まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

探してきましたです・・・。

2006年06月25日 | 歴史
 過去の写真ファイルから探し出してきました。これが、坂東捕虜収容所・・・。
俘虜・・・て書いてありますね・・・。ロケセットの実物です。

 なんか・・・五億円をかけて作ったロケセットとか聞いたですが・・・、電線なんぞはロープであったり、それらしくは作ってあるのですが。。。

 ちなみにここに入るには・・・施設維持費とかの名目で500円であったような。別に料金を払えば・・・ガイドさんがつくようです。

 ここを見てから映画を観るか・・・。映画を観てから・・・ここを見るかです。

 しかし・・・、ドイツさんの捕虜とはいうものの、電蓄を持っていたり、カメラやイーゼルを持っていたり、楽器を持っていたり・・・、水着まで持っていた・・・みたいな映画です。本当に戦争に行くのに、そんなものを持っていったのでしょうか。映画だから、大きな目で観ればいいのでしょうか・・・。


坂東の林の中に・・・。

2006年06月25日 | 歴史
 四国霊場一番札所・・・「霊山寺:りょうぜんじ」の近く、大麻神社の参道から少し外れた場所に・・・、東映の坂東ロケ現場・・・というのがあります。

 小豆島の「二十四の瞳:映画村」みたいな感じで・・・「歓喜の郷」と名づけられています。実際にはこの場所ではなかったのですが、近くに・・・第一次世界大戦のとき、青島(チンタオ)で捕虜となったドイツ兵が・・・、はるばると、この阿波の坂東・・・という場所に送られてきました。

 日本中各地では、捕虜を虐待したり、必要以上に監視したりした中、この坂東収容所は人間として捕虜をもてなし、また、地元の人々も「ドイツさん」と呼んで親しくしたそうです。

 戦争の時には敵・味方の立場であっても、戦争が終れば、同じ、人間同士なのだという・・・、信頼でしょうか。尊敬でしょうか・・・。人権の遵守・・とういうことなのでしょうか。

 その捕虜収容所では、自由に機関紙を発行したり、音楽会を催したり、作品展を公開したりしていたみたいです。自給自足・・・みたいな運営であったようです。

 そして、第一次世界大戦が終結して、捕虜たちが本国へ帰るというとき、坂東の人たちに、感謝の意味を込めて、みんなで演奏したのが・・・

 あの・・・ベートベンの第九交響曲です。そして、男性合唱による「歓喜の歌」が、わが国最初の演奏だといわれています。

 ちなみに・・・映画は、「バルトの楽園:がくえん」という名前で公開されております。収容所長を演じるのは・・・松平健さんです・・。

はやてちゃんのこわいもの・・。

2006年06月25日 | Weblog
 雨の中をはやてちゃんは大王丸に乗って疾走です。

 でも、こわいものがあります。それは・・・、ご近所の放し飼いになっている犬なんです。自転車に乗っていると、追いかけてくるのです。それも早い速度で追いかけてくるのです。

 なんで、犬の放し飼い・・・なんでしょうか。危ないとは思わないのでしょうか。それとも、野良犬が走り回っておるのでしょうか・・・。ちゃんと首輪はついているのですけれど。

 我が家の大屋根の二階北半分は・・・屋根裏でお部屋ではありません。お部屋は南側半分だけのです。その屋根裏がはやてちゃんの秘密部屋・・・「大王の間」なんだそうです。そこへシートを敷いて、毛布を持ち込んで、そこでお昼寝です。

 で、真っ暗なもので・・・電気をつけてよ・・電気をつけてよ・・・というのですが、お部屋でもないのに、電気工事もできません。そこで、コンセントを伸ばして、デンキスタンドを置いてあげました。これでばっちりです。




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