武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

ブータンの豊かさ

2011年11月20日 | Weblog


ブータンの国王夫妻が来日している。歓迎の宮中晩餐に防衛庁官が欠席し・・・仲間の政治資金集めのパーティで出て「こっちの方が大事」とか言ったとか・・・・・
そんなことはどうでもいいが、ブータン国は「心」に重点を置いた国造りに力を入れているそうだ。「幸福の国」。それでも格差とか、外国資本の導入とか課題はあるようだ。
かなり昔「万葉の謎」?と言う本が出版され、あまり知られてない奥地の写真が載っていた・・・・・日本の着物のような衣服、板塀の家、石を乗せた屋根・・・・日本の昔のような感覚をおぼえた。・・・・あれはブータンだったかなーーーー

ひいと鳴く尻声かなし夜の鹿

2011年11月19日 | Weblog
鹿が暴れている。

秋になると交尾期で牡鹿が雌鹿を呼ぶ・・・・その声はいかにもあわれを誘うと万葉の昔から和歌などの詠まれてきた。
「奥山のもみじ踏み分け鳴く鹿の・・・・・」と詠まれているのが百人一首。

山梨県から長野県にかかる八ヶ岳山麓も鹿の生息地だが・・・・・あまりにも増えすぎ樹木を食い散らす。
山梨県で駆除しても長野県に逃げ込むと・・・・行政のラインがとうせんぼ。
どうやら話し合いがまとまって駆除しようとなったらしい。


愛らしい鹿も、最近はスッカリ嫌われ者だ。

めんようの思い出

2011年11月18日 | Weblog


ひつじ・・・・・・最近肉しかお目にかからない。小さい頃はどの家にもヤギもニワトリも身近にいた。羊も当然いた。
羊は毛を刈り取って毛糸にし、それを母がセーターに編んでいた。そういうことはどの家でもあたりまえの事だった。
小羊も生まれた・・・・尻尾は結構長いので、これが毛を糞尿で汚すので小さい時に焼き火鉢で焼ききった。これには小羊はかなりの悲鳴をあげていた。焼き肉のような臭いがした。

当然雄の羊もいて・・・これが巻いた大きな角を持っており、怒ると頭をふって襲ってきた。これは痛かった。

全県の落ち葉焼きの自粛が知事から発しされたそうだ。まったく迷惑な話だ・・・しかし故郷に帰れない人もいる・・・・・・・・。

たき火だ、たき火だ・・・

2011年11月17日 | Weblog
白い煙があがってる・・・・たき火だ。
なんでもかんでも燃やすことが禁となって・・・・昔ほど煙に行き会うことは少ないが落ち葉のにおいもなつかしい。庭でも二、三回隣を気にしながら炊いた。
セシウムの関係でたき火を自粛せよ・・・と新聞に載っていた。


ここのところグーーーと朝など冷えが深くなった。
やがて歳越しが来る。こんな様子がまた見られるだろう。なんだかこういう風景を題材にして数枚版画を作った・・・みんなどこかへ消えてしまったが・・・

童謡で♪たき火だたき火だ。落ち葉たき。・・・・・と歌われている。たかれるのは落ち葉だから・・・・たき火というとおかしいと言うのは屁理屈だ。
床屋に行って「頭を刈ってきた」というのと同じだ。

「水路のある風景」を刷った・・・・なかなかあわないで苦労した。

なぜか寒くなると・・・学校版画

2011年11月16日 | Weblog

柿の木の葉が落ちて・・・赤き実が秋の色だ。胡椒類の赤もきれいなこの頃だ。
大町の小学校に呼ばれて版画実技講習会に行ってきた。

高学年は木版画、低学年は紙版画の実技をおこなった・・・・写真は彫りの見本に用意したものだ。
続けて先生たちの作品・・・・・なんか皆さん自分ではあんまりやったことがないようだ。・・・・だから呼ばれたのだけど・・・・

もみじ

2011年11月15日 | Weblog
「もみつ」と言うのが、今のモミジのもとの言葉だそうだ。
「紅葉する」と言う意味でつかわれた。万葉の書物では「黄葉」と書いているそうだ。当時はナラ、フジなどを黄葉として鑑賞したらしい。
庭の落ち葉に時雨・・・・・・・そういう季節になったようだ。

