名目であれ、注目されるのは良いことだと思います。
なお酒井さんは、東京都江東区の富岡八幡宮に設置されている「伊能忠敬銅像」も手がけた彫刻家。
・函館バス、松前方面行きで「豊浜」降車、約440メートル、徒歩6分
吉岡総合センターの所在はこちらのようです。