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旧円山川、よこちべつ川、そして界川

2008年02月19日 04時15分13秒 | さっぽろ川あるき
(承前)

 雪の季節ということもあり、しばらくは机上の探索となることを諒承されたい。

 上の画像は、札幌市教育委員会編「さっぽろ文庫・別冊 札幌歴史地図<大正編>」という本に載っている「最近札幌市全図」(大正14年)の一部をスキャンしたもの。

 前のエントリにも書いたとおり、この本に収載されている地図には、重兵衛沼らしきものはまったく見当たらないのだが、巻末の解説「大正の円山」にはつぎのようにある。

 村内には小川が多かった。幾筋もの流れを集めた主流二筋が並行しながら北流、北三、四条西二十五、六丁目の重兵衛沼と呼ばれる沼沢地に注ぎ、さらにそこから北へ、村界のコトニ川支流ヨコスベツ川に合流していた。


 「最近札幌市全図」には、重兵衛沼がないかわりに、北1西25に小さな池がしるされている。現在、シーアイマンションが建っているところだ。
 ここは1967年ごろの「ライラック版札幌市街地図」でもくぼ地になっている。
 この池から出る流れと、北1西24(現在の東急ストア)に端を発する流れが、重兵衛沼のあたりで界川(さかいがわ)と合流していたようだ。
 もっとも、この地図には、円山川や北三条川が記されていない。円山川も重兵衛沼の附近で界川に注いでいたはずなのだが。

 界川は、いまも、藻岩山の北裾を流れる上流部分は水が流れているし、地下鉄東西線円山公園駅の近くではその跡が散策路として整備されているので、知っている人もあるだろう。

 「最近札幌市全図」ではいちばん西側を北上している流れが界川だ。
 スキャンした部分の左下に、界川を斜めに横断している細い道路がみえる。
 これは円山墓地へ行くための道路である。茶房森彦の前の道がすこし斜めになっているのが、この道路なのだ。

 さて、界川は北5西25附近で東西に分流してしまう。西の流れは、1970年代に環状通の整備で暗渠と化してしまう界川とほぼ同じである(つまり、いまの環状通とだいたいおなじコースということになる)。琴似川(ケネウシペツ)が界川と一緒になるのも、いまとおなじあたりだ。




 東のほうは、西24丁目あたりをながれてきた小川と、北6西25附近で合流する。
 この小川は「最近札幌市全図」を見ると、ギャラリーミヤシタのちかくが源流になっている。もっとも、地図により位置は微妙に異なる。
 この小川の名前をしるした文献は、筆者は見たことがない。
 また、現在、西21丁目通は、裏参道の南側で大きく折れ曲がっているが、この川と関係あるのかどうかもわからない。

 話を界川の東流にもどすと、界川は、北9西23の、現在の「やちだも公園」のすこし北側で、旧円山川と合わさり、さらに函館線の線路のすぐ手前で、琴似川と合流することになる。ふたつにわかれた界川はここでふたたびひとつになるというわけだ。


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