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(長文です)
神田日勝(1937~70)は北海道美術史に残る洋画家であり、「室内風景」は彼が最晩年に残した代表作である。
その代表作をめぐる最新の研究成果を明らかにした、きわめて意義深い展覧会であり、私見では今年のベスト5に間違いなく入ると思う。
「室内風景」は、新聞紙がびっしりと三方の壁に貼られた部屋に、人物が一人膝を抱えて座るという、異様ともいえる光景を描いており、一度見たら忘れられまい。
彼の名が多少なりとも道外で知られているとすれば、「室内風景」が独立展(独立美術協会主催)に遺作として展示され、詩人・美術評論家の宗左近が紹介したことがきっかけであろう。
道立近代美術館に1977年の開館と同時に収蔵された。神田日勝記念美術館に展示されるのは、5年ぶりのこととなる。
ところで、この異色作の発想を、神田日勝はどこから得たのか?
それについて徹底的に調べる美術館の姿勢は、まるで探偵のようであり、そここそが今回の展覧会の見どころになっている。
影響の元として近年クローズアップされているのが、海老原暎さんの絵画「1969年3月30日」である。
日勝の知人だった画家で、いまは後志管内俱知安町にアトリエを構えている徳丸滋さんがこの絵を見たと、前館長の菅訓章さん(故人)に伝えた上で、講談社のシリーズ「現代の美術」に収載されている作品の図版を見せたのがきっかけで、なんと菅さんは生前、伊豆のアトリエに海老原さんを訪ねている。
今回は、くだんの「1969年3月30日」が初めて道内で展示される、というのが、目玉のひとつになっている。
この絵は、同日付の毎日新聞から1面や「都内中央版」、日曜版など9ページを選んでそのまま写生した作品。
筆者は念のため、当時の毎日新聞縮刷版を後日開いてみたが、たしかに絵画とおなじであるようだ。
東大闘争など全国に学生運動の嵐が吹き荒れていたころだが、とくに大きなニュースの直後ではなかったようで、1面トップは
「テレビとFM 教育に活用を 社会教育審が答申 “放送大学”の構想」。
2番手は「都の一兆円予算成立」。
3番手は「女子従業員五人死ぬ 新宿でトルコぶろ火事」で、火災現場の写真が大きく載っている(「トルコぶろ」という語に時代を感じる)。
絵の左下で描かれた社会面は、その新宿の火災の関連記事がトップ記事で、かなりの面積を占めている。
日曜版が写生されているのは、当時の新聞でカラー印刷だったのが、日曜版だけだったという事情があるだろう。
魚が群れ泳ぐ水中写真や、サントリーウイスキーの全面広告などが目を引く。
なお、これはこの絵についてだけでなく、新聞一般に言えることなのだが、「3月30日付」の新聞に載っているのはほとんどが「3月29日」の出来事である。だから、この「1969年3月30日」という題も、考え始めるとけっこう奥が深いのである。
一方、日勝の「室内風景}。
海老原さんの絵が、実際の紙面を貼ったように紙のしわやたわみも忠実に描いているのに対し、紙の物質性はあまり強調されていない。
しかし最大の違いは「室内風景」に描かれている新聞が、実在のものではないということだ。
絵に添えられた解説には
「新聞には日時や社名が入っていますが当時のものとは合致せず、虚構のものであることがわかっています」
と明記されているのだ。
実際の新聞の通りではないだろうーというのは、前から薄々感じていた。
見出しの配置や、記事の段数など、紙面整理の常道ではあり得ない例が散見されるからだ。
(たとえば、絵の中の昭和45年8月8日の北海道新聞夕刊は6段組みの紙面になっているが、こういう段組みは存在しない。8段、10段、12段、15段=全段=のいずれかと決まっている)
虚構であるなら、「疲れて困るよ!」という広告の中のことばは、ひょっとすると日勝の心の声かもしれないと思い、胸が痛む。
