ユーザーイリュージョンという本を読んだ。
この本の主題は意識と無意識だ。
人は意識というのをリアルなものと普通は考えている。しかし、この本によると、意識というのは体が作り出した錯覚(イリュージョン)に過ぎないという。
毎秒1000万ビットにおよぶ膨大な情報を取り込んで、わずか20ビット程の意識が作り出されるという。
意識は自分の意識がすべてであるので、それ以外に何かあるということを知ることが出来ない。
おまけに、その意識を作り出すために体は0.5秒の処理時間がかかるのだという。以前に読んだ本をもう一度読んだのだが、何度読んでもすごい話でビックリの連続だ。
実際に1000万ビットの情報を処理しているのが、無意識(意識以外)ということになる。無意識は意識に比べて桁違いに高い能力を持っている。20ビットと1000万ビットでは比べるほうが酷というものだ。
直感的にいい写真だなあと思うとき、それは無意識が反応しているのだ。理由よりも先に感性が反応する。いや理由はあとからつじつまあわせで作られたお話に過ぎない。それが意識というものだ。
意識ができること、それは拒否権の発動だけだという。意識が自分自身を信用していないとき、意識は拒否権を発動する。それが度重なると、だんだん体の調子がおかしくなる。
自分を信じること、それが意識と無意識の融合への唯一の道だ。
大好きなことをして時を忘れるとき、たまにだけど無意識が前面にでてくることを体感できるときがある。たまだけど。
この本の主題は意識と無意識だ。
人は意識というのをリアルなものと普通は考えている。しかし、この本によると、意識というのは体が作り出した錯覚(イリュージョン)に過ぎないという。
毎秒1000万ビットにおよぶ膨大な情報を取り込んで、わずか20ビット程の意識が作り出されるという。
意識は自分の意識がすべてであるので、それ以外に何かあるということを知ることが出来ない。
おまけに、その意識を作り出すために体は0.5秒の処理時間がかかるのだという。以前に読んだ本をもう一度読んだのだが、何度読んでもすごい話でビックリの連続だ。
実際に1000万ビットの情報を処理しているのが、無意識(意識以外)ということになる。無意識は意識に比べて桁違いに高い能力を持っている。20ビットと1000万ビットでは比べるほうが酷というものだ。
直感的にいい写真だなあと思うとき、それは無意識が反応しているのだ。理由よりも先に感性が反応する。いや理由はあとからつじつまあわせで作られたお話に過ぎない。それが意識というものだ。
意識ができること、それは拒否権の発動だけだという。意識が自分自身を信用していないとき、意識は拒否権を発動する。それが度重なると、だんだん体の調子がおかしくなる。
自分を信じること、それが意識と無意識の融合への唯一の道だ。
大好きなことをして時を忘れるとき、たまにだけど無意識が前面にでてくることを体感できるときがある。たまだけど。