(長文です)
北海学園大のI部写真部で活躍し、この春卒業する伊藤也寸志さんの、はじめての個展。
モノクロ36点が展示されています。
ところで
「写真都市」
ということばを聞いて、まっさきに思い浮かぶのはどこだろう?
筆者なら、パリだ。
アジェ、ドアノー、カルティエ=ブレッソン…。
いや、そこにニューヨークを付け加えてもいいかもしれない。
スティーグリッツに始まり、ロバート・フランク、ゲーリー・ウィノグラントなどなど、「世界の首都」にレンズを向けた写真家も多い。
思うに、写真というメディアは、大都市を撮ることによって、19世紀的な、絵画をまねた表現手法から脱して、自立することができたといえるかもしれない。
大都市には、新しい感情と被写体が満ちており、そこにカメラをかまえることは、それ以前の自然主義的な見方とはべつの視線を必要とするのだ。
ひるがえって、東京にはアラーキーがいて、さらに森山大道が新宿を、桑原甲子雄や木村伊兵衛が浅草などを撮っている。
道内でも近年、戦前の小樽や函館を撮りつづけたアマチュア写真家の仕事が見直され、写真集となって結実している。
それでは、札幌は? と考えると、これは単に筆者の勉強不足なのかもしれないが、どうも思い浮かばない。
たとえば、流氷とか、オロロン鳥とか、知床の海といった被写体であれば、すぐに結びつく写真家の固有名前がある。
しかし、札幌は、自らを写しつづけてくれた写真家を持たないといえるのではないか(いまのところ、中野潤子さんの仕事がそれに近いかもしれない)。
伊藤さんが今後札幌に住み続けるという保証はないけれど、彼の仕事は、何十年もたつうちに、貴重なものになりそうな予感がする。
話をさきに急ぎすぎた。
伊藤さんの今回の写真は、すべて札幌が被写体なのに、あまり札幌らしくない。
「よく言われます」
と彼も苦笑していた。
彼が「札幌らしい」被写体を執拗に回避しているわけではない。
そこには、札幌テレビ塔と大通公園もあれば、4丁目交叉点もある。
アジェのように、犯行現場を撮った写真みたいに、人気のない場面ばかりねらっているのでもない。
ただし、ぱっと見たぶんには、いったいどこなのかわからない風景が多いのも事実だ。
狸小路9丁目の飲み屋街や、旧micro.周辺、北区北8西1など、なんとなく場末っぽい雰囲気が漂う場所もある。「此処で小用厳禁」の看板なんて、すごくおもしろい。
それらは、戦後急速に膨脹した近代都市・札幌のイメージには、どうもうまくあてはまらない。
いま筆者は「近代都市・札幌」と書いた。
おそらく伊藤さんが回避しているのは、それもふくめた、できあいのフレーズに回収されてしまうような見方なのではないかと思う。
そもそも、札幌を含めた北海道を、わたしたち北海道人は「観光客の目」で見るように、飼いなされてしまっているのではないか。
観光客は、雄大な大地などといったことばで北海道を形容する。自らのロマンティシズムを風景に投影しているのだ。べつに北海道に住んでいる人間は、そういう見方にかならずしもくみしなくてもいいはずなのだが、外部から押し付けられた視線を、いつのまにやら内面化してはいまいか。
あるいは、そういう大自然の中の新しい近代的都市という札幌像である。
そのような意識の下(もと)で撮られた写真は、観光パンフレットの表紙のようなステレオタイプのものになるだろう。
伊藤さんが避けているのは、たぶん、そういう視線なんだろうと思う。
いいかえれば、いかにもピクチャレスク(絵画的)な写真は撮らないぞ、ということなのではないだろうか。
また、古いものに目を向けている(北区拓北の生協店舗をとらえた写真は傑作である)からといって、最近はやりの廃墟写真とも異なるのはいうまでもない。
彼の視線は、古いものに愛着を抱いているのではあるが、題詠的、情緒的な懐古趣味からはへだたっているからだ。
では、伊藤さんの視線とは、どういうものなのだろう。
それは、「遊歩者」の目ではないかと思う。
ドイツ生まれのユダヤ系思想家ベンヤミンは「パリ-19世紀の首都」という文章のなかで
「遊歩する人にとって都市は風景になる」
と述べている。
伊藤さんは高校時代から札幌を歩いてまわることが好きで、写真はあとからついてきた、という。
徒歩も好きだが、バスに乗って景色を見ることも、以前からよくしていたというのだ。
そういう視線からは、時計台や大通公園を聖化して見る発想も、ことさらに古いものや奇妙なものだけを抽出してくる発想も出てこないだろう。
すべてをフラットな風景としてとらえる遊歩者は、高速道の高架下も、無機質な団地も、最新型の車が置かれたショールームも、古いコロナマークIIも、新しいマークIIも、札幌東急百貨店の南側入り口も、豊平川の河川敷も、専門学校の裏手も、解体中の市民会館も、おなじように見つめるのだ。
それにしても、今回の写真は、昨年の2人展がアラーキーの作風に近づいていたのにくらべ、伊藤さんのもともと好きな森山大道のほうに回帰したかのような感がある。
「白を出したかったんです」
という彼のことばどおり、粒子感があり、黒と白のコントラストを強調したプリントは、森山大道の影響なしには考えられまい。
