摂津国老朗おじさんのスローな日々

関西の四季を楽しむ老朗おじさんがゆるゆると瞑想しながら、植物観察と徘徊のスローな日々を楽しんでいます。

北陸道杉津PAの絶景をパノラマ写真にした

2018年10月25日 | 日記

関西から金沢など北陸へ向かうとき、今までは、運転時間とおなかの空き具合の関係で、休憩するSAやPAを決めていた。福井県の南条SAや滋賀県の草津SAで一息入れることが多かったな。とはいうものの、たまには疲れ具合やトイレの事情とは別に、眺めの良いところで一息入れたいと思うよね。
今回はそういうわけで、絶景と言われる杉津PAを休憩場所に選んだ。敦賀湾の入り口を眼下に見下ろす景勝地だった。


写真は左から「恋人の聖地」と気恥ずかしくも観光用人寄せネーミングの碑
敦賀湾北西の岬➡ 次第にカメラを東へパンして ➡ 「恋人の聖地」の碑と(痴漢除け?)街灯かな

     

上の写真のうちの2枚を合成したパノラマ写真  自分の目で見たこのときの印象はいかにもこの通りやったね。写真にしてみると水平線がデコボコになったりしてあまりかっこよくないんだけどね。


上の写真のうちの3枚を合成したもの。私のパノラマ写真としては比較的無難に出来たほうなんだよね。



しかしながら「恋人の聖地」なんてゆう安っぽいうたい文句の碑がどうも気に食わなくて、へそ曲がり爺さんの私は国道8号線をひた走るトラック野郎たちを視野に入れた合成写真を入れたくなった。


出来上がった合成写真がこれ


今回は孫の七五三のお祝いに石川県の白山ひめ神社に行ってきた。
白山ひめ神社の神さんへ。
これからも、子どもらの幸せをあんじょう頼んます。
すくすくと元気よく育っている子どもの姿を見るだけで,へそ曲がり爺さんさえも幸せになれるんやからね。

芭蕉はここにも足を延ばしていたらしい。





芭蕉も詠んだように白山の姿は誠に美しく、何だかご利益もありそうやった。
風かをる 越の白峯(しらね)を 国の華(はな)  芭蕉
これから雪に覆われたりすると白山は益々神々しく美しくなるんやで。


音に聞く白砂青松の名所も酷い嵐のあと

2018年10月11日 | 関西の四季

堺の浜寺公園。万葉・古今の昔から、音に聞く高師浜(たかしのはま)と歌にも詠まれた白砂青松の名残りを今に伝えている。高師浜は今の堺市西区から高石市にかけて広がっていたらしい。高石市は高師浜から来た地名のようで。10月の第一木曜日はここへ行った。
ネット上の「万葉集入門」によると
☆大伴(おほとも)の高師(たかし)の浜の松が根を
   枕(まくら)き寝(ぬ)れど家し偲(しの)はゆ
           置始東人(おきそめのあづまひと)
この歌は歌碑が浜寺公園内にあるらしい。
同じくネット上の「ちょっと差がつく百人一首講座」によると
熟女の技巧的な恋の歌になって
☆音に聞く 高師(たかし)の浜の あだ波は
    かけじや袖の ぬれもこそすれ
           祐子内親王家紀伊(百人一首72番)
その高師浜に明治の元勲大久保利通が来た時 農地開墾のために松原の松を無残に伐採しているのを見て
☆音に聞く高師の浜のはま松も
  世のあだ波はのがれざりけり
        と、詠んだ。大久保利通には万葉・古今の短歌の素養があったんやね。     
     その大久保の歌を刻んだ惜松碑(せきしょうひ)
 

薩摩の田舎侍などと馬鹿にした者もいただろうが、大久保利通は単に明治維新の火付け役だけに終わらないバランスのとれた教養人でもあったんやね。おかげで高師浜は残り、高度経済成長期までは浜寺は海水浴場としてもにぎわった。小学生のころ家族で南海電車に乗って行ったのを覚えている。音に聞く浜寺水練学校もプールではなくこの浜辺にあった。経済成長の中で見失ってきたものがぎょうさんあったということや。

