まったく未知の画家だが、金沢美術工芸大の大学院を修了したばかりで、現在は滝川市に住んでいるらしい。この若さで独立美術に5年連続して入選しているのはすごい。そして、それだけの実力の持ち主と見た。
とにかく、人間を、じっくり見据えている。といっても、古代ギリシャのような理想像を追求しているのでもなければ、文学的な修辞が勝っているのでもなく、とりたてて時代を表すような意匠が描かれているのでもない。現代を生きる若者にとって、あらゆる余計なものをそぎ落とした後に残る人間の本質みたいなものに、迫っているという感じがしてならないのだ。
筆者がとくに気に入ったのは「ashed」という作品。着衣の女性が2人、左側のシャツとスカートの女性は椅子に腰掛けてうなだれ、右側のワンピースの女性は左手をやや前に出して立っている、というだけの絵なのだが、ふたりに存在感と、同時に生きることの倦怠感のようなものが感じられ、深い印象を残す。
「関根正二へのオマージュ」は、すわる女性の背後で、手を前に出して歩いていく女性の列が、関根の名作「信仰の悲しみ」を連想させる。
「掌」は、真っ暗な中で、おそらく水に浸っているため膝から下が見えない裸の人物が、てのひらを前に差し出しているというもの。水面になにかの光が反射している。文学的な解釈もできそうだが、安易に解釈するとはねのけられそうな、芯の強さのようなものを持っている絵だと思う。
ここまで描いてきたことは、感想文でしかないが、そういう感想を語りたくなるような絵なのであった。また見たい。
5月16日(火)-21日(日)10:30-19:00、さいとうギャラリー(中央区南1西3、ラ・ガレリア5階
地図B)。
□「ashed」
□「モナド」へのリンク
とにかく、人間を、じっくり見据えている。といっても、古代ギリシャのような理想像を追求しているのでもなければ、文学的な修辞が勝っているのでもなく、とりたてて時代を表すような意匠が描かれているのでもない。現代を生きる若者にとって、あらゆる余計なものをそぎ落とした後に残る人間の本質みたいなものに、迫っているという感じがしてならないのだ。
筆者がとくに気に入ったのは「ashed」という作品。着衣の女性が2人、左側のシャツとスカートの女性は椅子に腰掛けてうなだれ、右側のワンピースの女性は左手をやや前に出して立っている、というだけの絵なのだが、ふたりに存在感と、同時に生きることの倦怠感のようなものが感じられ、深い印象を残す。
「関根正二へのオマージュ」は、すわる女性の背後で、手を前に出して歩いていく女性の列が、関根の名作「信仰の悲しみ」を連想させる。
「掌」は、真っ暗な中で、おそらく水に浸っているため膝から下が見えない裸の人物が、てのひらを前に差し出しているというもの。水面になにかの光が反射している。文学的な解釈もできそうだが、安易に解釈するとはねのけられそうな、芯の強さのようなものを持っている絵だと思う。
ここまで描いてきたことは、感想文でしかないが、そういう感想を語りたくなるような絵なのであった。また見たい。
5月16日(火)-21日(日)10:30-19:00、さいとうギャラリー(中央区南1西3、ラ・ガレリア5階
地図B)。
□「ashed」
□「モナド」へのリンク
今後もまた見てみたいです。