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■米山ヒトシ写真展 道のない村 (5月23日まで)

2008年05月19日 23時19分38秒 | 展覧会の紹介-写真
 米山さんは1960年小樽生まれ、札幌在住の写真家です。
 会場のパネルによると、これまで、ホタルの光を追った写真を撮ったり、撮影で訪れたスリランカを支援する活動に取り組んできているそうです。
 今回は大きく焼いたモノクロが13枚を、粗い布に貼り付けて展示。
 いずれも、インドネシア・バリ島のとなりにあるスンバワ島でシャッターを切ったものだそうです。
 
 
(前略)人々は魚を獲り、畑を耕し、太陽の浮き沈みで1日を暮らす。村と村の間に道と呼べるものはなく、土色の大地が続くのみ。(中略)近代化とは無縁の、一見何ももたない村で自問した。日本は、僕は、いったい何をもっているのかと。村人たちの屈託のない表情を撮るために向けたカメラは、そのまま僕の気持ちの深いところを切り取っていた。


 意地悪い言い方をすれば、発展途上国の生活をほめたたえ、返す刀で日本について「ものが豊かでも心の豊かさは…」というように評するのは、紋切り型です。
 でも、米山さんの文章には、紋切り型という枠におさまりきれない、心の底からわき出る何かを感じます。
 それ以上に、「ありきたりのものとは、ちょっとちがう」と感じたのは写真でした。
 これは、予想されるような「楽園系」ではない。(こんな書き方をすると、三好さんには失礼かもしれませんが)
 教室の女の子たちや、家畜を曳いている男の子は、たしかにレンズに向けて笑顔を見せています。でも、それは、満面の笑みではないようなのです。
 ピーカンの状態で撮られた写真がほとんどなく、ほとんどが曇天のような光で撮影されていることも少なからず影響していると思いますが、人々のほほえみには、どこか抑制されたものを感じます。
 あるいは、それはアジア的慎み深さの表現なのかもしれません。
 でも、そうではなく、米山さんがあえて、たくさんあるネガから、満面の笑顔を除いて発表したのかもしれません。
 ここで展開されているような光景は、つい半世紀余り前の日本でも見られたものであることを、わたしたちは知っています。近代化の波は、いったん押し寄せてしまえば、あっという間に伝統的な生活を変化させてしまうのです。
 この島の帰途、ジャカルタかどこかに立ち寄った米山さんは、スンバワ島の暮らしが、じきに失われてしまうものであることに思いをいたし、そのことがネガの選択に微妙な影響をおよぼした…。そう推論するのは、考えすぎでしょうか。


08年5月12日(月)-23日(金)9:00-17:30(最終日-16:00) 土、日、祝日休み
キヤノンギャラリー(北区北7西1 SE山京ビル 地図A) 


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