「初時雨猿も小蓑をほしげなり」


写真は地区の公民館でやってる年賀状講座2日目のスナップ。
この写真は「水路のある風景」で骨版(黒色)と色鉛筆で調子をみたもの。

日本人のふるさと

2011年11月14日 | Weblog

廃屋の破れ障子の寒さかな
ふるさとの生家を貸している人から座敷の床が落ちたと・・・テレがきた。確か明治はじめに立て直したと聞いていたので・・・いよいよかなと。
ある人から「ふるさと」を捨てたようなこと言ってるが、俳句や短歌をみると「ふるさと」を題材のものがある・・・・根底には「ふるさと」は捨てれないのだ・・・・・とか言われてしまった。

ふるさとの萩盗人のとうせんぼ
ふるさとのたよりは白く埋もれて1人暮らしになお降り積もる

日本人は人間関係をひとつの縁で結ぶことが好きだ・・・・・そういう人がいる。外国の人のことはよく知らないので・・・比べるものがないが血縁・出身・地縁・学閥・仕事縁・・・・・・こういう網にひっかかってるので社会から脱落しない仕組みになってるとか。
娘が東京で長野県人会に出たとか言っていた。
旅先で「信州人です」とか言われると、まったく知らないのに親しみを感じてしまう・・・・・日本人の縁・「ふるさと感」は捨てられないだろう。

どくとるマンボウ・・・・・記

2011年11月13日 | Weblog
この写真は松本城の近くの古本屋だ。
松本で学生時代を過ごし、先日亡くなられた作家・北杜夫もここに来たらしく著書「どくとる・・・・・」に出てくるらしい。
店頭には北さんを悼んで「どくとる」の古本シリーズが並んでいた。
このお城風のたたずまいはズーーーーと昔からあったのだろう。
観光客が写真を撮っていた。わたしも撮っていたが・・・・・
そんなに古本が売れるでもなさそうだ。一冊の図録を買った。浮世絵の写真版が山と積んでいた・・・・これは外国観客をねらっているのかな。

ブラタモリ

2011年11月12日 | Weblog

給餌台にパンの残りを載せたら、ヤマガラが来た。これを見つけたニャンコが飛び出した。・・・他に自分の力を示すところがないのだ・・・・・。

あの災害から8ヶ月がたった。これから東北は寒くなるだろうし・・・・孤独死のニュースもあり、まだまだこれからの道のりは遠い・・・・原発では本当に人間がコントロールしているのだろうか・・・と思ってしまう。
日本では災害は100年に一度でかいのが来るとか言う・・・・中国では革命と災害は61年に1度起るとされてきた。妙なことに天災、気候異変が一緒なのだ。も・・・・・気象と自然現象と一致する。それが世の習いとされてきた。

「ブラタモリ」という番組があって・・・タレントタモリが若いアナと東京の町をめぐる番組だ。それをみてると「ここに水路があった」が結構出てくる・・・・江戸の町はやたらと水路があったのだ。これは運搬の水路でもあるが、実は高潮が襲ってきた時のクッションであり流れ込んだ海水を海に流す退路でもある。実際高潮が来た時、力を発揮した。
自然は逆らうものでない。そういう考えがもともと日本にあった。中国もそう。

江戸時代水路を作ることを考え・・・・防波堤を作って自然を跳ね返すような考えをしなかったとか・・・・・・・現在は防波堤もたくさんつくっている。これがいけないというわけではないが自然に対する考えが昔は西洋、東洋で違うのだ。
下の写真は講座の皆さん制作中です。

二宮金次郎

2011年11月11日 | Weblog
教室で「思い出のベニス」の版画を創っている方がいる。ここの水路の表現がわからない?むずかしい・・・と言われて・・ああだ・・・こうだ・・・と話しても・・・・こっちも水に表現もやったことないので・・・・・創ってみた。
昔、ハンガリーに行った時の写真があったので挑戦してみた。もともとこの風景には水路がなく・・・道路でしたが水路にしてしまいました。これを今日の教室に持参する予定でーーーーす。

そういえばこの間「水」の話を載せたので、もうひとつ。
日本の稲作の歴史をみると・・・・稲はもともと亜熱帯のものであるから・・・日本では苗代を考えついた。苗床のまわりを深くほって水をためる。冷水は底にしずみ・・・温水は上にくる。これで苗代は冷たい水から逃れられる。その方法を作りだした。

昔、よく校庭に建っておられた二宮尊徳はそれを水田にも応用し、ためた水を田にいれる時上の水を入れ・・・・底の冷たい水は捨て・・・・収益をあげたと言う。