今回の展覧会の出品作200点のうち歌川国貞が138点(広重との合作含む)と最も多いため、これまでとりあげてきたのも国貞ばかりになってしまったのもやむをえないところですが、のこる歌川国芳と渓斎英泉の絵がつまらないということではもちろんありません。
もっとも、彼らの画業を総合的な見地から語るほどの見識は、筆者はむろん持ち合わせていないわけで、かぎられた今回の出品作から、たとえば、英泉の絵の題材は吉原関係が多いことなどを述べても、あんまり意味はないでしょう。
ただ、国芳は、今回の出品作にはありませんが、人の体をたくさんくっつけて人の顔に見立てた、アルチンボルドもびっくりの異色作「人をばかにした人だ」の作者であることは、記憶しておいてもいいかもしれません。かなり型破りの絵師だったようです。
さて、上に掲げた絵は、国芳の「船橋屋菓子司前」です。
図録によると、船橋屋は、文化年間初めに、深川佐賀町に開店した店で、当時は珍しかった練羊羹で売り出したのだそうです。尾張藩の御用菓子屋だったとか。しかし、この店、いまでもあるのかどうかはわかりません。
会期のこりわずか。
まだの人はお急ぎください。
2月7日-3月12日
道立近代美術館(中央区北1西17)
■(1)
■(2)
■(3)
■(4)
■(5)
もっとも、彼らの画業を総合的な見地から語るほどの見識は、筆者はむろん持ち合わせていないわけで、かぎられた今回の出品作から、たとえば、英泉の絵の題材は吉原関係が多いことなどを述べても、あんまり意味はないでしょう。
ただ、国芳は、今回の出品作にはありませんが、人の体をたくさんくっつけて人の顔に見立てた、アルチンボルドもびっくりの異色作「人をばかにした人だ」の作者であることは、記憶しておいてもいいかもしれません。かなり型破りの絵師だったようです。
さて、上に掲げた絵は、国芳の「船橋屋菓子司前」です。
図録によると、船橋屋は、文化年間初めに、深川佐賀町に開店した店で、当時は珍しかった練羊羹で売り出したのだそうです。尾張藩の御用菓子屋だったとか。しかし、この店、いまでもあるのかどうかはわかりません。
会期のこりわずか。
まだの人はお急ぎください。
2月7日-3月12日
道立近代美術館(中央区北1西17)
■(1)
■(2)
■(3)
■(4)
■(5)
ところで金曜日の道新夕刊の8・9ページの浮世絵の特集記事、あれはやないさんの筆によるものですか。そんな気がしました。
浮世絵美人画のサイズが新聞紙1ページのほぼ四分の一くらいの大きさであることに先ず驚きました。そのような小さな画面に描かれている江戸時代の日本の女性のうつくしいこと美しいこと粋なこといきなことまずまず感心するばかりです。
版元があり、絵師が居り、彫り師がおり、そして摺り師がいるという、まさに江戸の複製文化のシステムの、なせる業ですね。
これはジャーナリズム(大衆文化のいちシステム)の江戸時代的形態じゃないですか。
これほどの文化を体験していた江戸の庶民階層(武士階級ではないでしょう)に属する個人というのは一体何だったのでしょうか。明治以降の近代化日本という図式が、ちょっと、西欧的価値観に偏りすぎた一面的な見方であるという仄かな感想を抱きました。私はタダタダ魂げてしまいました。(それは江戸文化の余韻が色濃く残存する明治期の石川啄木の日記を読んでいても強く感ずることです。)
江戸末期ですから、そろそろ、西欧列強との外交関係や、日本国内における尊皇攘夷などの動きや、司馬遼太郎が描く志士たちが活動するぶっそうな時代に入っている頃ではないですか。あちらの国から江戸を訪れた者たち(外交官・軍人たち)もやはりこの江戸徳川王朝の「大衆文化」の豊かさにじかに触れて著しく身体に電気が走ったと思います。
国貞の美人画、始めて見ましたが、うーん、片岡球子さんのあの大きな画面「浮世絵師歌川国芳と浮世絵研究家鈴木重三先生』(1988)と比較しても遜色がない、ないどころか、緻密さといい、艶やかさといい、構成感といい、色彩感といい、江戸の国貞の美人画のほうが絶対にモダーンでいいのだ。
絵画における近代の発見というのはやはり舶来の輸入品でしかなかったのか。(用検証のこと。)
ま、盗みたいという気をそぞろに起こす写真や版画というものに滅多に出会うことがないのですが、心底、盗みたいという絵が何枚もありましたよ。隅々まで、美意識の神経がゆきとどいていて、隙がない。ほとほと感心しました。
肖像画ないしポートレートという視点に立って、これらの美人画を見てみると、これは現代の画家や写真家には描けない、撮れない世界であるという率直な感想を持ちます。ここにあるのは肉眼の視力の強度の歴然たる落差です。国貞の眼の玉の生理的構造がわれわれのとは全然違っているのじゃないのかとさえ思います。
①技術点と②芸術点による総合評価というフィギアスケートのやりかたがここでは通用する。美人画という共通のリンクの上で競争相手と技を競い合っている。絵が売れれば勝である。きわめて公正なルールである。
現代の表現というものの息苦しさというものからまったく自由に解放されている(と感じる)複製文化の一時代が直ぐ眼の前にあったなんて、ちょっと、ショックですね。
タイトルが先ずそそりますよ。
国芳の1852年の制作である「山海愛度図会」の「ねむったい」「これが着たい」「えりをぬきたい」「あたまかいたい」「人形になりたい」「はやくねかしたい」。英泉の「今様美人拾二景」の「うわきそう」「おもしろそう」「おてんばそう」「手がありそう」。
ここに描かれている女性像はきわめてモダーンな感覚をもっていると錯覚を起こさせるのだが。あるいは、これを描く絵師の感覚にもそれを感じるのであるが。
この異常なる観察力には私は脱帽する。
ところで、国貞の場合と著しく違って、この二人の場合はきわめて省略した描法を多く用いている。手抜きかなとも感じるくらいに。(彫り師の、あるいは摺り師のレベルで?)
その「省略」という方法意識にはあえてそうするという内的な必然があるのかもしれないとも思うが、そこら辺について、私には詳らかに出来ない。これも主観的な感想である。
国貞の美人画のほうにイカレテイル自分がいる。いい経験をさせてもらったのである。
(って、わたしが描いた絵でもなんでもないけど)
わたしは記事を書かない部署にいるので、あれは文化部の人の記事です。
西洋美術の歴史を根底から変えてしまった印象主義は、日本絵画との出会いの衝撃から生まれたことを思えば、こと浮世絵に限っていえば、西洋に匹敵する水準を持っていたといえると思います。
ただし、わたしたちがふつう思い浮かべる浮世絵は、かなりの部分、西洋画の輸入によって成立したという側面を持っていると思います。だから、これは、相互に影響しあっているというべきではないかと。
「隅々まで」というのも、一種デザイン的というか、日本的な美意識かもしれません。
(http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Utagawa_Kuniyoshi)
歌川国芳 (Utagawa Kuniyoshi, 1798 - 1861)
ではまた。
ブロードバンドじゃない環境でアクセスしたら、ページが開くのに1日かかりそうですね。
すごい。