Horonai Nunobiki Art Project
September 20 - November 3,2009
11月3日、最終日の最終回に行ってきました、「幌内布引アートプロジェクト」。
いつもいつも、会期末のぎりぎりチョップ状態になってしまう小生の悪い癖であります。
結論からいえば、行ってよかったです!
ことしの美術展(というくくりでいいのかどうかわかりませんが)では、出色だったのではないでしょうか。
11月初旬は札幌でも初雪がちらつき
「寒いなー」
なんて思っていたのですが、考えが甘かった。高速(道央道)の三笠インターをおりたら、まわりはすっかり雪道。
夏タイヤなのに…。
まあ、気温はプラス1、2度で、路面は凍結していなかったので、なんとかなりましたが。
(ちなみに筆者は昔、雪の北見峠を夏タイヤで越えたことがある)
人通りの少ない三笠市街地でぽつんと営業していたサッポロドラッグストアで手袋などを買って、いざ、現地へ。
幌内地区は、三笠市街地から南へ3キロほど行った先にあります。
幌内には大きな炭鉱があり、国鉄の幌内-三笠-岩見沢-札幌-手宮(小樽)の間は、道内で最初に(国内でも事実上3番目)敷かれた線路でした。
いまは、かつて駅のあったあたりに、三笠鉄道記念館があります(■参考)。10月中旬から冬季休業に入っていましたが…。ここから奥には、民家はほとんどありません。
しかし、20年ほど前までは、大きな集落があり、多くの人が暮らしていたのです。
ところで、幌内炭鉱とはどういうところで、今回のアートプロジェクの概要はどんなものなのでしょうか。
作家の上遠野敏さんからのメールを引用してみます。
上遠野さんは、札幌で活躍中の現代美術作家であり、おりにふれ北海道美術ネット別館に道外の展覧会の感想を寄稿してくださるなど、いろいろお世話になっている方ですが、リアルでお会いするのは、ほんとうにひさしぶりです。
ビジターセンター前で長靴をお借りして履き替え、上遠野さんの車に乗せてもらって、まず布引隧道へ。
センターからは300メートルほど行き、左側に少し下がった沢の先にあります。
インスタレーション「黒い狩人の往来」(ろうそく、風車、オブジェ、鉄、太陽光、霧、水、隧道トンネル空間)
このトンネルは、メーン会場のほうへとつながっています。
暗い空間を行きすぎる風が、ろうそくの炎をちらちらと揺らします。
はるかな時間を超えてきた風なのかもしれません。
ここからさらに奥へ行くと、幌内神社と幌内変電所の跡があります。
神社はすでに社屋はありません。
変電所は、れんが造りの立派な建物ですが、やはりかなり傷んできているとのこと。
神社の少し手前側の、道路の南側には、市民手づくりによる「幌内炭鉱景観公園」があります。
廃墟がそのまま公園になっている、すごいところですが、筆者が行ったときは半分雪の下でした。
さて、ビジターセンターにいったん戻って、いよいよメーン会場に行きます。
冒頭の画像は、メーン会場の入り口にはためいていた、札幌市立大学美術部noumenonによる「手ぬぐう道」。
炭鉱夫さんたちが入坑時、首にまいたタオルをイメージして、白いタオルをロープにぶらさげています。
あたりが雪で白いので、白いタオルがいっそう引き立っています。
(ダニエル・ビュラン的な祝祭の感覚もありますね)
最初、上遠野さんや学生さんたちは、このへんの草刈りから始めたそうです。ご苦労さまです。雪が積もってしまうと、苦労の跡がわかりませんが。
2009年9月20日(日)-11月3日(火)の、土・日曜、祝日のみ
□NPO法人 炭鉱の記憶推進事業団 http://www.soratan.com/top.html
□奥井理ギャラリーの関連ページ http://ameblo.jp/m-okui/entry-10368834202.html
□朽築館徘徊日記の関連ページ(製作途中で撮った写真があります) http://blogs.yahoo.co.jp/pndcy047/29538956.html
□毎日が夏休み(アートプロジェクトの写真のほか、景観公園の写真も多数あり)http://blog.goo.ne.jp/mezzo696
(この項続く)
September 20 - November 3,2009
11月3日、最終日の最終回に行ってきました、「幌内布引アートプロジェクト」。
いつもいつも、会期末のぎりぎりチョップ状態になってしまう小生の悪い癖であります。
結論からいえば、行ってよかったです!