60年前、松林の向こうはずーっと海だった。今は埋め立て地の上にびっしりと重・厚・長・大の工場がひしめいている。もはや、大久保利通もいない21世紀である。

高師浜の一部である浜寺公園の松はほとんどが黒松。黒松は海辺の砂地が大好き。斎藤先生によると海辺の砂浜には貝殻などのカルシウム分が多く含まれるため。

 アカマツが2本だけあった。アカマツは海辺の砂浜ではなくて山の土と相性が良い。ここだけ土が他とは違うねんやろな。


あちこちで根こそぎ倒れていたのはヒマラヤ杉。黒松や桜もかなりな被害だった。黒松や桜は枝や幹が折れているのが目立った。ヒマラヤ杉は枝が折れにくかったので根こそぎ倒れたのかなあ。バラ園も台風21号のために当分閉園。10月27日までお預け。
写真は左から 根を上げて倒れたヒマラヤ杉➡ ヒマラヤ杉の雌花(こぶし大で丸い)と雄花(1枚ずつはがれている)➡ サンゴジュの赤い実➡ ウバメガシ(良い備長炭になる)の林➡ ヤブランの紫の花
    

この花壇の向こうがバラ園。



バラ園入り口の解説板 ノイバラを品種改良してフロリパンダ系のバラが出来たとはじめて知った。

 

バラ園の外で目についたのはノックアウトの名がついたバラ。
これはダブルノックアウト。


ピンクダブルノックアウト


ホワイトノックアウト

ノックアウトは病気にも夏の暑さにも強い品種だとか。ダブルノックアウトのダブルとは八重咲の意味らしい。ホワイトノックアウトはこの写真の通り、ひとえのバラ。バラ品種の名前も面白いな。
雨が降り続き、モチノキの下で雨宿り。合羽と傘で重装備しても木の下が良かったよ。モチノキは赤い実の大きさが約9ミリ。クロガネモチの実は約4ミリと教わりました。クロガネモチの葉柄と本年枝が黒紫色だからクロガネモチと名付けられたと斎藤先生に教わり、各種の図鑑にもそう書かれているが、今ひとつピンとこない。そんな自分にも赤い実の大きさの違いだけはハッキリ判った。


杖突き爺さんの私。雨の中、傘と杖を持って歩くのもひと苦労だったので、途中でリタイアして浜寺公園駅まで戻ることにした。その前に与謝野晶子の歌碑に敬意を表してきた。
☆ふるさとの和泉の山 をきはやかに浮けし 海より朝風ぞ吹く 晶子
歌碑ではこのように句切ってあったので 
残念ながら私には…をきはやかに浮けし  の部分の意味が良く分からなかった。敬意は表しながらも十分に鑑賞できなかったね。浅学菲才のものにも解るように、現代語訳または英訳をつけてほしいと思った。その後、ヤフー知恵袋で質問したところ➡ 親切な人が、短歌は57577で句切って理解するもんやと教えてくださいました。すると

☆ふるさとの和泉の山を きはやかに 浮けし海より 朝風ぞ吹く 晶子
となって、和泉山地の山々が海からはくっきりと浮かび上がって見える その海から朝風が吹いてくる という風に理解でき…やっと腑に落ちた次第。埃をはたいて古語辞典までひっくり返した甲斐があった。
ちなみに、「きはやか」は「際やか」で際立っている、良く目立っているということ←古語林より

写真は左より与謝野晶子の歌碑  浜寺公園駅そばの旧式ポスト  東京駅や日銀本店も「設計した辰野金吾設計の旧浜寺公園駅・国の登録有形文化財
鶴岡和人親分の率いる南海ホークスが日本一になったこともあるし、旧浜寺公園駅をみても近代の高師浜界隈の栄華もしのばれて感じの良いショート・トリップでした。