ただし、アップ気味のショットがないことなど、森山大道との違いも明らかだが…。
バライタ印画紙による、光沢のない、黒の諧調にすぐれたプリントは、これまでさまざまな試行を重ねてきた伊藤さんにとって、一種の到達点ともいえる水準に達していると思う(若い人はどんどん進歩するからいいなあ)。
今回の写真展に展示されているのは、2005年1月から昨年末にかけて撮られたなかからセレクトされた。多くは昨年1年間の写真だという。
それでもいくつかの建物は失われている。
「都市は変化していくんですね。だから都市なのかもしれないけど」
伊藤さんはこれからも、フラットな都市風景のなかに、失われたはずの不可視の過去と、まだ出現しない未来とを凝視しつつ、シャッターを押し続けていくにちがいない。
08年2月6日(水)-11日(月)10:00-19:00(最終日-17:00)
ギャラリー創(中央区南9西6 地図F)
市電「すすきの」から乗車し「山鼻9条」降車、徒歩1分。
ジェイ・アール北海道バス「南9西7」から徒歩2分。
地下鉄南北線「中島公園」から徒歩5分。
中央バス「中島公園入口」から徒歩7分。
□伊藤さんのブログ「写真都市」 http://blog.livedoor.jp/ya5u5hi/
■北海学園大学写真部写真展(07年10月、画像なし)
■EX 6(07年4月)
■ある二人 鈴木絢子・伊藤也寸志二人展(07年2月)
■micro.復活写真展 第一週(06年)
そして、
様々な示唆に富んだ長文も本当にありがとうございます。
何か「想い」のようなものも感じました。
このコメントも大変長くなってしまいなさそうなので、
自分のブログのエントリに記してみようと思います。
後ほど是非ご一読下さい。
そして、
このエントリのアクセスの案内が、
ややマニアックで何ともいいですね(笑)。
このエントリのURLを引用させていただくことをお許し下さい。
こういう「アンサーソング」は心底うれしいです。
「高校時代から」と書いたけど、それより以前から札幌の町が好きで歩いてたんですね。
じぶんも札幌の町はずいぶんてくてくと歩いてきたつもりですが、伊藤さんにはかなわんなーと思います。
URL引用の件は、このサイトやブログはリンクフリーなので、どうぞご自由に。
>アクセスの案内が、ややマニアック
そうかも(笑い)。
なんたってじぶんが、中央バスで来ましたから。
その理由を探っているのだが、たぶん、こうなのであろうか。「写真都市」というタイトルを象徴的に表現する中心的映像が私には見つからないからだと。その中心的映像が2008年のこの時点において一体何なのかを私には言い表わせない。言い表わせないが、それが伊藤也寸志の眼の力によって映像表現としてリアルに発見されているかは写真を見るだけで一目で分かるものである。そのような視点で写真を何度見なおしても、中心的映像が見つからない。
これは私の写真を見る力のせいなのかとも少しは訝って見るのだが、多分、そうではなく、私の肉眼のレンズからずばっと飛び込んで、意識の層を潜り抜けて、私の記憶の層に到達し、そこに無尽蔵に存在する「都市写真」のイメージをぶち壊すような映像のちからが展示された写真には残念ながら見つからないということではないのか。「写真都市」という概念を伊藤也寸志的にあたらしく規定しなおす試みがなされる斬新で先駆的な写真映像が見つからないということにあるのではないのか。
「写真都市」では伊藤也寸志の20数年の視覚体験の総量がここで実地にためされていることになっているのだが、そのためされている、さらには自己批評されているであろう、20数年の視覚体験=映像体験への痛切な「関係性」の視線がきわめて曖昧であり希薄であるように思えるのだ。
自己自身のボディーに血肉化している「都市」の視覚体験=映像体験の総量を無意識のベースにしたうえで、そこの場所から無意識にうまれる撮影衝動ないし撮影動機が世界を前にして「私」にシャッターをきらせるであろう、それが眼には見えないちからの根である。そこでは誰もがおなじポジションに位置している。したがって、写真表現の問題はその先にある。カメラのファインダーをのぞく肉眼の奥で無意識に蠢いているものの感触がひっついたまま撮られた映像を暗室の闇のなかの現像液と定着液にひたすことによってその感触は溶けて流れてしまう。そのシャッターを切った瞬間の感触の記憶はどこにも存在しない。その感触を探り出すためのプロセスが暗室の作業である気がする。
フイルムをプリント映像へと物質化するプロセスはカメラのシャッターを切るプロセスから時間的にも空間的にもずいぶんと隔たっている。その時間的落差は自分が撮ったはずのフィルム(原映像)への関係性をあららめてうみだす。ここでためされている筈なのが、自分のボディーに血肉化されている視覚記憶=映像記憶の総量によって支えられ、「写真都市」の「映像」を意識的に意志的に生み出す視力そのものである。写真映像を生み出すときの、もっとも意識的に充実している眼の力がここでためされているのだ。ためされた結果は誰にも見ることができる「写真」に結実する。
