道文化奨励賞受賞を記念し、版画だけの展覧会をやりませんか、というギャラリー側のオファーによって実現した個展。
艾沢(よもぎざわ)さんは札幌在住で、道外や国外でも発表している版画家だが、この10年ほど、道内ではインスタレーションの発表が大半になっている。
「自分が版画家であることを知らない世代もいるかもしれないし、ここらで自分の仕事を見つめなおしたくなって。自分も、先輩たちのこういう(回顧展的な)展示を見ていろいろ学んだんだし」
艾沢さんが美術活動を始めたのは1974年ごろ。
今回は、80年以降の銅版画とコラグラフ(版画の一種)を並べている。
いちばん新しい作品には「'15」の記入がある。しばらく中断していて、今年制作を再開して完成させた1点だ。
最も初期の油彩にはふつうに色があったらしいが、今回の出品作はすべてモノトーン。
「だって、色があると、おしゃべりしちゃうでしょ」
なるほど。
色彩は作者の意図を離れて、自らなにかを語ってしまう。
80年代、最初期の銅版画には、人物などが描かれている。
艾沢さんの具象画を見るのは初めてなので、びっくりした。
「Rust City (n5w27 Sapporo) 89」には、当時住んでいたアパートが取り壊されるのをじっと見つめていたときの心象が刻印されている。アパートを写実的に描写するのではなく、黒っぽい塊として描き、その手前に、象徴的な人物を点在させている。
また、80年代から90年代にかけての作品には、父親を亡くした際の心境が反映しているとのこと。
初期のころ、米谷雄平さん(故人)に作品を審査してもらう機会があり、その際、多くの人は画面をデザインしているけれど、艾沢さんは立体のように作っている、四隅を気にしていない―という評をもらったという。
自分はこのまま制作しつづけていっていいんだ、という意を強くした言葉だったそうだ。
比較的新しい4点の大きな作品、とりわけ、右側の2点は、懐かしかった。
2002年に東京に雪舟展に行った際に立ち寄った、京橋のギャラリーで見たときの記憶がよみがえってきた。
髪の毛のようでもあり、植物の表面に生える毛のようでもあり、ゆらぐ根のようでもある、黒い触手様のもの。
それは、一本一本が、ふつふつとわきあがる思いを宿した線なのだろう。
わずかな凹凸が紙の表面を刻む。
おもしろいのは、白黒こそ反転しているが、それらの形状が、昨年の関口雄揮記念美術館でのインスタレーションとよく似ていることだ。
「版画とかドローイングとかインスタレーションとか、それらの間の垣根が低いのね、わたしは」
ついでにいえば、艾沢さんが初めて東京で個展を開いたのは、やや遅くて、90年代に入ってからだった。もう40代になっていたという。
しかし、彼女自身予想もしていなかったのだが、自分のような作品は、東京でも誰も制作・発表していなかった。
評価を得て、それからは、何度も東京で個展を開くようになっていく。
先に紹介した米谷さんの言葉通り、艾沢さんの描くフォルムは、矩形のなかにおさまろうという動機を持っていない。
だからこそ、やり場のない思いがあたかも噴出しているかのように見えるのだろう。
2015年2月25日~3月9日(月)正午~午後6時、火休み
ギャラリーレタラ(札幌市中央区北1西28 moma-place.jp )。
■ACROSS (2013)
■交差する視点とかたち vol.2 (2008年)
■艾沢詳子「無辜の民'07 冬音」(07年12月)=□関聨のページ(STVエントランスアート)
■艾沢詳子 闇のシナプス(07年5月)
■06年の「北の彫刻展」 (画像なし)
■03年の「札幌の美術」
■02年の版画、ドローイング展(画像なし)
艾沢(よもぎざわ)さんは札幌在住で、道外や国外でも発表している版画家だが、この10年ほど、道内ではインスタレーションの発表が大半になっている。
「自分が版画家であることを知らない世代もいるかもしれないし、ここらで自分の仕事を見つめなおしたくなって。自分も、先輩たちのこういう(回顧展的な)展示を見ていろいろ学んだんだし」
艾沢さんが美術活動を始めたのは1974年ごろ。
今回は、80年以降の銅版画とコラグラフ(版画の一種)を並べている。
いちばん新しい作品には「'15」の記入がある。しばらく中断していて、今年制作を再開して完成させた1点だ。
最も初期の油彩にはふつうに色があったらしいが、今回の出品作はすべてモノトーン。
「だって、色があると、おしゃべりしちゃうでしょ」
なるほど。
色彩は作者の意図を離れて、自らなにかを語ってしまう。
80年代、最初期の銅版画には、人物などが描かれている。
艾沢さんの具象画を見るのは初めてなので、びっくりした。
「Rust City (n5w27 Sapporo) 89」には、当時住んでいたアパートが取り壊されるのをじっと見つめていたときの心象が刻印されている。アパートを写実的に描写するのではなく、黒っぽい塊として描き、その手前に、象徴的な人物を点在させている。
また、80年代から90年代にかけての作品には、父親を亡くした際の心境が反映しているとのこと。
初期のころ、米谷雄平さん(故人)に作品を審査してもらう機会があり、その際、多くの人は画面をデザインしているけれど、艾沢さんは立体のように作っている、四隅を気にしていない―という評をもらったという。
自分はこのまま制作しつづけていっていいんだ、という意を強くした言葉だったそうだ。
比較的新しい4点の大きな作品、とりわけ、右側の2点は、懐かしかった。
2002年に東京に雪舟展に行った際に立ち寄った、京橋のギャラリーで見たときの記憶がよみがえってきた。
髪の毛のようでもあり、植物の表面に生える毛のようでもあり、ゆらぐ根のようでもある、黒い触手様のもの。
それは、一本一本が、ふつふつとわきあがる思いを宿した線なのだろう。
わずかな凹凸が紙の表面を刻む。
おもしろいのは、白黒こそ反転しているが、それらの形状が、昨年の関口雄揮記念美術館でのインスタレーションとよく似ていることだ。
「版画とかドローイングとかインスタレーションとか、それらの間の垣根が低いのね、わたしは」
ついでにいえば、艾沢さんが初めて東京で個展を開いたのは、やや遅くて、90年代に入ってからだった。もう40代になっていたという。
しかし、彼女自身予想もしていなかったのだが、自分のような作品は、東京でも誰も制作・発表していなかった。
評価を得て、それからは、何度も東京で個展を開くようになっていく。
先に紹介した米谷さんの言葉通り、艾沢さんの描くフォルムは、矩形のなかにおさまろうという動機を持っていない。
だからこそ、やり場のない思いがあたかも噴出しているかのように見えるのだろう。
2015年2月25日~3月9日(月)正午~午後6時、火休み
ギャラリーレタラ(札幌市中央区北1西28 moma-place.jp )。
■ACROSS (2013)
■交差する視点とかたち vol.2 (2008年)
■艾沢詳子「無辜の民'07 冬音」(07年12月)=□関聨のページ(STVエントランスアート)
■艾沢詳子 闇のシナプス(07年5月)
■06年の「北の彫刻展」 (画像なし)
■03年の「札幌の美術」
■02年の版画、ドローイング展(画像なし)