回顧と展望

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言葉にこだわり

2021年06月26日 13時45分37秒 | 日記

一般に使われているのは知っているし、その意味も分かっているが使いたくない言葉がある。いつまでも固定観念に縛られていると言われるかもしれないが、簡単には切り替えられない。どこかで抵抗感を持ってしまう。これを、頭の柔軟性を失ったとでも言うのだろう。

昨日、ロンドンに住む長年の友人とスカイプビデオでずいぶん長話をした。彼には語学の才能があり、数か国語を自由に操る。幼少の頃に神戸に数年滞在し、母国に帰国後も親の配慮で日本人の家庭教師をつけて日本語を忘れないようにしたせいで今でも日本語を流暢に話すことが出来る。もうずいぶん前になるがロンドン大学の主催する日本語のスピーチコンテストで優勝したことがあるくらいだから、声だけを聴いていたら誰もが日本人が話していると思うだろう。

彼はハーバード大学大学院を卒業するほどの秀才でもあり、もちろん英語は全く問題ない。しかし自分が彼と話をするときには彼の希望で日本語でということになっている。彼としては、今はなかなか日本語を話す機会がないから、自分と話すときくらいは日本語の能力の維持のためにも日本語で、ということなのだ。少しでも役に立てるなら、と自分としても異存はない(というよりは、英語での会話がだんだんと苦痛に感じてきたから、こちらとしても渡りに船、ということで)。

そんな彼との話の途中で、彼がかつて働いていた職場が「やばいことになっている」というのがあった。話の脈絡からすると、何か大変にまずいことが起きている、という意味。かつての同僚を心配していることからもそれは明らかだ。困ったこと、まずいことが起きているということでやばい、という言葉を使ったことでこの言葉が特に耳に残った。この言葉、自分もかつてはその意味で使っていたことがあるが、その響きに抵抗があって、可能な限りほかの言い方をするようにしていた。

しかし、現在の日本では、この言葉はそういう意味では必ずしもない。それどころかむしろ逆の意味を持たせている。先日、NHKテレビを見ていたら、登山家というのか、プロアドベンチャーレーサーという田中陽希が日本百名山一筆書きという番組で、どこかの山に登頂したとき、頂上からの絶景を指さしながら「これほんとやばいっすよ」と表現していた。絶景がやばいという言葉で形容されるというのをNHK も認めたということだろう。事程左様に若い世代を中心にして、いい意味で、例えば美味を称賛する時や何かに感嘆する時に、やばい、と言っているのは今ではどこでも聞かれることだ。

彼は日本語の変化にも敏感で、時流に合わせて使いこなしている方だと思うが彼にとってのやばい、は自分と同じ意味で使っていると判った。彼のこの言葉に対して、老婆心から、今では違う意味でもつかわれているよ、と言いたい気もしたが、それには長い説明が必要になるので、今回は聞き流しておいた。しかし、いずれ、彼にもこの言葉の現在の使われ方を教えなければならないだろう。

自分は子供の頃に母親から、その時代なりの判断基準からだろうが使ってはいけない言葉を教えられた。そんな言葉の一つにこのやばい、というのがあったように思う。もちろん、粋がって友達の間で自分もこっそりと使っていたが、それでもなお今でも口に出すにはいささか抵抗を覚えるのは事実。

いつまでも固定観念にとらわれてはいけないかもしれないが、ほかの表現方法があるのならこの言葉は使いたくないな、と思う。

コメント (6)
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