「写真都市」の中心的映像が見つからないのは、伊藤也寸志君にそのような「中心」という問題意識が存在しないからであろうか。「中心」が存在しないことこそが都市の「構造」であるという捉え方によるものなのか。そこらへんはわからない。
私が「写真都市」の「写真」たちに、あのモノクローム特有の光と陰の絶妙なテクスチャーが織りなすエロティシズムを感じるのであるが、そのことと、それとは、まったく、別の問題である。この伊藤也寸志君のモノクロームプリントのマジックのちからは多分ほかの誰にも負けることはないと思われるくらい美しい表現力である。そのモノクローム的映像の美を表現することにおいてすでに達人の閾に達しているとさえ思う。そのことと、先に問題視したこと、「写真都市」の「中心的映像力」が見えないということとはまったくの別問題である。
美の表現力と、何ものかである「中心」を映像化する力とはたぶん別々の力であるようにみえる。(08.02.12)
「写真都市」を構想する伊藤也寸志君がここにいる。彼は何も語らない。なにを構想したのかは「作品」だけが示しているとでも言いたげである。「写真家」の構想は表現された視覚映像群から読み解くしかないのであろう。しかし、個々の写真作品の印象から、その構想へと、どのようにしたら思考の尖端はとどくのか。
個々の写真はあくまでも「サッポロ」という名で括られているきわめて広大で雑多なエリアないしスポットの様々な「都市的風景」をとらえたものである。したがって様々な現象的都市的風景写真の間には緊密な内的連関を見出すことは不可能である。およそ明治国家が植民地行政都市としてのみ計画し構想した「サッポロ」というエリアには歴史的にたえうるような中核になるようなものは存在しないのだから。そのような緊密な連関というものが存在しない、在るがままの拡散した、分裂した、中心性の存在しないままに増殖してゆく、「サッポロ」的都市風景の様々な現象的な像の破片をつなげているのは、あくまでも、「写真都市」というコンセプト(世界像へとむかう視線)だけである。それは恣意的とでもいえるかもしれない。なぜなら、「写真都市」というコンセプトそのものは固有名の都市を前提にはしていないからである。
森山大道の『新宿』と伊藤也寸志の『サッポロ』とのあいだにある唯一の共通項は「写真都市」という20世紀的に普遍的な世界概念である。この20世紀的世界像概念の歴史的ふくらみを個人的に延長してゆくなら、「写真都市的写真」はどの都市においても(この札幌においても)成立する。そのことを伊藤也寸志君はたぐい稀なるモノクロームの美しさによって誰よりも果敢に確証している。
しかし21世紀的な「写真都市」の探求されるべき問題はその先にある。
すなわち、伊藤也寸志君が今回の個展で展示した数十枚の個々の写真から、われわれが21世紀的な「写真都市」の啓示をかすかにも受容できたのかという点にかかわる。これは現在の「都市写真家」の誰にとっても容易なことではけっしてない難題である。
「写真都市」的写真において探求されているのは我々の個々の人生の意味をもこえているものかもしれない。それはいまだ定義不可能である。個人の写真的実践と思考によってしても定義できないかもしれない。しかし、「都市写真家」は果敢にその難題にぶつかるしかない。砕け散るのが、写真家自身の肉体と精神であるかもしれないとしても。(08.02.13)
「中心的映像」の件ですが、T.nakamuraさんがどうしてそんなにこだわるかが、ぎゃくに、わたしにはわかりかねます。
写真雑誌の投稿欄とかフォトコンテストであれば、決定的な瞬間や、他にかえがたいショットというのが求められるでしょう。
しかし、個展という形式をとっている写真表現では、かならずしもそういうものにこだわる必要はないように思いますが。
>「都市写真」のイメージをぶち壊すような映像のちから
この件に関しても、というか、T.nakamuraさんの論議の進め方でいつも感じるのは、ご自分の問題設定が所与になっているのではないでしょうか。
伊藤さんが、既成の都市写真のイメージを壊すことを言明されているのであれば
「自分は、そういう写真は見出せなかった」
という言説は有効だと思いますが、彼の狙いは「都市写真」を壊すことではないでしょうし、だれもがそういう見方に倣わなくてはならないわけではありますまい。
わたしは、伊藤さんが、「いわゆる札幌の写真」というところから隔たっているだけで、十分だと思います。
たとえば
「様々な現象的都市的風景写真の間には緊密な内的連関を見出すことは不可能である」
というようなくだりも、おなじですよね。
なぜ、緊密な内的連関が要請されるのか、わたしにはわかりません。
ただ、T.nakamuraさんが欲しているだけのように思えます。
べつに欲するのは自由なんですが、その種の言説には、他人の共感を得る契機は欠落しているように、正直なところ、感じます。
逆に、たとえば森山大道の「新宿」のそれぞれの写真に、緊密な内的連関がありますか?
