これまで何度もこのブログで書いてきたし、また筆者がはじめて指摘することでもないのだけれど、札幌をはじめとする北海道内の主な都市や地方にはそれぞれ、東京や関西には比べるまでもないにせよ、それなりの大きさの美術シーンというものが存在する。
作家が、地元のギャラリーで定期的に作品を発表する。都市によってはそれらをめぐる言説も公にされる。
しかし、それらのシーンの存在は、北海道の外ではほとんど知られることはない。
この構造は、おそらく、どの地方でも同じだろう。いまはなくなってしまったが、「美術手帖」が定期的に展覧会評を載せていたのは、東京、名古屋、関西の3地域だった。それ以外の、たとえば仙台や広島や福岡にも、それぞれ作家がいて、作品の発表を続けていながら、それらは広く知られることなく、歴史のほんの片隅に記述されて終わってしまうのだろう。
(同一の構造は、欧米と東京の間にも存在したが、それについてはここでは詳述しない)
札幌で毎週のように発表される作品が、どう見ても東京や大阪で発表されている作品よりも劣っているのであれば、歴史の隅に埋もれてしまってもやむをえないだろう。
しかし、筆者にはとうていそうは思えないし、考えを同じくする人はたぶん、けっこういるだろう。ただし、札幌と東京の双方をくまなく見ている人は誰もいないであろうから、この点について確たることを言明できる人はいない。
実際問題として、東京の美術評論家やキュレーターが、北海道に美術展を見に来るという可能性はほとんどないに等しい。
これについては、
「北海道までわざわざ見に来ようと思わせる展覧会が開催されていない」
という意見と
「どんなすばらしい展覧会を企画したところで東京の連中は北海道まで足を運ぶはずがない」
という意見は、どちらも真実で、「鶏と卵」としか言いようがないと思う。
筆者が団体公募展を切り捨てることをしないのは、北海道の作家にとって、東京や他地方の作家と同じ立ち位置で勝負できる、数少ない「場」であるからだ。
たとえば、神田日勝にとって、独立展の存在がどれほど励みになったか。この切実さは、東京の人間には、なかなかわかってもらえないだろう。
団体公募展が衰微してしまうと、かえって地方の作家は、東京で評価してもらえるパイプを失ってしまうことになる。それは、むしろ時代に逆行してはいないだろうかと思う。
団体公募展に属さない道内の作家は、早くから、東京をすっ飛ばして、海外との交流を手がけていた。
阿部典英さんらの世代は北欧など、荒井善則さんら「水脈の肖像」の人々は韓国などと、相互に発表を続けている。端聡さんたちの場合はハンブルクだ。
そうやって、道内の作家たちは「ガラパゴス化」に安住せず、外との交流に汗を流してきたのだ。
さて、この
「北海道の作家は東京や海外を注視しているのに、東京や海外から北海道を見る目は非常に少ない。東京の評論家や作家は青森や瀬戸内には行くのに、北海道はまったくアウト・オブ・眼中である」
という現状が変わるかもしれない事例が、2012年末から14年にかけて3件発生しつつある。
一つは、村上隆氏によるスタジオ・ポンコタンの設立である。
これにより、村上氏は時おり札幌を訪れるようになり、また彼に近い作家の発表が、ポンコタンなどで行われるようになった。
氏は、札幌の作家のスカウティングなどはいまのところあまり行っていないようだが、重要なのは「村上隆がフラッと札幌に来るようになった」ことだと思う。
二つめは、2013年下半期に大下裕司さんキュレーションによる展覧会が開かれ、彼の周辺でツイッターでつながっている若い世代が大挙して札幌を訪れたことである。
たぶん、今年春の「制作と生息」展以前には、北海道のことなどまるで眼中になかった人たちの意識のどこかに、今後は、北海道のことが上ってくるだろう。
そして三つめは、言うまでもなく、2014年夏の札幌国際芸術祭である。
歴史上初めて、アートを見るという目的で、多くの人が北海道を訪れるという事態が起きる。
(もしかしたら、2001年のデメーテルは唯一の例外だったかもしれないが、しかし、あの国際美術展が全国的な話題になったかどうか、いささか心もとない)
この3件は、エポックメーキングな出来事であり、北海道のアートがようやく東京などと同じ地平に立てるきっかけになると思う。ちょっと、図式的すぎる受けとめかたかもしれないが、とにかく、自分にとっては、「まったく相手にされていない」事態から脱することができるだけでも、ものすごくうれしいのである。
