山をめぐる日本の男性3人に焦点をあてた展覧会。
これを「美術展」といってしまうのは、どうも抵抗がありますが、じぶんの人生を考えるひとつの機会であったのは確かだと思います。
もうすこしくわしくいうと、作品は、映像が3点で、これがメインだと思います。
1本目は、吉田智彦さんが、九千数百日続けて、毎日どこかの山に登り続けて亡くなった東浦奈良男さんという三重県の男性を追ったドキュメンタリー「一万日連続登山に挑んだ男」。
2本目は、山内悠さんの森や山のスライドショー「巨人」。ことばはありません。
3本目は、山形県で山伏として活動する坂本大三郎さんが、北海道で撮った写真に、自らナレーションを付けた「モノガタリを探す旅」。
企画と空間構成は豊嶋秀樹さんで、奈良美智さんとの共同作業でも知られるデザインスタジオ「graf」の設立にも携わり、キュレーターとしても活動していますから、彼の存在が、この展示が「アート」というカテゴリーにおさまるものであることを担保しているといえるのかもしれません。まあ、どうでもいいっていえばどうでもいい話なんですが。
3本とも、10分から11分ほどの映像です。
会場には、1本目の関連として、東浦さんの山登りの服装や記録写真、彼が日々書き記し切り抜きなどを貼り付けた帳面(複製)をならべています。
2本目の関連では、山内さんが富士山の七合目に腰を据えて、毎日の朝焼けなどを撮った写真を展示。
(なので、山内さんの作品が、いちばん「美術展」「写真展」っぽいという印象です)
3本目関連として、坂本さんが、木にペイントした立体作品が置かれています。これは、板ではなく、拾った枝のようなものに着彩したもので、現代の美術作家が作ったものというより、遺跡やほこらに落ちていたもののようにも見えます。素朴なおもむきがあります。
個人的な好みで言えば、坂本大三郎さんの映像がいちばんまとまっているように感じられて好印象でした。
だいいち、21世紀の現代に「山伏」という存在がいることじたい、驚きでした。
どうやって生計を立てているのか、わかりませんが、修行のかたわら、道内など各地の縄文遺跡をたずねて旅をする人生なんて、すてきだと思います。
坂本さんのナレーションでは、物語の「もの」の語源について、折口信夫の説を紹介していました。物体というよりも、もっと宗教的ななにかを指すことばのようです。
「ぼくにとって、自然に分け入ること、山に登ることは、まつりである」
という締めくくりのことばも、すんなりとうなずけるものでした。
東浦さんは、自らの行為をアートとしているわけではありません。
しかし、この、世間一般的には無意味な行為こそ、見る人が見ればアートではないかと感じました。
富士山にも何度も登っているそうですが、それ以外の日はほとんど、自宅から歩いて行ける範囲の山に登って、その日のうちに下山していたとのこと。日曜は、子どもたちをかならず連れて行ったそうです。
この人の場合は、奥さんが働いていたそうですが、山には、人の心を惑わせる「なにか」があるのかもしれません。だからこそ、山は古くから信仰の対象とされていたのでしょう。
なお、筆者は見られませんでしたが、初日にオープニングプログラムとして「坂本大三郎×大久保裕子×島地保武 新作ダンス公演『三つの世界』」が行われ、高い評価を受けていたことを付記しておきます。
最後に、この展覧会が、モエレ沼公園で行われたことについて、少し筆者の意見を書いておきます。
モエレ沼公園にも、山が二つあります。モエレ山とプレイマウンテンです。
札幌は、南、西、手稲の3区は山だらけで、中央区、豊平区も、いくつもの山を抱えていますが、東区にはこの二つしか山と呼べるものはありません。
二つしかない山がいずれも、人工で、きれいな幾何学的形状をしています。イサム・ノグチのアーティストとしての気持ちは込められているとはいえ、日本中探してもこれほど信仰や霊性から縁遠く、歴史のにおいがしない山は珍しいのではないでしょうか。
「皮肉」というほどではないでしょうが、最も霊性に欠ける山のある地で「ホーリーマウンテンズ」が行われるということに、おもしろみを感じました。
2016年7月23日(土)~8月28日(日)午前9時~午後5時
モエレ沼公園 ガラスのピラミッド(札幌市東区モエレ沼公園)