中央に、生きた人物を配したため、やはり見る側に迫ってくる迫力では、日勝に軍配を上げたい気持ちになる。
新聞をめぐる細かい議論が続いたが、この展覧会では「室内風景」に至る過程という位置づけで、「画室」のAからEまでの5点と、題が同じで内容が異なる「室内風景」も並べている。「画室 D」「画室 E」は道立帯広美術館、「室内風景」は道立近代美術館の所蔵品で、いずれも横位置。
このうち、同名の「室内風景」は、新聞や小型テレビ、SONY製ポータブルラジオ、雑誌の束などが描かれており、有名な「室内風景」の、まさに前段階の作といえることができるだろう。「室内風景」は「情報化社会の暗喩」である-という議論は以前からなされてきたからだ。
この6点を並べてみると、絵の具の缶が並んで色彩の多彩さが強調されている初期作から、情報化社会を暗示した後期作までの推移がみえてくるようだ。
今展では「画室」シリーズの元ネタとして、美術雑誌「みづゑ」736号(1966年1月号)の「フォトインタビュー 山口薫」のグラビアを挙げている。絵の具の缶が並んでいるというところが共通点だ。
このほかにも興味深い指摘がいろいろあった。
「室内風景」がテーマのため、開館以来、いちばん良い場所に架けられてきた遺作「馬」は、「室内風景」に場所を譲って、はじめて中二階の展示コーナーに移動していた。
その「馬」についても、馬が室内にいる不思議な光景を書いた最晩年のスケッチなどが展示され、もし日勝にもっと長い寿命が与えられていたらどんな画業の展開を見せたか、興味深く感じた。
スケッチといえば、室内で座り込む人物像の変遷なども説明されていた。
さらに、開館25周年記念ということで、歴代の企画展のポスターも並んで貼られていた。
というわけで、非常に盛りだくさんな内容だった。
かつて「早世の農民画家」という文脈で語られてきた神田日勝が、同時代の美術や社会の動向に対して予想を上回る敏感さで反応していたということがよくわかった。
画家を時代の中に位置づけ、顕彰をアップデートしていくという、個人美術館のあり方を、地味ながらもしっかりと提示した展覧会だと思う。
惜しむらくは図録がないことで、紀要や小冊子で良いから、展覧会の成果を何らかの形でまとめてほしいと思う。
2018年6月12日(火)~9月2日(日)午前10時~午後5時(入場~4時半)
神田日勝記念美術館(十勝管内鹿追町東町3)
関連記事へのリンク
■「室内における人間像~その空間と存在」―神田日勝の『室内風景』の内奥へ (2013、画像あり)
■神田日勝・浅野修 生誕75年記念展 (2013、画像あり)
■神田日勝と新具象の画家たち (2012)
【告知】神田日勝、画家デビューの頃 ~early1960's (2011)
神田日勝記念美術館だより28号の充実度がすごい件について/「室内風景」の発想源は? (2010)
平成21年度前期常設展「神田日勝の自画像~ 自分を見つめて」
■神田日勝の世界 「室内風景」と「馬」の対面(2008年)
■「信仰」と「芸術」
宗左近さんと神田日勝
神田日勝(1937~70)は北海道美術史に残る洋画家であり、「室内風景」は彼が最晩年に残した代表作である。
その代表作をめぐる最新の研究成果を明らかにした、きわめて意義深い展覧会であり、私見では今年のベスト5に間違いなく入ると思う。
「室内風景」は、新聞紙がびっしりと三方の壁に貼られた部屋に、人物が一人膝を抱えて座るという、異様ともいえる光景を描いており、一度見たら忘れられまい。
彼の名が多少なりとも道外で知られているとすれば、「室内風景」が独立展(独立美術協会主催)に遺作として展示され、詩人・美術評論家の宗左近が紹介したことがきっかけであろう。
道立近代美術館に1977年の開館と同時に収蔵された。神田日勝記念美術館に展示されるのは、5年ぶりのこととなる。
ところで、この異色作の発想を、神田日勝はどこから得たのか?
