(承前)
というわけで、かつて北海道の基幹産業であった石炭と、それを生み出していた炭坑にスポットを当てた幌内布引アートプロジェクトを、駆け足で紹介してきました。
上遠野敏さんと札幌市立大学美術部noumenonのみなさんが手がけた作品はどれも、炭坑跡に設置することを前提に制作されたものです。
設置個所を考慮に入れて作ることは「サイトスペシフィック」といい、近年の美術界では大きな流れになっています。
これまでの絵画などの作品はギャラリーや美術館で鑑賞することが前提になっていました。したがって、パリのギャラリーで見ようが札幌の美術館で見ようが、その価値も見え方もおなじだとされてきました。また、展示場所も、どこの都市、どの会場も、似たような構えになってきています(これを、ホワイトキューブといいます)。
そんなの当たり前じゃないか、という人もいるかもしれません。しかし、もっと古い時代には、絵や彫刻は発注されるときからどの教会やお城の部屋にすえつけられるか決まっていたものではないでしょうか。事情は日本でもおなじでしょう。掛け軸を所望する人は、自宅がどんな状態なのかを考えて、そこににあうものをえらんでいたにちがいありません。
ホワイトキューブというのは、絵や彫刻が動産となり、移動可能な財産の一種となった近代という時代の所産なのです。
しかし、わたしたちの日常生活が「場所」「土地」というものと切り離せないものである以上、美術作品がそういった要素から独立しつづけていられると考えるのは、非現実的といえましょう。本が、そしていまでは音楽や映像も、場所を問わず受容可能なメディアであるのと対照的に、美術作品が1点限りの性質を持つものである以上(工芸のアクセサリーなどは別として)、どこか「特定の場所」で見なくてはならないものだからです。
今回のアートプロジェクトは、作品はどちらかというと引き立て役で、場所の持つ力が圧倒的に強かったといえそうです。
上遠野さんに車で送っていただいたときにすこし話したのですが、札幌で国際美術展を開きたいという声があるのだけれど、こういうところを会場にするのもおもしろいんじゃないかと。
札幌のホワイトキューブ(美術館やギャラリー)だけで展示するのであれば、札幌で開く意味というか、札幌でなければならない必然性が、あまりないわけです。
「北海道の中で札幌だけ盛り上がってもね。空知のマチにも元気になってもらわないと」
ことし、越後妻有アートトリエンナーレ「大地の芸術祭」を再訪して、地元の人々の盛り上がりを目の当たりにした上遠野さんは、今回の準備のため幌内地区で泊り込んで、地元の人々から歓待を受けて、いろいろ考えるところがあったようです。
日本の近代の発展を底から支えてきた「地方」がますます斜陽化の度を強めている現在、そして、戦後の歩みがそろそろ「歴史」になりつつある現在、石炭の時代をあらためて振り返ることは、意義深いことだとおもいつつ、会場を後にしたのでした。
(この項いったん終わり)
というわけで、かつて北海道の基幹産業であった石炭と、それを生み出していた炭坑にスポットを当てた幌内布引アートプロジェクトを、駆け足で紹介してきました。
上遠野敏さんと札幌市立大学美術部noumenonのみなさんが手がけた作品はどれも、炭坑跡に設置することを前提に制作されたものです。
設置個所を考慮に入れて作ることは「サイトスペシフィック」といい、近年の美術界では大きな流れになっています。
これまでの絵画などの作品はギャラリーや美術館で鑑賞することが前提になっていました。したがって、パリのギャラリーで見ようが札幌の美術館で見ようが、その価値も見え方もおなじだとされてきました。また、展示場所も、どこの都市、どの会場も、似たような構えになってきています(これを、ホワイトキューブといいます)。
そんなの当たり前じゃないか、という人もいるかもしれません。しかし、もっと古い時代には、絵や彫刻は発注されるときからどの教会やお城の部屋にすえつけられるか決まっていたものではないでしょうか。事情は日本でもおなじでしょう。掛け軸を所望する人は、自宅がどんな状態なのかを考えて、そこににあうものをえらんでいたにちがいありません。
ホワイトキューブというのは、絵や彫刻が動産となり、移動可能な財産の一種となった近代という時代の所産なのです。
しかし、わたしたちの日常生活が「場所」「土地」というものと切り離せないものである以上、美術作品がそういった要素から独立しつづけていられると考えるのは、非現実的といえましょう。本が、そしていまでは音楽や映像も、場所を問わず受容可能なメディアであるのと対照的に、美術作品が1点限りの性質を持つものである以上(工芸のアクセサリーなどは別として)、どこか「特定の場所」で見なくてはならないものだからです。
今回のアートプロジェクトは、作品はどちらかというと引き立て役で、場所の持つ力が圧倒的に強かったといえそうです。
上遠野さんに車で送っていただいたときにすこし話したのですが、札幌で国際美術展を開きたいという声があるのだけれど、こういうところを会場にするのもおもしろいんじゃないかと。
札幌のホワイトキューブ(美術館やギャラリー)だけで展示するのであれば、札幌で開く意味というか、札幌でなければならない必然性が、あまりないわけです。
「北海道の中で札幌だけ盛り上がってもね。空知のマチにも元気になってもらわないと」
ことし、越後妻有アートトリエンナーレ「大地の芸術祭」を再訪して、地元の人々の盛り上がりを目の当たりにした上遠野さんは、今回の準備のため幌内地区で泊り込んで、地元の人々から歓待を受けて、いろいろ考えるところがあったようです。
日本の近代の発展を底から支えてきた「地方」がますます斜陽化の度を強めている現在、そして、戦後の歩みがそろそろ「歴史」になりつつある現在、石炭の時代をあらためて振り返ることは、意義深いことだとおもいつつ、会場を後にしたのでした。
(この項いったん終わり)
これは行くのが大変そうで、挫折しました。
雰囲気だけでも多少分って、大変ありがたいです。
「場の力」を感じますね。
SHさんの健脚なら、三笠からじゅうぶん歩いてこられたのではないかと。
ほんとうに、おっしゃるとおり、「場の力」がありました。