“渋谷の父 ”ハリー田西の占い研究所

自身のことを含め世の中の森羅万象を占い師・運命学研究家の立場からつづります。

あの元アイドルのK・Mちゃんに遭遇!

2008年08月06日 18時35分15秒 | Weblog
昨日の夕方、夕立の中を渋谷の事務所にいたら、
親友のH先生(国際医療福祉大学三田病院教授)から、
「雨がやんだところであべちゃんにでも行って一杯やろうよ」
とタイミングよくお誘いの呑まないかメールが来ました。
そこで、「いいね。僕も雨やまないかなと思っていたの」と返し、
夜の鑑定の予約も入っていなかったので、
さっさと店じまい、地下鉄に乗って麻布十番に向かうことにしました。

麻布十番の「あべちゃん」は昔からあるやきとんの居酒屋さん。
昼間から開いているので、
僕とH先生はよく早慶戦を見に行ったりすると、
その帰りには昼間からこのあべちゃんで
やきとんやモツ焼きを肴にぐったらぐったら呑んでることがあります。

さて、渋谷から半蔵門線で青山一丁目へ行き、大江戸線に乗り換えようと、
大門方面行きの電車に乗り込もうとしたドアの傍らに、
僕はあのかつての女性アイドルのK・Mちゃんを発見しました。

K・Mちゃん(なんて、ちゃんづけで呼ぶのも失礼ですが)は、
1979年に歌手デビュー。
この年、日本歌謡大賞をはじめ数々の音楽祭で新人賞を総なめにしました。
1979年といえば、松田聖子ちゃんや田原トシちゃんの出る
ちょうど1年ほど前の年です。
その後、彼女は歌手から女優へと活躍の場を広げていきましたが、
1984年に起こった例の「投資ジャーナル事件」に巻き込まれ、
その中心人物であった中江ナントカの愛人と噂され、
その騒動が引き金となって芸能界を引退するハメとなったのです。

僕は、彼女のデビュー当時、
放送作家として彼女のラジオ番組の構成を担当していました。
その頃は、狭いアナブースの中に二人で入り、
よく二人きりで秘密のおしゃべりもしました。
彼女は、たしか母子家庭に育った苦労人で、
母と妹と肩を寄せ合って暮らしているような親孝行で健気な頑張り屋さんでした。
すごいマジメな良い子だった!そういう印象があります。

ところが、あの1度のスキャンダルで、
彼女の人生は大きく変わってしまいました。

昨日、地下鉄で遭遇した際、すぐ彼女だと気がついた僕は、
「あっ!」と小さい声を上げ、彼女にそれとなく合図を送ったのですが、
気がつかなかったのか、もう僕のことなど覚えていないのか、
他人の雑音には耳を傾けたくないのか、
あっさりと無視されてしまいました。
そりゃそうです。
もうあれから30年近くたつんですもの・・・

それでも、声をかけようかどうしようかと逡巡しているうちに、
彼女は次の六本木でさっさと降りて行ってしました。
その間、わずか2分間あまりのン十年ぶりの接近遭遇でしたが、
僕の心の中には、少しだけ後悔が残りました。

でも、普通の地下鉄よりも狭い大江戸線の車中でへたに声をかけるのも失礼です。
「K・Mちゃんだよね?」なんて唐突に切り出せば、
隣の人まで「なになに」と耳をそばだててくるに決まっています。
彼女だって「過去のK・M時代のことは忘れたいからそっとしておいて」
と思っているかもしれません。

そんなことがあって、今日こっそりネットで彼女の近況を調べたら、
現在、彼女は「キャリアカウンセラー」として自立し、
本名で事務所を構えていることがわかり、ほっとしました。
彼女なりに頑張っているんだぁ・・・と。

算命学で彼女の命式を見ると、
主星は守りの本能が強い貫策星、東西の星もやはり守備本能の石門星。
しかも、一番エネルギーの強い天将星が3つ並ぶということで、
あの「投資ジャーナル事件」で徹底的に矢面に立たされた時も、
必死で耐え続けた“強さ”がうかがえます。

陰占は本人の日干を含め水性ばかりで、
火性の夫の火は湿ってつかず、木性のお父さんは流され・・・
前述の如く、そういえば、彼女、母子家庭で育ったんだったよなと、
改めて思い知った次第です。
あの一度だけお会いしたことがあるお母さんや妹さん、どうしているかな・・・
縁があって彼女にもう一度お会いする機会があったら、
こんどは「どうしてますか?」と笑顔で挨拶がしたいと思いました。

出会いには、なぜかいつもそういうためらいと後悔がついてまわりますね・・・


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渋谷の父  ハリー田西  “渋谷占い”



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