さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨が降っている。気温は9.8度から7.5度と日中が低くなってきた。降雨量は4mm/hから2mm/h、湿度は83%から94%、風は1mから3mの北東の風がすこしばかり。明日の10日は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がる見込みらしい。
地獄からの生還みたいな気分で焼酎片手になんでも鑑定団とかのテレビを楽しんでぐっすりと寝ていたが、「もう、いい加減に起きなさいよ」と起こされたのが午前7時過ぎ。あれだけトイレに起きていたのに、昨夜は1回だけでぐっすりと寝ていたらしい。それで大丈夫だったというのも不思議な話。腹水というか胸水というかはどこに消えたんじゃろうか・・・。
ま、下手な詮索はしないほうがいい。出なかったら出なかったでもいいじゃないか。出れば出たでもいいじゃないか。ありのままならバッタがぱぱじゃ。茄子がママならキュウリがパパじゃ。腹が減ったらおまんま食べて 寿命尽きれば あの世いき♪♪~。
今朝の朝食はこれ。バニラもなかと梅干し一個。病院食よりかはずっとおいしい。しかしのかかし、この「もなか」はなぜ、「最中」と書くのじゃろうか。その昔、公家たちが、宮中で行われた月見の宴において白くて丸い餅菓子が出されたのを見て、会話の中で「もなかの月」という言葉が出たことから、そのまま菓子の名前として定着したという説があるが、それと最中と関係があるのかどうか。謎が謎を産むお菓子ではないか。
奥方が若い頃に勤めていた歯医者さんに行って来た。昨年の秋かに弁当のおむすびを食べていて、むすびと一緒に前歯を食べてしまったことがあって、仮歯を「一夜城」として作ってくれていたものを、昨日の胃カメラ検査で暴れて前歯を折って壊してしまったのだ。
その補修をお願いしに行ったのだが、今度は「本修理」をするのだと仰る。今回は断る理由が何もない。今度、本山に出かけるのは6月の安居くらいなもの。所属寺院の春の永代経でも5月下旬ごろ。春の講演会でも4月の下旬。地区の自治会総会でも3月下旬・・・。予定が何もないのだから、本修理を断る理由がない・・・。
で、折れた根っ子部分の歯の修理と治療が始まった。ドリルやヤスリの音が神経を逆なでする。歯を折ったのは病院側じゃないか。いや、アンタが暴れたから折れたんだ・・・と、あたまの中であれこれと考えている間に治療が済んだ。また、一週間後の治療になるのだという。歯医者さんはこれが永いからイヤなのだ・・・。
歯を修理するとなると、お土産をしっかりといただいた。ま、製薬会社さんからのサンプルなんだろうが、こんなにいただいても・・・。うちの奥方さんからは、ブラッシングで充分。流水とブラッシングさえしっかりとすれば、こういうものはいらないの・・・と仰る。だから、歯磨き粉とか練り歯磨きとかは置いていないし、使う習慣がない。
これは私のデジタル日記帳。過去10年間の毎日の記録である。この中の黄色部分は入院期間。この時期にはなぜだか入院するようになっている。で、この時期に歯医者さんにも通っている。目には見えないサイクルみたいなものがあるのかなぁと思ったりする。
で、ものはついでで、今日はおうどん。「うめわかうどん」というのだが、ご案内の通り、ワカメうどんに梅干しが載るから「梅若うどん」ということになる。朝も梅なら昼も梅。「朝は朝星・夜は夜星・昼は梅干しいただいて・・・」と、ばぁちゃんが歌っていたが、孫は「朝も梅干し夜も梅干し、昼も梅干しいただいて・・・」っと。
さて、午後からはなまったおつむを締め直そうと、香川県立図書館へお勉強のために向かったのである。例の「俵札・遍路札」に関する歴史的裏付け調査である。人はなぜ、「納め札」を納めるのか、人はなぜ、神社仏閣に、自分の足跡を残そうとするのか。そのルーツは何か。その起源はいつか。歴史的証拠は何か・・・。
弘法大師空海や西行法師は「納札」を書いたのか、打ったのか、残したのか・・・。
今日は一日中、雨になった。
今日の掲示板はこれ。「他人と過去は変えられないが 自分と未来は変えられる」というもの。これはカナダ出身の精神科医であるエリックバーンの言葉として有名である。他人を変える事ができないこと、過去を変える事ができないことを悩むよりも、自分を変える事、自分の未来を変える事に目を向ける方が良いというのは、なんとなく「そうなんだろうな」と思えてくるもの。例えば自分の子供に向かって「勉強しなさい」とか「部屋を片付けなさい」と言っても、簡単には聞いてはくれないし、職場で人に迷惑をかけているような人に対して注意をしてもそれが治らなかったりするもの。過去を変える事も、過去に起こった出来事を変えるという事は出来ないけれど、自分の受け取り方を変える事で、その出来事に対しての見方を変えることはできるけれど、その事実が変わる訳ではないし、過去に何があったのかを秘密にした所であなたの過去の出来事がなかったことになる訳でもない。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。