ことしの美術展(というくくりでいいのかどうかわかりませんが)では、出色だったのではないでしょうか。
11月初旬は札幌でも初雪がちらつき
「寒いなー」
なんて思っていたのですが、考えが甘かった。高速(道央道)の三笠インターをおりたら、まわりはすっかり雪道。
夏タイヤなのに…。
まあ、気温はプラス1、2度で、路面は凍結していなかったので、なんとかなりましたが。
(ちなみに筆者は昔、雪の北見峠を夏タイヤで越えたことがある)
人通りの少ない三笠市街地でぽつんと営業していたサッポロドラッグストアで手袋などを買って、いざ、現地へ。
幌内地区は、三笠市街地から南へ3キロほど行った先にあります。
幌内には大きな炭鉱があり、国鉄の幌内-三笠-岩見沢-札幌-手宮(小樽)の間は、道内で最初に(国内でも事実上3番目)敷かれた線路でした。
いまは、かつて駅のあったあたりに、三笠鉄道記念館があります(■参考)。10月中旬から冬季休業に入っていましたが…。ここから奥には、民家はほとんどありません。
しかし、20年ほど前までは、大きな集落があり、多くの人が暮らしていたのです。
ところで、幌内炭鉱とはどういうところで、今回のアートプロジェクの概要はどんなものなのでしょうか。
作家の上遠野敏さんからのメールを引用してみます。
北炭幌内炭鉱は、北海道最初の近代炭鉱として開発された1879(明治12)年から
閉山の1989(平成元)年まで、その歴史は世紀を超える。数ある坑口の中で
布引坑は、1917(大正6)年に開削された深さ297mの立坑で、その後半世紀
にわたり主力坑口として活躍した。1967(昭和42)年の幌内立坑完成によって、
入坑口から坑内排気へと役割が変化したが、1975年に幌内立坑直下で発生した
ガス爆発事故では、その復旧作業に欠かすことのできない存在であった。
1970年代後半には沢を埋めていた炭鉱住宅もほとんど姿を消し、
理化によって立坑は役割を終えた。閉山時に主要施設は撤去されたが、
開削時に建設された煉瓦・コンクリート合築の巻上機械の建物や、
坑口から排気扇風機に至るコンクリート風洞は、今でも残っている。
上遠野敏と札幌市立大学美術部noumenon(ノメノン)が、
幌内炭鉱半世紀の歴史を記憶した空間を活かして作品を制作しました。
上遠野さんは、札幌で活躍中の現代美術作家であり、おりにふれ北海道美術ネット別館に道外の展覧会の感想を寄稿してくださるなど、いろいろお世話になっている方ですが、リアルでお会いするのは、ほんとうにひさしぶりです。
ビジターセンター前で長靴をお借りして履き替え、上遠野さんの車に乗せてもらって、まず布引隧道へ。
センターからは300メートルほど行き、左側に少し下がった沢の先にあります。
インスタレーション「黒い狩人の往来」(ろうそく、風車、オブジェ、鉄、太陽光、霧、水、隧道トンネル空間)
このトンネルは、メーン会場のほうへとつながっています。
暗い空間を行きすぎる風が、ろうそくの炎をちらちらと揺らします。
はるかな時間を超えてきた風なのかもしれません。
ここからさらに奥へ行くと、幌内神社と幌内変電所の跡があります。
神社はすでに社屋はありません。
変電所は、れんが造りの立派な建物ですが、やはりかなり傷んできているとのこと。
神社の少し手前側の、道路の南側には、市民手づくりによる「幌内炭鉱景観公園」があります。
廃墟がそのまま公園になっている、すごいところですが、筆者が行ったときは半分雪の下でした。
さて、ビジターセンターにいったん戻って、いよいよメーン会場に行きます。
冒頭の画像は、メーン会場の入り口にはためいていた、札幌市立大学美術部noumenonによる「手ぬぐう道」。
炭鉱夫さんたちが入坑時、首にまいたタオルをイメージして、白いタオルをロープにぶらさげています。
あたりが雪で白いので、白いタオルがいっそう引き立っています。
(ダニエル・ビュラン的な祝祭の感覚もありますね)
最初、上遠野さんや学生さんたちは、このへんの草刈りから始めたそうです。ご苦労さまです。雪が積もってしまうと、苦労の跡がわかりませんが。
2009年9月20日(日)-11月3日(火)の、土・日曜、祝日のみ
□NPO法人 炭鉱の記憶推進事業団 http://www.soratan.com/top.html
□奥井理ギャラリーの関連ページ http://ameblo.jp/m-okui/entry-10368834202.html
□朽築館徘徊日記の関連ページ(製作途中で撮った写真があります) http://blogs.yahoo.co.jp/pndcy047/29538956.html
□毎日が夏休み(アートプロジェクトの写真のほか、景観公園の写真も多数あり)http://blog.goo.ne.jp/mezzo696
(この項続く)