北海道美術ネット別館

アート、写真、書など展覧会の情報や紹介、批評、日記etc。毎日更新しています

さらば鉄腕 稲尾投手

2007年11月14日 01時11分55秒 | つれづれ日録
鉄腕稲尾和久さんが急死、突然の悲報(日刊スポーツ) - goo ニュース

 美術とはまったく関係のない話題で恐縮ですが、西鉄ライオンズ(現西武)ファンだった親父からその快投ぶりを折にふれ聞かされていた身としては、やはり悲しいニュースです。

 いまや伝説となっている58年の、巨人を相手に3連敗の後4連勝した日本シリーズ。稲尾投手は4連投し、第5戦にはサヨナラホームランまで放っています。
 まさに、西鉄の3年連続日本一の立役者でした。
 とにかく、こんなすごい投手はもう2度と出ないでしょう。

 宇佐美徹也著「プロ野球データブック」から、彼のおもな記録をひろってみます。

○シーズン42勝(1961年)
 プロ野球記録。
 なお、旭川ゆかりのスタルヒン(巨人)も39年に42勝をマークしています。
 ただ、稲尾が14敗、スタルヒンが15敗なので、稲尾の名が先に出てくる場合が多いようです。
 この年、稲尾は、オールスター前の7月11日に20勝に到達しています(早過ぎ!)。
 ちなみに、この時点で、ライオンズの他の投手の勝ち星をすべてあわせても19勝だったといいますから、稲尾の活躍ぶりはダントツです。

○シーズン353奪三振(61年)
 パリーグ記録。
 プロ野球記録は、68年に江夏豊がつくった401(これもバケモノですけど)。
 なお、稲尾は58年に334、59年に321の三振を奪っています。

○シーズン78登板(61年)
 これは、どうなんでしょう。リリーフ、中継ぎが制度化された現在では、破られている可能性があります。ただ、この78回のうち、先発が30度あり、先発の成績は21勝3敗と、すごい勝率です。
 このときは、連投が26度。中3日以上あったのは18度しかありません。おそるべきタフネスぶりです。
 稲尾には1シーズン70登板というシーズンが、この61年を含め4度もあるのです。

○20連勝(57年)
 7月18日の大映スターズ(現千葉ロッテ)に完封勝ちしてスタート。
 9月3日の毎日オリオンズ(同)戦では五回、一塁を守ってワンポイントリリーフにマウンドをゆずり、六回からふたたび登板するという奇策で、14連勝目を挙げています。
 なんと76日間でつくられたというから、おどろくほかありません。
 また、12連勝目から19連勝目まですべて1点差試合だったことは、内容の濃い記録であることを物語っています。

○対近鉄22連勝(58-59年)
 まあ、これはいかに当時の近鉄パールスが弱かったか、ということでもありますが…。
 ちなみに58年の近鉄は29勝97敗、勝率2割3分8厘です。一昨年の楽天も「弱い」と話題になりましたが、その比ではありません。
 ただ、稲尾がすごいのは、61年には首位の南海ホークス(現ソフトバンク)から11勝もあげていることです。

○最優秀防御率5回
 新人王の年(56年)が、なんと1.06。
 なにせ通算でも1点台ですから。


 ご冥福をお祈りします。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
稲尾さん逝く (アルコ・ルガール)
2007-11-15 16:24:39
福岡生まれの私は、西鉄伝説をさんざん聞かされ
て育ちました。特に別府生まれの稲尾さんについ
ては「超人」としての逸話であふれております。

年間42勝については、スタルヒンの記録が後か
ら繰り上げ認定されたとのことで、後付のプラス
1勝を知った稲尾さんは「あと1回投げておけば
よかった」と言ったとか。

ただ、稲尾さんが賞賛されるべきところは、あの
穏やかな性格にもあると思います。

西鉄絡みでは、横浜やヤクルトの監督をやってい
た関根潤三さんが現役(投手のち外野手)時代、
西鉄の大打者・大下弘さんが「お前からは打たな
い」とこっそり告げたそうです(関根談)。炭鉱
が次々と消えて陰りのみえていた昭和30年代当
時の福岡にとって、西鉄のおおらかさと強さはな
にものにも替え難い存在だったと思います。
返信する
Unknown (ねむいヤナイ@北海道美術ネット)
2007-11-15 22:36:44
そっか、アルコ・ルガールさんは九州でしたね。
うちの親父は基山町出身、鳥栖高校卒です。

おおらかな時代だったんだと思います。

返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。