難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

人工内耳のマップの三つ目

2007年12月11日 15時46分42秒 | 人工内耳

コイルアンテナ.jpg人工内耳装着後最初の診察。
聞えの状況の説明は医師に事前にメールしておくので、それに考えを聞くだけなので、お互いに時間節約になる。

今は、右耳の補聴器と左耳の人工内耳を併用しているのが、このまま続けることになった。
今は、補聴器の音が人工内耳の音が被さって聞こえるので、トンネルの中で聞いているように少し反響しているように聞こえる。

人工内耳は、補聴器より伝えられる音の範囲と大きさの範囲(ダイナミックレンジ)が広いので、いずれは人工内耳がメインになり、その弱い部分を補聴器が補うようになるそうだ。

診察のあと、ちょっとマップを変えてもらったところ、ガラッと聞えが変わってしまった。
ピッピッというのがなくなり、自分の声もより普通に聞こえる。手を叩く音もうるさくない。ポリ袋をクシャクシャにする音もうるさくない。おっ、これはなかなかいいのではないか。

これをシャープにしたのを聞いてみた。調整室が狭いのか話声が少し反響している。聞こえもうるさく感じる。
感度とボリュウムを下げることでさっきの聞こえになるというのてこれをプログラム3に登録してもらった。

しかし、かなり大きく聞こえる。
外に出て試聴すると女性の多くはブーツでその足音がカッカッカッカッカッとたくさん聞こえてこれは騒音公害だ。

昨日までの感度を12から4まで下げ、ボリュウムも9から4まで下げた。
まだ大きめだが勤務に復帰だ。


ラビット 記



人工内耳の装着1週間目

2007年12月11日 09時07分18秒 | 人工内耳
071113_1325~001.jpg071113_1306~001.jpg今日で人工内耳装着後1週間になる。

まだ、人の声が分かるというには至らないが、音が聞こえる、言葉が分かるという特別な体験をしているようで大変興味深い。
言語を獲得しており、音や言葉の記憶も持っているので、乳児の言葉の獲得とは異なるが、それでもピッピッがチッチッとなり、パンパンとなるのは面白い。

もう少し体験を重ねれば外国語が突然「聞こえる」というのも分かるかもしれない。


勤務中は、左耳に人工内耳をつけ、オフィスの様々な音や言葉が飛び交っているのを聞いている。同時に右耳の補聴器でも聞いている。
このことは、左の人工内耳の聞えのリハビリに効果があるのかも知れない。勤務中は電話もするので補聴器が欠かせない。
会社を出ると翌朝の出勤までは補聴器のスイッチを入れないという生活を続けている。

左の人工内耳は周囲の音を間断なく脳に伝えていて、右耳の補聴器がオンになっていると人工内耳のピッピーという音は大分補聴器にマスクされてしまうが、脳は聞いている。

補聴器は人工内耳と聞えは今のところ違うが人工内耳に「通訳」しているとも考えられないだろうか。


ラビット 記 



要約筆記は何をするのか(メモ)2

2007年12月11日 07時28分50秒 | 要約筆記事業
071117_2128~02Xツリー.JP =?US-ASCII?B?Rw==?=要約筆記は、話されている最中に話し言葉の意味を要約筆記者が理解し、それを話しの最中に難聴者等が話し手の言いたいことを理解できる言葉ととして、文字で伝える。そのために、その場ですぐに理解できるように話し手の意図の発露の一つとしての言葉を要約して文字化する。
「要約して」は「話し言葉を理解しやすくするために短い言葉で表現する」、「意訳」に近い。


話し手の意図は言葉のオンの連なりを全て文字に置き換えることで伝えられると言うのは、言葉によるコミュニケーションで言葉そのものが持つ情報はかなり低いだろう。その言葉の中でも、声の調子、抑揚、間の取り方等を除いたオンだけになるとさらに情報は少ない。

オンをそのまま文字化することで、受信者に話し手の意図が伝えられるというのは受信側の負担を考えていない考えだ。

テレビのニュースのリアルタイムの字幕は特別な話題の「話された言葉」をそのまま文字にしている(音声認識やスピードワープロの場合)。また、双方向のコミュニケーションは出来ないので期待せずに言葉が発されるという特徴がある。アナウンサーがしゃべる場合は、原稿に基づいて話すので話されているが元は書き言葉だ。

1分間270字から300字くらい話されている言葉の文字を2行ないし3行の字幕を目で追うのは相当疲れる。映像や他の文字情報等を見るゆとりは少ない。
このためテレビの字幕は、受信者側の負担を考えて、一定の時間表示することが相当前からマニュアル化されている。そのために、話された言葉の語尾が丁寧語等が普通体になっていたりする。


要約筆記に対して、今でも「情報量が少ない」、「出来るだけ書いて」、「あれも落ちている、これも落ちている」と言う人は難聴者にもいる。その人たちは手話を解したり、補聴器などで聞こえる人で、それぞれのコミュニケーション方法で得られない、得られなかった部分を要約筆記に補完的に求めようとしているのだろう。その
手話も話された言葉、あるいはオンを受け止められるように口型の付いた表現が多い。かっては自分もそうだった。
その場合、常に表記された文字全部を読んでいる訳ではない。通常は手話や補聴器で聞いていて、不明のところを文字で確認するために部分的に読む。


手話や補聴器でコミュニケーションする難聴者等が把握しきれなかった言葉を要約筆記に求めようとする気持ちは分かる。当然だ。
しかし、そのことを要約筆記に求めてはいけない。
それは、要約筆記は読む人に負担を出来るだけ少なく、話し手の意図を文字で伝えるために、話された言葉の意味を文字で伝えるもので話された言葉のオンを再現するものではないからだ。


難聴者等のコミュニケーション支援は、要約筆記と別に音声の即時文字化、リアルタイム・キャプショニング(RC)の支援が必要だ。この二つは違う機能なので同時には出来ない。RCの技術には、高速日本語入力キーボードを使った速記や音声認識技術等がある。パソコン要約筆記といっている中にもこのRCに近いものがある。
難聴者等は自らのコミュニケーションがどういう方法で行っているのかを考え、その支援方法を考える必要がある。


ラビット 記