まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

聞くたびに ライオンは寝ている 寝て居るだけか

2010年12月30日 | 自然

ライオンは寝ている(訳詞付) / The Tokens

 いよいよと・・、お寒ぅ・・なりました。南国四国でも・・雪が降るのでございますな・・・。などと、落語調で始める意味はないのだけれど・・。

 この・・ライオンは寝ている・・というのんを・・「グッチ裕三」さんが歌っていて・・・。なんか、すごく勇気の湧いてくる歌だなぁと思ったもので共有してみた・・・。とりたてて・・・、グッチさんのファンではない・・。

 で、今日は我が家のお餅つきだった・・・。母のさっちゃんの郷愁・・・というか、永年の習性というかで・・、お正月前にはお餅を撞くものだという意識があって・・。私も家内のけいこばぁもどうでもいいのだけれど・・、「餅つきをする・・」というので・・・孫たちを動員して・・。

 

 餅つきたって、臼や杵を使うお餅つきやなくて、こういう・・機械でこねまわすという・・・、いわば、コンクリートミキサーみたいなものだ。セイロで蒸した餅米を・・・このミキサーの中に入れてスイッチを入れると・・しばらくすると・・お餅ができる・・・。

 

 それを・・娘と・・孫のなぎちゃんとで丸めて・・お餅にする・・。讃岐では・・丸餅にあん入り・・ていうのが常識・・。当初は・・ヨモギ入りとか、青のり入りも計画されていたのだけれど、手間とかを考えて・・白い餅だけになった・・・。

 お餅ができた頃に・・・思わぬ・・雪・・・。

 

 なぎちゃんは・・・ボウルを持って・・・、雪すくい・・・。テニスで鍛えたスナップで・・・雪をすくい上げる・・・。こどもは遊びの天才だ・・・。

 

 お餅の方もできあがって・・・。神棚用の小さな鏡餅を三個。お仏壇用の大きな鏡餅を二個・・・。それらをちゃんと・・お供えして・・・。

 

 雪は・・・激しくは降るのだけれど・・・牡丹雪というか・・・わたぼこりみたいな雪で・・・、地上に着いたらば、すぐに溶けて流れて・・・おしまいだ。

 

 見かけはすごいのだけれど・・実質は・・痛くもかゆくもないというような雪・・・。身体や頭に雪をかぶっても・・、なんともないというような・・・紙吹雪みたいな雪だ・・・。それが溶ければ・・・少しは冷たいなぁとは思う・・・。所詮・・・水だからね・・・。

 

 全く・・・、冷やかしみたいな雪だ・・・。降ったり・・止んだり・・、雨になったり・・、思い出したように・・またも激しくなってみたり・・・。

 そうそう・・・、けいこばは・・夜勤から戻っての「明け」なんだけれど、そのお土産に・・・ということで、和凧をもらってきた・・・。それを入り口正面に掲げてみた・・。

 

 それだし・・・玄関飾りには・・こんなものが・・・。お獅子の前の籠には・・・お賽銭が入るようになっている・・。かと行って、家族の誰もが、お賽銭なんぞは入れないのだけれど・・・。なんちゅうか・・「スタイル」だけのことなんだ・・。

 

 今日も・・、充実した一日になったと思う・・・。このあと・・我が家では「大忘年会」になったことだった・・・。

じゃぁ、また、明日、きっと、会えるといいね。

 

 

 


特別付録>第61回NHK紅白歌合戦 「ウタ♪ウッキー 歌の力」

2010年12月30日 | 今日はすっかりとアートの世界

第61回NHK紅白歌合戦 「ウタ♪ウッキー 歌の力」

 日本にまだ今のような暦やカレンダーのなかった時代には、一年は穀物の種をまく春と、収穫をする秋の二つの季節からなると考えられていた。このことから、一年の始まりは・・・「春の初め」であるとされ、「立春」が一年の最初とされて、すべての生物が生まれ出る春が物事のスタートだった・・・。

 だから・・年賀状には・・真冬なのに・・「迎春」と書くものらしい・・・。

 

 「めでたい」という言葉も、「芽出度い」=芽が出る、から来ていると言われている。とりたてて、お正月だからおめでたい・・という訳でもないらしい・・。

 日本人は、その一年のあいだに、農作業を中心とした働く日と、休む日を合理的に配置してきた。また、一年の生活を二つに分けて考えていた。それが、 ハレ(晴)とケ(褒)である。

  

 「ケ」は日常的なものとされ、ケの日には労働をしなければならなかった。それに対して、「ハレ」の日は特別な改まった日で、お祭りをする日であり、むしろ働いてはならない日となっていた。このハレの日が、年中行事の日にあたり、また、お休みをする日でもあった。

 冒頭のように、大昔の日本では、一年を春と秋の二つの季節に分けて考えていたため、一月から六月までと、七月から十二月までは、それぞれ同様の行事が繰り返されてきた。そのことが特によくわかるのが正月と盆であった。暮れの墓参り、歳暮、年神祭りのための松迎え、年棚作りに対して、盆の墓参り、中元、盆花迎え、盆棚作りなどがそれぞれ対応しているのだ・・・。

 

 現在は、大晦日の夜中、つまり除夜の鐘をつき始めるときを新年の始まりとする・・・。「あれれ・・・まだ、新年になっていないのに・・・」などと、時計を気にしながらささやく一がいるけれど、昔はおおらかなものだったのだ。

 また、私たちは元日の日の出の時や目覚めたときを新年と考え、「明けましておめでとうごぎいます」とあいさつしたりする・・。

 
 
 ところが昔は、日が暮れたときがその日の始まりで、次の日が暮れるまでを一日と考えていたので、大晦日の夜は、すでに新年が始まっているということになる。 そのため、大晦日の夕方までに正月を迎えるすべての準備を整えて、日暮れとともに年神を迎えて年神祭りを行わなければならなかったのだ。

 さて・・、大晦日の夜を一年の日暦(ひごよみ)を除く夜と言う事で除夜と言う・・。ま、一年の最後の夜を締めくくり、暮れゆく年を惜しむ意味で昔からいろいろな行事が行われてきたのだけれど、その中に除夜の鐘を108回、鳴らすのがお寺さんのお役目みたい・・。

 

 この108という数が人の煩悩の数だというのは有名なのだが、その数の由来については諸説があるらしい。

  一番簡単なのは、「四苦八苦」=(4*9)+(8*9)=36+72=108になる・・。

 こういうものもある。人間の感覚を司る、眼(げん)耳(に)鼻(び)舌(ぜつ)身(しん)意(い)の六根が、それぞれに好(気持ちがよい)悪(いやだ)平(何も感じない)の三種があり、3*6=18の煩悩となり、これが、また浄(きれい)染(きたない)の2種に分かれて、18*2=36になる。さらに、現在・過去・未来の三つの時間が関わって、36*3=108となる。そのほかには、一年の12ヶ月+24節気+722候を合わせると108になる。など、いくつもの理由と数字遊びみたいなものまで出てくる・・・。

 一方、鐘を鳴らすことは中国の宋の時代に起こったものでその打ち方は『勅修清規』に「慢(よわく)十八声、緊(はやく)十八声、三緊三慢共一百八声」と記されているし、107回までは旧年中に、残りの1回を新年につくようにするのが慣習であるとするお寺さんもある。

じゃぁ、また、夕方にでも・・・。


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