フランス・マクロン大統領が暴漢に平手打ちされている報道を見ていると改めて政治家がいかに危険な職業であるかを思い起こさせる。こういった、公然としたテロ行為(暴力行為)は、自分は安全な場所に身を置きながら暴力を礼賛したトランプの影響が世界中に広まっていることも実感される。今回の事件で暴漢はもちろんだが、たぶん同じくらいに大統領警備の不備・失態に非難が集中するだろう。不審者をあらかじめ見つけ出し事件を未然に防ぐこと、更にそれが出来なければその場で身を挺して大統領を守るという警備(ボディガード)の役目が全く果たされなかったからだ。
選挙に向けて大衆に近づきたい大統領とその間隙を狙う暴漢、そこでの折り合いは強力な大統領警備をおいてほかにない。
ボディガード、といえば、ケビン・コスナーとホイットニー・ヒューストンが共演した、ほぼ30年前の1992年公開の映画「ボデイガード(The Bodyguard)」が思い出される。この映画、レーガン大統領警備に失敗した(暗殺未遂事件発生を許した)として大統領警備(シークレットサービス)から外れたケビン・コスナーがわがままな超売れっ子歌手のボディガードを務め、体を張って彼女を守り、その功績?から最後にはまたボディガードとして頂点にある大統領警備(シークレットサービス)に戻ることが出来る、という筋書きだが、当時日本ではまだ耳新しかったストーカー行為が社会問題になることを予感させるなど、時代性・社会性にも富んでいた秀作といえるだろう。
あの伸びやかなホイットニー・ヒューストンの歌声も素晴らしかったし、何よりほとんど笑わないケビン・コスナーが輝いていた。多分彼の俳優としての絶頂期だったと言えるかもしれない。友人がこの映画を見に行ったら、見終わって出てくる観客(もちろん男)が(その容姿にかかわらず!)どことなくケビン・コスナーの雰囲気をまとっていたようだ、と言っていたのには苦笑せざるを得なかった。ちょうど、高倉健のやくざ映画を見た後の観客が彼の顔つきを真似ているように。
今は亡き、幸薄いホイットニー・ヒューストンが銃弾に倒れたケビン・コスナーを指して叫ぶ「彼は私のボデイガード!」という声と、何曲もの挿入歌の、ゴスペルで鍛えた澄んだ高音がまだ耳に残っている。
話は変わるが、この前不正使用のために無効になったクレジットカードの代わりのカードが一昨日届いた。ほぼ5日で手元に戻った(ただし番号は変わった)ことになる。