まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

山ツツジ 相談できない こともある

2014年04月14日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れている。気温は7度から18度、湿度は90%から32%。風は1mから2mの北北東の風が少し・・・。明日の15日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みとか。昨日とは打って変わってさわやかな晴天になった。

 

 冬の間、パソコンばかりいじっていたので身体が重くなって動きが悪い。だから、こんないい天気の日には身体を動かしてみよう・・・ということで、山の旧宅に行ってみた。

 

 まだ、草丈は低くて草刈りをするような状況ではないが、昨年の草や新しい竹や笹などが見える。このまま放っておくと、今年の草刈りが大変になる。そこで、この枯れたような草や竹、雑木などをなぎ払っておくと、梅雨前の草刈りが楽になる。

 

 ピンピンと立っている草や竹などを刈り払うだけでも気分はすごく変わる。この竹は侵入防止用に置いてある。山菜採りや中年夫婦などがどんどんと入り込んでは農具や道具類を持ち帰ってしまう。ま、金目の物はないが、他人さんにずかずかとは入り込んで欲しくはない。

 

 午前中に、この入口部分の草刈りは終わったが、午後からは気温が上昇してきて暑くなったので作業は終わりにして、明日の朝に、この続きを刈り払うことにした。

 

 今年は竹の子が生えない・・・と思っていたが、親竹の元気がない。枯れた竹も多くなった。たぶん、毎年、イノシシが竹の根っこを掘り返すので、竹の根が乾燥してきて枯れ出してきたのだと思う。

 

 こんな風にして、イノシシが穴を掘ってタケノコを食べてしまう。すると竹の根がそのままになって乾燥して枯れてゆくようだ。祖母には「タケノコを掘ったら、必ず、根元は埋め戻すこと」と、厳しく言われていたのだが、イノシシはそんな教育は受けていないみたいだ。

 

 山では新緑が萌えだして春の山から初夏の山へと変身中。間もなく「山笑う」季節になる。

 

 そうそう、文集「さなぎ」の原稿は郵送しておいたし、レキ墓用案内看板の原稿もメール添付して送信した。さしあたっての宿題は完了。あとは自分の研究やお勉強だけになった。そうなると、自分のお勉強は、どうしても後回し、先送りになってしまいそう・・・。

 

 一過性のものだと思っていた目のカスミが一向によくならない。明日にでも眼科に行ってこようか・・・。パソコン作業やデスクワークではなんら支障はないのだけれど、屋外に出たり、車に乗ると、まるきり寝ぼけ眼のようにかすんでしまって左右の間隔がわからない。単純な「ドライアイ」とかというものではなさそう・・・。

  

  県立病院の眼科の先生は「白内障の前期で、まだ、手術するほどでもない」と言うたのだけれど、このカスミ状態は普通ではない。目が異常でないのならば、頭の中がおかしくなっているのだろうか。昔から、「目はこころの窓」とか言うたけれど、こころまでが曇ってしまって、霞んでしまって・・・。

 

 思考回路までもがおかしくなってきている。今朝も、草刈り機の燃料の混合ガソリンの容器がわからない。分からないからどうすればいいのかがわからない・・・。しばらく考えて、迷ったあげくに、ホームセンターで混合ガソリンを買って来たが、それは正解だったのか、不正解だったのか。根本的には、我が家の「混合ガソリン容器」を探さねばならないのだが、その解決策までには到達していない。

 

 今日の掲示板はこれ。「こどもには親が望むような才能はなくても 親がわからないような才能があるものです」という荒了寛さんのことば。

 What makes a child? To have no talents the parents hope for, but gifts the parents can never understand.

  「こうなって欲しい」「これはしてはいけない」などと、親は子供に勝手な決めつけをしているだけかも知れない。親子であっても計り知れない未知の才能を、子供には持たせているのかも知れない。「好きなこと」「やりたいこと」を尊重して、まずは認めてあげる気持ちと、可能性を伸ばせる環境を整えてあげるのが親としての使命かもしれない。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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