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毎日新聞「わたしの12月8日 日米開戦の記憶」。藤城清治さんの回想から

2010年12月07日 08時56分41秒 | 新聞などのニュースから
 毎日新聞の「くらしナビ 生活」面では、2010年12月6日から
「わたしの12月8日 日米開戦の記憶」
と題した3回連載記事を掲載している。

 7日は「中」。
 影絵作家として名高い藤城清治さん(86)をはじめ、絵本作家の松谷みよ子さん(84)たち4人が当時を振り返っている。
 
 開戦のニュースに「血わき肉躍るような気持ちだった」と振り返るのは、慶応大学予科生だった、影絵作家の藤城清治さん(86)だ。血気盛んな時期と戦争が重なった。50人近い級友は次々軍隊に志願し、半数以下になった。絵を愛し、子ども向けの人形劇を演じていた藤城さんも44年、海軍飛行隊に自ら入隊する。
 死を覚悟していたが、絵へのこだわりは捨てられなかった。「死ぬ前にセザンヌが見たい」と、大原美術館(岡山県倉敷市)までとんぼ返りの旅を強行。


 この記事を読んで驚いたのは、日米戦争が後半に入り敗色濃厚になっていた昭和19年当時でも、大原美術館が開館して、西洋画を一般に見せていたという事実である。
 昭和19年から20年にかけては、総動員体制がいっそう強化され、戦争遂行に無関係な不要不急の事柄に対しては次々と中止の措置が下されていた。帝展や二科展といった美術展も、昭和20年には開かれておらず、各美術団体はほとんど解散状態に追い込まれていた。個人旅行には厳しい目が向けられていたし、プロ野球もかろうじて昭和19年は試合数を減らして行われたが翌20年にはシーズンがなかった。
 松本竣介、麻生三郎らの「新人画会」は、こんな時期(昭和18~19年)に絵画展を開いたというだけでも、意義があるのだと思う。

 そんな中で、当時ほとんど国内唯一の美術館であった大原美術館が、西洋文化の灯を守り続けていたのだとしたら、これは特筆に価すると思う。
 セザンヌはフランスの画家で、厳密には、当時の「敵国」ではない。また、同美術館の宝ともいえるセガンティーニもエル・グレコも「敵国」の画家ではない。とはいえ、西洋文化一般をおとしめる風潮が幅を利かせ偏狭な国粋主義が大手を振って歩いていた時代に、開館していたという事実だけで、何だか勇気付けられるような気がするのは、筆者だけだろうか。


(追記)大事なことを忘れてた。
 藤代清治さんの影絵作品は、オホーツク管内遠軽町生田原にある「木のおもちゃワールド館 ちゃちゃワールド」で見ることができる。
 かなり見ごたえがあるので、お近くまでおこしの際は、ぜひ。



・JR生田原駅から800メートル、徒歩10分
(生田原にタクシー業者はありません)
・北海道北見バス「遠軽・北見線」で「ちゃちゃワールド」降車。ただし1日3往復で、2011年春に路線廃止予定


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