そんなものはいらないのではないですか?
たぶん、ここが急所ではないのか。「中心」が存在しないようにしている表現方法の。そのような方法意識に私個人は異を立てているのです。なぜ異を立てているかはながくなるのでここでは申しません。
たとえば、辺見庸の『いま、抗暴のときに』に使用されている中平卓馬のモノクローム未発表写真を見てくだされば私の『異』がわかることでしょう。
T.nakamuraさんが「写真雑誌の投稿欄とかフォトコンテスト」を想定しているのではなさそうだということはわかりました。
わたしのことばが足りなかった点についてはおわびします。
ただし、わたしの今回の論理の軸である点については変わりません。
つまり、T.nakamuraさん独自の問題設定が所与になっているため、建設的な対話がなりたたないのです。
「異を立てる」というのは、あまり聞きなれないことばですが、T.nakamuraさんがどうして「中心がない」ことにこだわるのかが、わたしにはさっぱりわかりません。
なお、蛇足ですが
「使用されている中平卓馬のモノクローム未発表写真」
は、日本語として妙だと思います。
装丁に使われてすでに出版されているのであれば、それは「未発表」ではないと思いますが。
さて、小生の「伊藤也寸志写真展」に対する批評の動機のことですが、「写真都市」というライトモチーフに向かって独り坦々と歩いているその基本姿勢に共感しながらも、彼の懐の奥に深々と飛び込まんとしたのですが、まずいやり方であったと反省しています。
じつはその時に私の頭の片隅には(わずか2冊の写真集『HOKKAIDO』と『RETROSPECTIVE TWO』を見ただけですが)マイケル・ケンナの写真世界と『HOKKAIDO』の序文を書いている森山大道の写真世界とがひとつに交差する座標軸として想い描かれていたからです。私にとりついたその座標軸の視点から、伊藤君の写真作品を「意地悪く」見つめていた気がしてなりません。悪いことをしました。
ケンナのあの「白の世界」は何なのかと、伊藤君とも立ち話をしたのですが、両人にとって、分からない世界だという所に落ち着きました。
この仮想された座標軸が写真表現においてどの程度有効であるかは私には皆目わかりませんが、ケンナの軸は忘れることができません。
そういう内部事情がありましたことを報告して筆を擱きます。
じぶんなりの座標軸なり価値基準がまったくないと、批評という行為はできなくなってしまいます。かといって、その座標軸にあまり拘泥してしまうと、こんどは、作品に向き合ったときに柔軟な見方ができなくなってしまうと思います。一般論ですけど。
なかなかむつかしいですよね。自戒をこめて…。
ただ、たとえば森山大道と前田真三をおなじ座標軸でとらえることはほとんど不可能だと思います。わたしは、どっちもオーケーといういいかげんな人間なので、じつはT.nakamuraさんのほうが一本スジが通っているのかもしれません。
アイラブサッポロ(という?赤い表紙の写真集があるそうですが見たことないです)的な、絵葉書・名所絵のベタなスタイルに対して、裏路地っぽいものを好む文化があると思うのですけど、この人はきっとそういう文化に漬かっている人なのかな、という印象でみていました。そういう決めつけで、安心して見られる写真として味わってしまいました。その意味では前者(名所)も後者(路地裏)も同じ感覚。プレゼンテーションの仕方の問題なのかもしれないけれど。