回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

帽子

2021年04月19日 18時13分31秒 | 日記

7年ほど前、突然円形脱毛症に罹ったことがある。その年の2月に知人の葬儀に出席したときに同席していた親類の女性から、いつまでも髪があっていいですね、といわれてまもなく(それで少しいい気になったことへの罰でもあるように)急に髪が抜け始めた。ほんの数週間のうちにいくつか円形に髪の薄いところが何か所か出てきた。どこか体に異変でも起きたのではないかと思い気になって近くの皮膚科に行くと、大丈夫、ストレスか何かだと思いますので間もなく治りますよ、と言われ塗り薬を処方された。その後言われたとおりに何度か通院し、更に内服薬を処方されたり、光線を当てるなどの治療を受けたが一向に改善しない。それどころか、状況は悪化する一方だった。そして、最後に医者からは、残念ながら当院としてはもうこれ以上手の施しようがない。ついては美容整形外科を知っているからそちらへ行ってみてはどうか、ただし、健康保険は適用されないので、高額になるが、と言われた。

最初の診断は何だったのか、といささか憤慨するとともに、それまでの費用も決して少なくはなかったので、大いに落胆してしまった。髪を失うこと自体はいずれ避けられないだろうと思っていたがあまりにも急激な進行だったので簡単には受け入れられない。そうしていた間にも友人から夕食の誘いがあり、断ることもできないので、何人かの友人に会うことになった。もちろん彼らは自分の頭(髪)の変化に気づいていたがその時は何も言わなかった。後で聞いたのだが、癌か何かの大病をして、その治療の副作用で髪が無くなったのではと思い、髪のことよりも病気の可能性のことを心配をしていたと。

美容整形に通院して植毛するとか鬘をつけるとかということは、自分にとっては選択肢になかった。こうなったらあるがままを受け入れようと腹を括ったが、やはり、見た目が気にならないことはない。いっそ坊主頭にでもしようかと思ったこともある。そのうちに5月になり、だんだん日差しが強く感じられるようになった。これまでは髪の毛が日差しを受け止めていたのに、今は頭皮に直接日が当たる、いわば直火のようなことになったので一層そう感じられたのだと思う。自分では腹を括ったと言っても周囲の人の目に留まれば不快感や疑問を持たれるのはやはり良くない、という気もしてきた。そういうこともあってある会合の後、東京駅の大丸に寄って夏向きの帽子を買うことにした。店員も円形脱毛になっている自分の頭を見て何かを感じたのだろうが、いくつかのなかから勧めてくれたのが、かの渋沢栄一も創業に携わったというトーキョーハット(Tokio Hat)の通気性のよいウールとコットンの夏向きの帽子。これを被ると脱毛の所が程よく隠れるし何より強い日差しから頭皮を守ってくれそうだったので、さっそくそれを被って帰宅した。

それからというもの外出する時にはたいていその帽子を被っていた。そうしているうちに、日差しも少しづつ弱くなり、秋風を感じるようになったころ、それまで地肌の見えていた部分に産毛のようなものが生えてきた。この調子なら冬向きの帽子を買う必要もなくなるかもしれない、と期待していたところ、何か所もあった脱毛していたところが一斉に回復してきた。幸いなことに冬が来た頃にはほとんど元通りになって脱毛した所が目立たなくなり、周囲に不快感を与えるようなことも無くなった。

幸運にもほぼ元通りに回復したのだがいったい何が本当の原因だったのか今でも判らない。医者の友人も原因については特に言わず、何もせず放っておいて自然と治ることも良くあるんだよね、という程度。あんなに高額の治療費を取っておいてきっとあの皮膚科はやぶ医者だったに違いない!!

いつか帽子の似合う人になりたい、と思ってはいたが、自分にとってはそんな悲劇的(あるいは喜劇的)な出来事と結びついているから複雑な気分だ。もちろん、帽子は頭を自然の脅威から守るという実用的な意味がある。北欧やロシアのような極寒の地では帽子がないことは生命の危険を意味する。しかし、普通の状態では、例えば室内では相手に失礼で被れないし移動中も帽子の取り扱いには何かと気をつかわなければならない、下手をするとせっかくの帽子が型崩れしてしまうこともある。昔、女性が帽子を格納するための帽子箱をいくつも携えて旅行をしていたことからもそのことが判る。

たしかに帽子が与える印象は、特に近代のヨーロッパにおいては極めて重要なものだった。それは、「頭の上に帽子を載せることで人は、それを持たない人たちに疑うことのできない威厳を誇示できるのだ」というフランスの劇作家トリスタン・ベルナールの言葉、そして、帽子を被らないミッテラン・フランス大統領に対しては「フランスを代表するシルエットに何かが欠けているように感じられた」(アントワーヌ・ローラン、「ミッテランの帽子」)ということにもつながる。

もう7年以上も経って、少しくたびれてしまったトーキョ―ハットのこの帽子、今年も(円形脱毛を隠すためでなく)季節が巡ってきてそろそろ出番が回って来そうだ。

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湯治

2021年04月12日 18時04分37秒 | 日記

湯治のために洞爺湖へ。札幌から日本海側を南下。木田金次郎の岩内近くの海岸。染まってしまうのではないかと思うようなコバルトブルーの海に白い波頭。

道路わきに引き上げられてあるのは小さな漁船?

