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書家の小川東洲さん死去

2022年10月03日 19時34分22秒 | 展覧会の紹介-書
 北海道新聞が10月3日夕に速報しました( https://www.hokkaido-np.co.jp/article/739960/?rct=n_major )。以下、引用します。



 海外でも活躍した書家の小川東洲(おがわ・とうしゅう、本名昭三=しょうぞう)さんが9月26日朝、肺炎のため東京都内の自宅で死去した。94歳。深川市出身。葬儀・告別式は近親者のみで行った。(中略)

 旧制滝川中(現滝川工業高)を出て北海道第一師範学校(現道教大札幌校)卒。深川や札幌などで中学教諭の傍ら書に取り組み、「東洲」の雅号を使い始めた。

 1964年に北海道書道展大賞、71年に独立書展の課題作「雲」で大賞に輝き、教職を退いて書に専念。77年、東京で「鶴」の1文字を書いた作品を集めた個展を開き、翌78年に芸術選奨・文部大臣新人賞、札幌市民芸術賞を受賞した。82年、北海道書人団を創立。89年には「天皇崩御」「昭和天皇大喪」を揮毫 き ごうし、NHKが各国大使館などへ寄贈した映像と写真集入りのきり箱に使われた。91年に北海道文化賞を受賞した。

(中略)

 1997年、英国の大英博物館で書の個展を開いた。

 札幌に自宅とアトリエを構え、札幌国際大教授、北海道書道連盟顧問を務めたが、2019年から東京へ移り住んでいた。


 札幌市民文化賞の経歴ページ( https://www.city.sapporo.jp/ncms/shimin/geijutsu/award_135.html )にも略歴が載っていますが、北海道書道展の図録のデータと微妙に食い違っています。
 64年の北海道書道展は第5回展で、このときの大賞受賞にともない小川さんは会員に推挙されています。

 筆者が見たことがあるのは、ほとんどが、晩年に取り組んでいた「炎」のシリーズです。
 黒い紙であることが多く、そこに朱で「炎」の文字が、古代の字体を踏まえて書かれていて、ほとんど絵のようでした。
 もともと絵文字であった漢字の来歴を考えれば、驚くには当たらないことなのですが。

 筆者は2018年、自らが創設した「北海道書人」展で作品を見ましたが、この後ほどなくして、北海道を引き払っていたことは知りませんでした。
 たしかに、ここ何年かは北海道書道展や書道連盟展などで拝見する機会もなかったです。
「北海道書人」は、中野層翠さん、羽毛蒼洲さんといった多くの書家を輩出しています。

 ご冥福をお祈りします。
 

過去の関連記事へのリンク
第37回北海道書人展 (2018)

小川東洲展 (2003)
=いずれも画像なし


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