小林豊さんは東京出身の日本画家で、絵本もこれまで20冊以上手がけているそうだが、筆者はまったく存じ上げなかった。
なんの先入観も持たずに、会場に行ったのだが、見ているうちにじわじわと感動してしまった。
展示されているのは、3冊の絵本の原画がメーン。ほかに、エスキスや原稿もある。
3冊は「ぼくの家から海がみえた」「ぼくは弟とあるいた」「ぼくと弟は歩きつづける」。
とくに、最初の「ぼくの家から…」に心が動いた。
チラシには「黒海地方を舞台にした兄弟の物語」とあるのだが、絵柄だけを見ていると、親子がどこから来て、どこの港に着いたのか、どのようにもとれる。
肌が黒くないのでアフリカ中・南部ではなさそうだけど、20世紀前半であれば、小樽でもリスボンでもバルパライソでもタンジールでも通用しそうな気がする。
現代のボストンや上海、ドバイではないのは確かだけど。
それは絵という表現方法そのものの良さなんだと思う。
特定の場所というよりは、ある種の普遍性をたたえたイメージを提供できるのは、絵画ならではだ。
文学はその点非常に自由だし、セットを組める映画なら、まだしも「どこででもありそうで、どこでもない場所」をつくりだすことができそうだけど、写真ならほとんどの場合、それがどんなに「どこでもない場所」を装っていたとしても、どこか特定の場所である。
絵画であり絵本だからこそ、見る側が感情移入しやすいのだろう。
もうひとつ、いいなあと思ったのは、港という土地(トポス)の持つ独特の開放性だ。
どこにも行かなくても、港町に住んでいるというだけで、外からの風がふいてくる。そういう風情が絵本全体にあふれているのだ。
18世紀の哲学者カントは生涯ケーニヒスベルクを離れなかったが、港町ならではの情報に接して自らの思想をとぎすませていたに違いない。
三つの絵本には、直接の戦闘シーンは出てこないものの、全体のトーンを決定しているのは、戦争と亡命と難民の世紀であった20世紀の時代相といえる。
くせのない絵柄だけに、よけいに、過去に見た映画、読んだ本をあれこれ思い出してしまった。「ドクトル・ジバゴ」、長谷川四郎、小津安二郎…。もちろん、それは筆者が勝手に投影してるだけなのだが。
今回原画は展示されていないが、小林氏の代表作「せかいいち うつくしい ぼくの村」も、やはり戦争が物語の背景にある。平和な光景ばかりが描かれているだけに、なおさら戦争の影の大きさが際だつ。声高な反戦の絵本ではないが、作者の思いは、じゅうぶんすぎるほどに伝わってくる。
入場無料。
2010年5月15日(土)~23日(日)9:30~5:00
北海道立文学館(札幌市中央区中島公園)
・地下鉄南北線「中島公園」3番出口から400メートル、徒歩5分
・同「幌平橋」から480メートル、徒歩6分
・中央バス、ジェイアール北海道バス「中島公園入口」から220メートル、徒歩3分
・市電「中島公園入口」から560メートル、徒歩8分
なんの先入観も持たずに、会場に行ったのだが、見ているうちにじわじわと感動してしまった。
展示されているのは、3冊の絵本の原画がメーン。ほかに、エスキスや原稿もある。
3冊は「ぼくの家から海がみえた」「ぼくは弟とあるいた」「ぼくと弟は歩きつづける」。
とくに、最初の「ぼくの家から…」に心が動いた。
チラシには「黒海地方を舞台にした兄弟の物語」とあるのだが、絵柄だけを見ていると、親子がどこから来て、どこの港に着いたのか、どのようにもとれる。
肌が黒くないのでアフリカ中・南部ではなさそうだけど、20世紀前半であれば、小樽でもリスボンでもバルパライソでもタンジールでも通用しそうな気がする。
現代のボストンや上海、ドバイではないのは確かだけど。
それは絵という表現方法そのものの良さなんだと思う。
特定の場所というよりは、ある種の普遍性をたたえたイメージを提供できるのは、絵画ならではだ。
文学はその点非常に自由だし、セットを組める映画なら、まだしも「どこででもありそうで、どこでもない場所」をつくりだすことができそうだけど、写真ならほとんどの場合、それがどんなに「どこでもない場所」を装っていたとしても、どこか特定の場所である。
絵画であり絵本だからこそ、見る側が感情移入しやすいのだろう。
もうひとつ、いいなあと思ったのは、港という土地(トポス)の持つ独特の開放性だ。
どこにも行かなくても、港町に住んでいるというだけで、外からの風がふいてくる。そういう風情が絵本全体にあふれているのだ。
18世紀の哲学者カントは生涯ケーニヒスベルクを離れなかったが、港町ならではの情報に接して自らの思想をとぎすませていたに違いない。
三つの絵本には、直接の戦闘シーンは出てこないものの、全体のトーンを決定しているのは、戦争と亡命と難民の世紀であった20世紀の時代相といえる。
くせのない絵柄だけに、よけいに、過去に見た映画、読んだ本をあれこれ思い出してしまった。「ドクトル・ジバゴ」、長谷川四郎、小津安二郎…。もちろん、それは筆者が勝手に投影してるだけなのだが。
今回原画は展示されていないが、小林氏の代表作「せかいいち うつくしい ぼくの村」も、やはり戦争が物語の背景にある。平和な光景ばかりが描かれているだけに、なおさら戦争の影の大きさが際だつ。声高な反戦の絵本ではないが、作者の思いは、じゅうぶんすぎるほどに伝わってくる。
入場無料。
2010年5月15日(土)~23日(日)9:30~5:00
北海道立文学館(札幌市中央区中島公園)
・地下鉄南北線「中島公園」3番出口から400メートル、徒歩5分
・同「幌平橋」から480メートル、徒歩6分
・中央バス、ジェイアール北海道バス「中島公園入口」から220メートル、徒歩3分
・市電「中島公園入口」から560メートル、徒歩8分
久しぶりにこの展覧会のことを思いだし、そして、小林豊さんの、良い意味での無国籍風な、あたたかい絵本の世界のことを思い出しました。
また、どこかで小林さんの絵本を見かけたら、手にとってみようと思います。
yu.さまも、ご健康に留意され、良いお仕事をなさってください。
今頃になって、偶然、ほぴねび様のブログを読ませて頂きました。
感動して下さって、嬉しいです。
私も、それが小林さんとの仕事のきっかけでした。
心から、ありがとうございます。
ふだんあまり絵本の世界に接する機会のない筆者ですが、こういう展覧会もたまにはいいですね。
真具田怜奈(怜な)さん、またお立ち寄りください。
今回、わたしは「ぼくの家は…」から見始めて、夜の引っ越しのシーンからぐっと引きつけられました。
とはいえ、とりたてて特記することもなさそうな地味な絵です。ぱっと見ただけでは、通り過ぎてしまいそうです。でも、それがかえって、一種の普遍性を表現していたんじゃないかと思います。
それほどPRされてないようですが、多くの人に見てほしいと思いました。
あと、トラバどうもです。助かりました。
私はこの方の原画展を小樽文学館で見ました。
絵本などあまり読まないわたしですが、これは良かったです。
地域もそうですが、子供たちも日本の子と思っても何ら不思議はない、
普遍性があるように思います。
また人と人との関係性の近さは、色々とものを思わせるところがありました。