やせ蛙まけるな一茶これにあり
我と来て遊べや親のない雀
長野放送で「小林一茶」の特番があった。案内役は更埴の森獏郎さんだった。写真に写ってる版画家。以前は同じ会に所属していたが私が辞めて年賀状だけの交流になってしまった。それでも一茶のカレンダーは送っていただいてる。番組は東京まで取材され、かなり興味をひくないようだった。生まれ故郷の北信州を巡るくらいかと思っていたのがまちがいだった。
一茶は十五歳の時、江戸に出る。父が継母との不仲から故郷から離した。立身出世を夢みての江戸ではなかった。これから俳句の世界で名をなしていくが、なみたいていの勉強ではなかったらしい。
半藤一利さんの書いたものに「かれの性格はしつこかった。絶えず漂白という境遇で鍛えられていたので、万事勘定高く、引き下がらない。すっきりしたところなく、とりすましたところもなく、議論では主張を押し通し、まけず嫌い・・・・」とあった。そうでもないと田舎出の地方農民があこまでな・・・・・