昨日午前、庭の落ち葉を掃除していたら生け垣越しに数人の男が雑談しているのが聞こえた。内容は分からないが時々笑い声も聞こえるという和やかな雰囲気で何か工事現場で現場監督の指示でも待っているような感じだった。しばらくするとその話声も遠ざかっていって静かになった。
そして今朝、家の前の道路の真ん中に真新しい白線がまっすぐに引かれているのに気が付いた。それまでところどころひび割れたりくすんでくたびれたように見えた道路が、一本の鮮やかな新しい白いセンターライン(中央線)が引かれただけでまるで生き返ったようにはっきりとした輪郭を取り戻している。それまでは歪んで見えていた道路が背筋を伸ばしてまっすぐになったようだ。そのせいだろうか、両側の塀や生け垣までがくっきりと見えて生気を取り戻している。わずか一本の白線で街の雰囲気までが少し変わるというのは面白い。多分昨日家の前に集まっていた男たちはここでセンターラインの塗り替え工事をしていたのに違いない。
これと同じようなことは、家の壁や屋根の塗り替えをした時にも言える。新しい塗料で塗られたら古びた家でもかつての栄光を取り戻すかのように思われる。時にはそれまでよりも一回り大きく見えることもある。自分の家も前回塗り直しをしてから8年ほど経ったのでそろそろ次回のことを考えなければならない時期になってきた。家も手入れ次第では人間以上に長生きさせることが出来るように思う。古いものを何とか長く使う、あるいはモノを捨てられない症候群、というものがあるとすれば、自分も少し罹患しているのかもしれない。モノのあまりない時代を少し知っているから、ということもあるが。
しかし一方では今一番先端的なものに対する興味がないわけではない。便利だからというだけではなく、技術やデザインがどこまで進歩しているのかを知りたいという好奇心だろうか。先日買い換えた車を運転していたら、運転支援機能というものが働いて、曲がりくねった道でもセンターラインや車線をはずれないようにハンドルが自動的に制御された。自分の握っているハンドルに誰かが手を伸ばしてきたような不思議な感覚。こういったのが今の機械と人とのかかわり方なのだろう。きれいになったセンターラインではこの機能が一層発揮されるのでは・・・
古いものにも愛着を持ってしまい捨てきれない、といいうところと、古くなったら新しいものを買って、なんの未練も感じないで直ぐに捨てることが出来ればそれはすっきりとするのだろうと思うところ、の二つがまだ共存しているようだ。
40年ほど前に購入したステレオセット。リモートコントロールなどはなく、一つ一つ手動で操作しなければならない。ケースの中に入っているレコードプレイヤーが不調で、上に載せてあるのがソニー製の(エントリーレベル、といわれる)レコードプレイヤー。最小限の機能しかないがたまにLPレコードを鑑賞するには十分。音楽の始まりや音量を自分の手に感じながら操作するのも悪くない。