洞爺湖、湖面に映る中島。

中島の左には雪を被った羊蹄山の頭が望める。

少しづつ近づいてみると遮るものもなく富士山のような形が目に入ってくる。

手前の畑には残雪。

まだ氷の張っているダム湖。少し標高が高いとまだ冬の風情。

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時計

2021年04月10日 14時41分23秒 | 日記

ロンドン時代の現地の同僚の一人に骨董好きがいて、なかんずく古い時計を集めていた。ただ集めるだけではなく、動かなくなった古時計を二束三文で仕入れてきて時間をかけて修理し動くようにしてからまた売りに出す、ということもやっていた。昔の時計の中には時報を打つものが多い。その時報の音も千差万別。大体1時間ごとに鳴るもの多いが、古い時計でもあり一斉に鳴りだすとは限らない。5分10分のずれは当然だし、また時計自体どこで止まるかわからないから、結局家の中ではひっきりなしに時報が鳴っていて、特に夜などは近所迷惑になるから音が出ないようにしなければならず大変、とこぼしていた。

時計が一般に普及するまでは教会の鐘などが時刻を知らせる役割を果たしていた。以前TVの旅番組でスコットランド、エジンバラ城の時刻を知らせる大砲の話があった。普通であれば、区切りの良い正午に大砲を撃つのだが、この城では午後1時に大砲を撃つという。その理由は、もし正午に撃ったのなら12発撃たなければならないが、午後1時なら1発で済むから、という経済的な理由だそうだ(その真偽は判らないが・・・)。しかしもし昼食の合図にしようとするなら役に立たないかもしれない。

昨日、エリザベス2世女王の夫君、フィリップ殿下が99歳で逝去された。彼はヴィクトリア女王の血を引くギリシャ王族の一人だが、結婚してからはエジンバラ公爵に。王配として女王を長年支えてきたから、彼の死は自分にとってイギリスの一つの時代の区切りのように感じられる。

同僚に触発されたというわけではないが、自分もいくつか古時計を買ってみた。その一つ、まだヴィクトリア女王治世の19世紀に、ブドウをかごに入れようとしている少女をモチーフにした、フランスで作られた置時計。ケンジントンの骨董屋で見つけて、少し高かったのをいくらか値引きしてくれたので手に入れることが出来た。

 

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赤い手帖

2021年04月09日 15時52分31秒 | 日記

「黒革の手帖」といえば、松本清張のピカレスク・サスペンスの長編として名高いが、これが赤い手帖だったらどうだろうか?アントワーヌ・ローランの「A Femme au Carnet Rouge」は、ある種サスペンスでもあり、またよくできたおとぎ話のような恋愛小説でもある。ここ2週間ほど、ほかにできることが何もなかったのでゆっくりゆっくりと読んだのがこの本。この小説の邦訳、題名が「赤い手帖の女」ではなく「赤いモレスキンの女」というのも秀逸。モレスキンと言えば、すぐに手帖のことだとわかるしアマゾンでは2000-3000円で売っているから日本でもファンが多いと思う。もちろんこの本に出てくる赤い表紙の手帖も。今は、ジェンダーについて何か不用意なことを言うと大変なことになるご時世だが、この本の題名が例えば、「赤いモレスキンの男」というものでは何だかさまにならない(あるいはおどろおどろしい)ような気がする。

もともとモレスキンは19世紀後半、フランス、トゥールの製本業者によって手工業で作られた硬い表紙と手帖を閉じるためのゴムバンドが特徴だった。パリの文房具屋で販売され、ゴッホやピカソといった多くの有名人が使用していた。最も有名なモレスキンのユーザーは英国紀行作ブルース・チャトウィンと言われている。一旦は製造中止となったが1997年に再開された。その時のモットーが「製品には“物語”があることが重要」となかなかスノッブ。しかし、この小説を読んだ後ではこのひとことがしっくりくるのも事実。

ネタバレになるから本の中身を細かく書くことはできないが、書店主が拾った女もののバッグに赤いモレスキンの手帖が入っていた、というところから始まってスリリング?な展開を見せる。もっとも、「黒革の手帖」のように大銀行から巨額の金を横領する、夜の銀座での魑魅魍魎の跋扈、と言った犯罪やカネの話はないので安心して読める。

手帖や日記帳に凝る知人は結構いるが自分は毎年航空会社から贈られてくるこのデスクダイアリーで間に合わせている。モレスキンの手帖を買えばもう少ししゃれた日を過ごせるかも知れないが~

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復調

2021年04月08日 16時15分34秒 | 日記

このところ体調が思わしくなく、ようやく机に向かうことが出来るほどに回復してきた(と思う)。いつの間にか月が替わって4月ももう8日、今日は朝から近くの小学校に向かう子供たちの姿が見えた。ランドセルに姿が隠れそうに見えるのは新入生か。そういえば2日ほど前、着飾った両親に手を引かれた新一年生が入学式に向かう姿を窓越しに見た記憶がある。コロナ禍で、密を避けるために式は何回かに分けて行われたのか。しかし、一生に一度の入学式、そんなことは大した問題ではないだろう。

今朝、登校の子供を見守る交通指導員の持っている黄色い旗も新調されたようで色鮮やかだった。そして先ほどからは下校途中の子供が元気な声を上げながら自分の家の生け垣の所で追いかけっこをしている。子供にだってそれぞれに悩み事はあるに違いないが、あのような喚声を聞いていると少なくともその一瞬はすべてを忘れて目の前のことに集中しているにちがいない。

その昔、新しい教科書をカバンに入れると新学期だな、という実感がわいてきたものだ。印刷技術が今ほど進んでいなかった時代のまっさらな新しい教科書の匂いがふとよみがえってきたように思った。

多分今までのようなペースで文章を書くことはできないだろう。が、これからは無理のない範囲で机に向かおうと思う。

イタリア、ジノリのコーヒーカップのセット。頭がはっきりしないときに気付薬代わりに飲むには強くて香りを楽しめるエスプレッソが一番。フランス語で小さなカップ、デミタス (Demitasse)と書く通り、一息で飲めるのがいい。

 

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