難聴児に対して、どういう教育が必要なのか、教師や親は明確な「もの」を持っているのだろうか。
コミュニケーション方法は、読話も口話も必要だし、聴覚活用も必要だ。手話も指文字も使いたい。子供たちは、何のためにこのコミュニケーション方法を学ぶのか、誰と誰のためにコミュニケーションをしようとしているのか。
どのようなエンロールモデルが、難聴児に提示されているのだろうか。コミュニケーション方法を見れば非常に幅広い。補聴器を活用できている子供も入れば、手話が一番ぴったしの子供もいる。
聞こえないことがそのまま受け入れられる社会があり、それは基本的人権(自由権)であり、その社会では聞こえない人の人権が十二分に保障され、普通に社会で仕事したり、市民生活を送っている。
子供たちには、これはまだ実現していないこと、何が実現を阻んでいるか、実現するためには何が必要なのかを教える。
自分の聞こえない障害が自分のせいではなく、社会の受容体制の問題であることを理解し、自分の目的を達成するためにどのような気持ちを持てばよいのか、何を目指すべきなのかを理解して欲しい。
教師や親から見ると、聞こえる人の社会と摩擦のない生活を送るために、コミュニケーションを学び、我慢することを教えることが一番のように考えてしまいがちだ。
しかし、難聴者や難聴児が普通の人と全く変わらない権利を有していることをまず説明が必要ではないか。
難聴者のエンパワメントのためには、精神衛生管理からコミュニケーション方法の学習、デジタル放送から携帯までコミュニケーションツールの利用方法の学習、その他が必要に応じて学ぶ必要がある。一貫した教育システムを確立したい。
ラビット 記