これを「美術展」といってしまうのは、どうも抵抗がありますが、じぶんの人生を考えるひとつの機会であったのは確かだと思います。
もうすこしくわしくいうと、作品は、映像が3点で、これがメインだと思います。
1本目は、吉田智彦さんが、九千数百日続けて、毎日どこかの山に登り続けて亡くなった東浦奈良男さんという三重県の男性を追ったドキュメンタリー「一万日連続登山に挑んだ男」。
2本目は、山内悠さんの森や山のスライドショー「巨人」。ことばはありません。
3本目は、山形県で山伏として活動する坂本大三郎さんが、北海道で撮った写真に、自らナレーションを付けた「モノガタリを探す旅」。
企画と空間構成は豊嶋秀樹さんで、奈良美智さんとの共同作業でも知られるデザインスタジオ「graf」の設立にも携わり、キュレーターとしても活動していますから、彼の存在が、この展示が「アート」というカテゴリーにおさまるものであることを担保しているといえるのかもしれません。まあ、どうでもいいっていえばどうでもいい話なんですが。
3本とも、10分から11分ほどの映像です。
会場には、1本目の関連として、東浦さんの山登りの服装や記録写真、彼が日々書き記し切り抜きなどを貼り付けた帳面(複製)をならべています。
2本目の関連では、山内さんが富士山の七合目に腰を据えて、毎日の朝焼けなどを撮った写真を展示。
(なので、山内さんの作品が、いちばん「美術展」「写真展」っぽいという印象です)
3本目関連として、坂本さんが、木にペイントした立体作品が置かれています。これは、板ではなく、拾った枝のようなものに着彩したもので、現代の美術作家が作ったものというより、遺跡やほこらに落ちていたもののようにも見えます。素朴なおもむきがあります。
個人的な好みで言えば、坂本大三郎さんの映像がいちばんまとまっているように感じられて好印象でした。
だいいち、21世紀の現代に「山伏」という存在がいることじたい、驚きでした。
どうやって生計を立てているのか、わかりませんが、修行のかたわら、道内など各地の縄文遺跡をたずねて旅をする人生なんて、すてきだと思います。
坂本さんのナレーションでは、物語の「もの」の語源について、折口信夫の説を紹介していました。物体というよりも、もっと宗教的ななにかを指すことばのようです。
「ぼくにとって、自然に分け入ること、山に登ることは、まつりである」
という締めくくりのことばも、すんなりとうなずけるものでした。
東浦さんは、自らの行為をアートとしているわけではありません。
しかし、この、世間一般的には無意味な行為こそ、見る人が見ればアートではないかと感じました。
富士山にも何度も登っているそうですが、それ以外の日はほとんど、自宅から歩いて行ける範囲の山に登って、その日のうちに下山していたとのこと。日曜は、子どもたちをかならず連れて行ったそうです。
この人の場合は、奥さんが働いていたそうですが、山には、人の心を惑わせる「なにか」があるのかもしれません。だからこそ、山は古くから信仰の対象とされていたのでしょう。
なお、筆者は見られませんでしたが、初日にオープニングプログラムとして「坂本大三郎×大久保裕子×島地保武 新作ダンス公演『三つの世界』」が行われ、高い評価を受けていたことを付記しておきます。
最後に、この展覧会が、モエレ沼公園で行われたことについて、少し筆者の意見を書いておきます。
モエレ沼公園にも、山が二つあります。モエレ山とプレイマウンテンです。
札幌は、南、西、手稲の3区は山だらけで、中央区、豊平区も、いくつもの山を抱えていますが、東区にはこの二つしか山と呼べるものはありません。
二つしかない山がいずれも、人工で、きれいな幾何学的形状をしています。イサム・ノグチのアーティストとしての気持ちは込められているとはいえ、日本中探してもこれほど信仰や霊性から縁遠く、歴史のにおいがしない山は珍しいのではないでしょうか。
「皮肉」というほどではないでしょうが、最も霊性に欠ける山のある地で「ホーリーマウンテンズ」が行われるということに、おもしろみを感じました。
2016年7月23日(土)~8月28日(日)午前9時~午後5時
モエレ沼公園 ガラスのピラミッド(札幌市東区モエレ沼公園)