

電車の事故もあったが何とか駆け付け、祝意を表した。
八代英太氏が郵政大臣の時に、情報バリアフリーに関する私的諮問委員会を立ち上げられ、委員として出席したが、いろいろな障害者のいる中字幕放送の必要性を「もうわかったから他の人も発言して」と言われるくらい、力を込めて訴えたことを紹介して、今日の字幕放送の拡充のきっかけのお礼をのべた。
厚生労働行政関係者の出席が多かったので、今にして「難聴者支援センター」の設立を訴えれば良かった。
これが残念だ。
なぜ、八代英太氏の祝賀会で字幕放送の話しをしたのか。それは会場に郵政大臣当時の秘書の方に15年ぶりくらいに再開したからだ。彼が、生放送の字幕放送のことをまだ始まっていない時代に、「生字幕」という言葉を造語した。
彼と一緒に障害者福祉を運動していたのが、埼玉県立大学丸山一郎教授だ。
彼が、1989年のフェスピック神戸大会に故フランク・ボウ博士を招聘した。障害者の視点に立った街づくりの提案をされた。彼が来日した目的はもう一つあり、1990年に成立した字幕回路法のために日本のテレビメーカーに字幕チップのコストの調査に来たのた。
字幕回路法は、13インチ以上のテレビは字幕回路内蔵を義務付けるもので、彼は数ドルとの回答を得て帰国した翌年に法律が成立した。
そうしたことを思い浮かべていたので、とっさに挙手をして話したのが字幕放送のことになったのだ。
ラビット 記