作家が、地元のギャラリーで定期的に作品を発表する。都市によってはそれらをめぐる言説も公にされる。
しかし、それらのシーンの存在は、北海道の外ではほとんど知られることはない。
この構造は、おそらく、どの地方でも同じだろう。いまはなくなってしまったが、「美術手帖」が定期的に展覧会評を載せていたのは、東京、名古屋、関西の3地域だった。それ以外の、たとえば仙台や広島や福岡にも、それぞれ作家がいて、作品の発表を続けていながら、それらは広く知られることなく、歴史のほんの片隅に記述されて終わってしまうのだろう。
(同一の構造は、欧米と東京の間にも存在したが、それについてはここでは詳述しない)
札幌で毎週のように発表される作品が、どう見ても東京や大阪で発表されている作品よりも劣っているのであれば、歴史の隅に埋もれてしまってもやむをえないだろう。
しかし、筆者にはとうていそうは思えないし、考えを同じくする人はたぶん、けっこういるだろう。ただし、札幌と東京の双方をくまなく見ている人は誰もいないであろうから、この点について確たることを言明できる人はいない。
実際問題として、東京の美術評論家やキュレーターが、北海道に美術展を見に来るという可能性はほとんどないに等しい。
これについては、
「北海道までわざわざ見に来ようと思わせる展覧会が開催されていない」
という意見と
「どんなすばらしい展覧会を企画したところで東京の連中は北海道まで足を運ぶはずがない」
という意見は、どちらも真実で、「鶏と卵」としか言いようがないと思う。
筆者が団体公募展を切り捨てることをしないのは、北海道の作家にとって、東京や他地方の作家と同じ立ち位置で勝負できる、数少ない「場」であるからだ。
たとえば、神田日勝にとって、独立展の存在がどれほど励みになったか。この切実さは、東京の人間には、なかなかわかってもらえないだろう。
団体公募展が衰微してしまうと、かえって地方の作家は、東京で評価してもらえるパイプを失ってしまうことになる。それは、むしろ時代に逆行してはいないだろうかと思う。
団体公募展に属さない道内の作家は、早くから、東京をすっ飛ばして、海外との交流を手がけていた。
阿部典英さんらの世代は北欧など、荒井善則さんら「水脈の肖像」の人々は韓国などと、相互に発表を続けている。端聡さんたちの場合はハンブルクだ。
そうやって、道内の作家たちは「ガラパゴス化」に安住せず、外との交流に汗を流してきたのだ。
さて、この
「北海道の作家は東京や海外を注視しているのに、東京や海外から北海道を見る目は非常に少ない。東京の評論家や作家は青森や瀬戸内には行くのに、北海道はまったくアウト・オブ・眼中である」
という現状が変わるかもしれない事例が、2012年末から14年にかけて3件発生しつつある。
一つは、村上隆氏によるスタジオ・ポンコタンの設立である。
これにより、村上氏は時おり札幌を訪れるようになり、また彼に近い作家の発表が、ポンコタンなどで行われるようになった。
氏は、札幌の作家のスカウティングなどはいまのところあまり行っていないようだが、重要なのは「村上隆がフラッと札幌に来るようになった」ことだと思う。
二つめは、2013年下半期に大下裕司さんキュレーションによる展覧会が開かれ、彼の周辺でツイッターでつながっている若い世代が大挙して札幌を訪れたことである。
たぶん、今年春の「制作と生息」展以前には、北海道のことなどまるで眼中になかった人たちの意識のどこかに、今後は、北海道のことが上ってくるだろう。
そして三つめは、言うまでもなく、2014年夏の札幌国際芸術祭である。
歴史上初めて、アートを見るという目的で、多くの人が北海道を訪れるという事態が起きる。
(もしかしたら、2001年のデメーテルは唯一の例外だったかもしれないが、しかし、あの国際美術展が全国的な話題になったかどうか、いささか心もとない)
この3件は、エポックメーキングな出来事であり、北海道のアートがようやく東京などと同じ地平に立てるきっかけになると思う。ちょっと、図式的すぎる受けとめかたかもしれないが、とにかく、自分にとっては、「まったく相手にされていない」事態から脱することができるだけでも、ものすごくうれしいのである。