シアワセとは何か、と問われたら即答できない。
大きな幸せは、どこかに血なまぐさいものを秘めている。
そうしたものと、すれすれの一線のところで成り立っているような気がする。
考えて楽しい事柄ではない。
では小さな幸せはどうか。
こちらのほうは各人各様それぞれに違って、考えて楽しいことのように思える。
小さな幸せとは何か。
アタクシの場合ですが、ゴキブリホイホイがいっぱいになることや、蚊をうまく叩くことなどがある。
蚊をうまく叩くことを考えてみよう。
蚊ぐらい憎たらしい奴はいない。
害ばかりでいい面がひとつもない。
人間の敵役の最たるものである。
あの「プィーン」という声だか羽音だかも許しがたい。
ヘンに折れ曲がって長い後ろ足が邪悪を感じさせる。
第一こころが通いあうということがない。
人間の身辺にいるアリとかクモとかには、けっこう心の通いあう部分が多い。
ゴキブリだって憎たらしいことは憎たらしいが、多少の滑稽感もあるせいか、心が通いあう部分がないとはいえない。
ところが蚊には通いあう部分がまったくない。
話し合いの余地がまるでないのだ。
刺されているのを知らずにいて、かゆくなって初めて気がつくことがある。
慌ててパチンと叩くと「プィーン」と明らかに人をバカにした声を発して飛び去って行く。
憤怒のあまり、千里の果てまで追いかけて行って叩きつぶしてやりたくなる。
寝苦しい夏の夜など、ようやくウトウトと寝入りかかり、やっと眠れると深い眠りに落ちようとするとき。
まるでその時をどこかで待っていたかのように、「プィーン」と飛来してくる。
黙って飛んできて黙って刺して飛び去っていけば気づかずに眠ってしまうかもしれないのに、わざわざ警告音を発しながら飛んでくるのは、人間をバカにして楽しんでいるとしか思えない。
まさに憎んでも憎み切れない卑劣、下賤のやからである。
どうあっても許すことはできぬ。
だから狙い定めてうまく叩きつぶしたときは、飛び上がらんばかりに嬉しい。
幸せで胸がいっぱいになる。
そのかわり、見事とり逃がしたときの無念さはこれまた大きい。
俺ってなにをやってもダメなんだよな。
なんてことまで考えて、限りなく落ちこむのである。