![080705-160529.jpg](http://www.k3.dion.ne.jp/~rabitweb/LOVELOG_IMG/./rabit-2008-07-13T02:57:20-1-s.jpg)
人工内耳の相談を受けていた会員の難聴者と、あるパーティーで会った。
彼と手話混じりで話すと、要領を得ない顔をするので、いつも筆談する事になる。
ちょっときつい言い方かも知れないが、私の手話が伝わったかどうか確認したいので私が示した手話表現をみて、声を出して言って下さいと筆談ボードに書いて見てもらった。
「補聴器と人工内耳は聞く仕組みが違う」と手話で表現するが、曲げた人差し指を耳の後ろにあて「補聴器」というが、これが補聴器を表しているということが分からないようだ。指文字は覚えているので、「ホ」「チ」「ョ」「ウ」「キ」と表して声を出してもらう。何度か繰り返して、人差し指を曲げて耳の後ろにあてるのが補聴器の表現と理解してもらった。
Vサインの指を同じように耳の後ろにあてて、「人工内耳」と言う。「ジ」「ン」「コ」「ウ」「ナ」「イ」「ジ」と指文字で表し、Vサインを耳の後ろにあてる。何度か繰り返して、人工内耳の表現だと言うことを理解してもらう。
いつも同伴されている夫人がいらっしゃるので、私の手話表現が分からないと夫人の方に視線を泳がせるが、私は彼の目から視線をそらさない。夫人も私が何をしようとしているか理解され、何もしない。こうなると、コミュニケーションの格闘だ。途中で止めるわけにはいかない。
彼は今まで通っていた病院と医師に義理立てして、その医師の勧める人工内耳の病院を考えているようだった。
私は、カナダに行って考えたり、自分の体験から、人工内耳は手術する医者よりは良いST言語聴覚士に出会うことが鍵だと思ったので、「補聴器と人工内耳の病院は別でもかまわない」ということを、筆談の紙には「病院に義理立てするのではなく」と書いたが、彼は何度のその部分を指さして首を傾げている。この意味が分からないようだった。
「補聴器と人工内耳の病院は別、別でかまわない」と何度も手話と指文字で表し、彼に声を出してもらった。
とうとう、彼は「補聴器と人工内耳は別!」と大きな声で言う。何度も繰り返して言う。「補聴器」と「人工内耳」は「別」と手話を付けている。やっと得心がいった表情をしている。
補聴器の病院に行かなくてはいけないと思いこんでいたようだ。
彼と話している時に、途中で筆談に変えたら、こうまで理解してくれただろうか。彼が分からなくても笑わず、良い人工内耳ライフを送って欲しいとの一心で伝えた。伝えきった。彼も一所懸命に手話と指文字を食い入るように見てくれた。
パーティを終えた一般の人たちが私たち二人が汗を流して、「ホチョウキ」、「ジンコウナイジ」とやっているのを見て奇異に思っただろう。
彼は手話講習会にも通っているが、指と手の動きが単語を表していることに本当には理解できていなかったのかも知れない、ただ手と指がひらひら動いているだけだっただろうのか。
難聴者の手話の学習は、手話の単語や表現を覚えるだけではなく、この学習を通じて自立した難聴者に成長することを導くという目標を達成するために、様々な福祉支援技術を持った指導者が必要と思ったことだ。
これをもっと整理すれば、難聴者の自立生活訓練事業に位置づけることが出来るだろう。
ラビット 記
写真は、国際難聴者会議でカナダのろう者とコミュニケーションする日本からの参加者
どちらも全く聞こえない、筆談もままならないがしばらくすると通じたようで笑顔がはじけた。