摂津国老朗おじさんのスローな日々

関西の四季を楽しむ老朗おじさんがゆるゆると瞑想しながら、植物観察と徘徊のスローな日々を楽しんでいます。

お彼岸の少し前に丹波の山あいに

2015年09月24日 | 日帰り小旅行

今年のお盆は猛暑でへばっていました。同居の家族みな暑さに暑さにやられたために、父母兄妹の眠る丹波へのお盆の墓参はかなわなかったため、つい先日、日帰りで丹波へ行って来ました。丹波は高原で旧国道も京都縦貫道も高原の上を走ります。和知ダムなどのある由良川の源流は高原を掘り込んで、自動車道の遥か下を流れていました。
気の早いイロハモミジが一部紅葉していました。

山寺(やまでら)の禅寺(ぜんでら)という雰囲気です

 
この山間の禅寺を目標にやって来て、駐車場に車を置かせていただき、お寺の裏山に入っていきます。



下の写真は京丹波町 和知 道の駅「なごみ」ホームページ より



京都縦貫道のインターから離れているため、人や車の流れから外れてさびれていないかと案じましたが、思いのほかにぎわっていた和知 道の駅 和(なごみ)  

下の写真は京丹波町 和知 道の駅「なごみ」ホームページより

鮎の塩焼きも食べて満足しました。写真はphotozou・jpより 



 ↑フォト蔵より  ちょうどこんな雰囲気の場所で食べました ⤴

京都縦貫道が開通したので国道27号線(一般国道)沿いの道の駅はもう閉店したのではないかとおそれていましたが、元気に営業していて安心しました。
道の駅・和は国道27号線沿い(京都と舞鶴を結ぶ)にあります -->

来年も、高原の緑と 山の野菜や鮎と会うために墓参に来れたらいいなと願っています。
高原の緑に触れる良い機会を与えてくれた亡き父母と幼くして早世(そうせい)した兄妹に襟を正して感謝したいと思います。

 

 

 



中書島って島やったんや

2015年09月07日 | 日帰り小旅行

9月の第一木曜日は京都市伏見区↠寺田屋界隈と秀吉ゆかりの伏見港址、三栖の閘門(みすのこうもん)から宇治川沿いに観月橋(かんげつきょう)までウォーキングしました。 

 

 

 

 

 











 

 

 

 

 

 

 



長建寺のぼたん桜

 長建寺境内に沸く伏見の湧き水。伏見は元は伏し水と書いたとか…

 

 京の桜博士↠佐野藤右衛門の名がここにあります。

 

 長建寺のいわれが

 

 

 
 

 

 

 

  

 

 

 

寺田屋騒動は島津 久光の命により、薩摩の尊王攘夷派が襲撃された事件だと思います。

これにより龍馬も危うく遭難しかけましたが、かろうじて難を逃れました。 

 

 寺田屋騒動など幕末期の騒乱の跡を残す弾痕
別の所には刀傷もありました
 
↑ 
 世の人は われを何とも言はゞいへ
わがなすことは
我のみぞしる
   龍馬

 伏見港の賑わいの只中にあった寺田屋

 

 しばしば寺田屋に宿をとった坂本龍馬

 

龍馬のうそぶいたことば… らしいです

 

 

 

 




 

 

 

 

 

 花ではよくわからないが…葉をみるとアサガオだってわかりそうです 


 

 ナツズイセン

 

 マメアサガオの花と葉

 

 マメアサガオの葉

 

 

 

 

 

 

 

 

河川の管理区分

 宇治川派流を行く十石舟。桜の花見どきは大いに賑わうそうで…

 

 三栖の閘門(みすのこうもん)  パナマ運河のような仕掛けです。近代になって宇治川浚渫の結果、宇治川派流と宇治川の水位に差が生じたために作られました。 

 

 伏見港付近の水路
むむっ、おけいはんの中書島は島やったんや
 

中書島は宇治川と秀吉が拓いた宇治川派流などに囲まれた地域でその名の通り島になっていました。
 
↓これは(下の図)同じくグーグルの地図で見た宇治川派流の元の流れ。秀吉の建てた伏見城は桃山御陵のあたりだったらしい…
  
伏見出会橋は宇治川派流と濠川(ほりかわ)が合流する所に架かっています。
近くに角倉了以(すみくらのりょうい)が京都の水利に果たした功績を称えた碑があります。
伏見と京を結ぶ高瀬川を拓き大いに京の物流を活性化しました。

 

 ↓ 今、いちど中書島の地図をご覧あれ 

 

 

  ↑今、いちど中書島の地図をご覧あれ

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

   

アブラススキが宇治川の
土手にたくさんありました 




ムラサキカタバミ


マツヨイグサはパイオニア植物で荒地を好んで繁殖する傾向がありますね。

 宇治川の堤で、一木会のメンバーが発見したワルナスビの花

 

 宇治川沿いのエンジュの木。高貴な木として尊ばれたということがそれとなく判るたたずまいでした。

 

マツヨイグサは月見草とも言うよね。

 

 

 

 





 

 

 

 

 


 

 

 

 

 観月橋に至る標識

 

 三十石舟。かつては伏見港↠淀川の水運の主役

 

 舟板と舟板を繋ぐのは木の釘

 今回は、伏見に着いたときカメラが故障してしまい、雨だったためにタブレットも持っていなかったため、ここに載せることができた写真はすべてガラケー(旧式携帯電話)で撮ったものです。ガラケーのカメラも結構な性能があるんやね。