それについて徹底的に調べる美術館の姿勢は、まるで探偵のようであり、そここそが今回の展覧会の見どころになっている。
影響の元として近年クローズアップされているのが、海老原暎さんの絵画「1969年3月30日」である。
日勝の知人だった画家で、いまは後志管内俱知安町にアトリエを構えている徳丸滋さんがこの絵を見たと、前館長の菅訓章さん(故人)に伝えた上で、講談社のシリーズ「現代の美術」に収載されている作品の図版を見せたのがきっかけで、なんと菅さんは生前、伊豆のアトリエに海老原さんを訪ねている。
今回は、くだんの「1969年3月30日」が初めて道内で展示される、というのが、目玉のひとつになっている。
この絵は、同日付の毎日新聞から1面や「都内中央版」、日曜版など9ページを選んでそのまま写生した作品。
筆者は念のため、当時の毎日新聞縮刷版を後日開いてみたが、たしかに絵画とおなじであるようだ。
東大闘争など全国に学生運動の嵐が吹き荒れていたころだが、とくに大きなニュースの直後ではなかったようで、1面トップは
「テレビとFM 教育に活用を 社会教育審が答申 “放送大学”の構想」。
2番手は「都の一兆円予算成立」。
3番手は「女子従業員五人死ぬ 新宿でトルコぶろ火事」で、火災現場の写真が大きく載っている(「トルコぶろ」という語に時代を感じる)。
絵の左下で描かれた社会面は、その新宿の火災の関連記事がトップ記事で、かなりの面積を占めている。
日曜版が写生されているのは、当時の新聞でカラー印刷だったのが、日曜版だけだったという事情があるだろう。
魚が群れ泳ぐ水中写真や、サントリーウイスキーの全面広告などが目を引く。
なお、これはこの絵についてだけでなく、新聞一般に言えることなのだが、「3月30日付」の新聞に載っているのはほとんどが「3月29日」の出来事である。だから、この「1969年3月30日」という題も、考え始めるとけっこう奥が深いのである。
一方、日勝の「室内風景}。
海老原さんの絵が、実際の紙面を貼ったように紙のしわやたわみも忠実に描いているのに対し、紙の物質性はあまり強調されていない。
しかし最大の違いは「室内風景」に描かれている新聞が、実在のものではないということだ。
絵に添えられた解説には
「新聞には日時や社名が入っていますが当時のものとは合致せず、虚構のものであることがわかっています」
と明記されているのだ。
実際の新聞の通りではないだろうーというのは、前から薄々感じていた。
見出しの配置や、記事の段数など、紙面整理の常道ではあり得ない例が散見されるからだ。
(たとえば、絵の中の昭和45年8月8日の北海道新聞夕刊は6段組みの紙面になっているが、こういう段組みは存在しない。8段、10段、12段、15段=全段=のいずれかと決まっている)
虚構であるなら、「疲れて困るよ!」という広告の中のことばは、ひょっとすると日勝の心の声かもしれないと思い、胸が痛む。
中央に、生きた人物を配したため、やはり見る側に迫ってくる迫力では、日勝に軍配を上げたい気持ちになる。
新聞をめぐる細かい議論が続いたが、この展覧会では「室内風景」に至る過程という位置づけで、「画室」のAからEまでの5点と、題が同じで内容が異なる「室内風景」も並べている。「画室 D」「画室 E」は道立帯広美術館、「室内風景」は道立近代美術館の所蔵品で、いずれも横位置。
このうち、同名の「室内風景」は、新聞や小型テレビ、SONY製ポータブルラジオ、雑誌の束などが描かれており、有名な「室内風景」の、まさに前段階の作といえることができるだろう。「室内風景」は「情報化社会の暗喩」である-という議論は以前からなされてきたからだ。
この6点を並べてみると、絵の具の缶が並んで色彩の多彩さが強調されている初期作から、情報化社会を暗示した後期作までの推移がみえてくるようだ。
今展では「画室」シリーズの元ネタとして、美術雑誌「みづゑ」736号(1966年1月号)の「フォトインタビュー 山口薫」のグラビアを挙げている。絵の具の缶が並んでいるというところが共通点だ。
このほかにも興味深い指摘がいろいろあった。
「室内風景」がテーマのため、開館以来、いちばん良い場所に架けられてきた遺作「馬」は、「室内風景」に場所を譲って、はじめて中二階の展示コーナーに移動していた。
その「馬」についても、馬が室内にいる不思議な光景を書いた最晩年のスケッチなどが展示され、もし日勝にもっと長い寿命が与えられていたらどんな画業の展開を見せたか、興味深く感じた。
スケッチといえば、室内で座り込む人物像の変遷なども説明されていた。
さらに、開館25周年記念ということで、歴代の企画展のポスターも並んで貼られていた。
というわけで、非常に盛りだくさんな内容だった。
かつて「早世の農民画家」という文脈で語られてきた神田日勝が、同時代の美術や社会の動向に対して予想を上回る敏感さで反応していたということがよくわかった。
画家を時代の中に位置づけ、顕彰をアップデートしていくという、個人美術館のあり方を、地味ながらもしっかりと提示した展覧会だと思う。
惜しむらくは図録がないことで、紀要や小冊子で良いから、展覧会の成果を何らかの形でまとめてほしいと思う。
2018年6月12日(火)~9月2日(日)午前10時~午後5時(入場~4時半)
神田日勝記念美術館(十勝管内鹿追町東町3)
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宗左近さんと神田日勝