【骨折その後・経過】
せっせと小魚を食べたり牛乳を飲んだりしたおかげかもしれませんが( ^^) _~~折れた足の骨も次第にくっつき始め3月のお彼岸を過ぎて 4月も終わりに近づくと…少しづつ松葉杖から離れることができて…嬉しかったなあ
お医者様の診断はこうだった。3月23日左足荷重1/3 4月9日左足荷重2/3 4月18日左足荷重全荷重OK。
4月18日からケガした方の左足に全荷重OKとはなったものの➡ 恐るおそる恐々(こわごわ)で松葉杖を突きながら(両松葉で)それまで宙に浮かせていた足を地上にそろーっと降ろし ➡極度の緊張をしながら歩いていたもんやったな
その頃は…杖なしで歩けていたのは病院の屋上庭園のような安全が確保されたところでだけで、「さあトレーニングやあ!」とばかりに大いに気張って200%の緊張状態やったな!一周160歩のところをフーフー言いながら今日は2周➡ 明日は3周と少しずつ目標を上げていったもんや。いつのまにか次第次第に歩幅も広がり…➡ 目を吊り上げて、大汗かいて頑張らなくとも、片方の松葉杖だけで…不安なく歩けるようになると➡ 嬉しくて嬉しくて家の近くの公園までえっちらおっちら歩いて行ったもんやった。
【転倒したよ・怖かった】
…とはいうものの、このころは(4月半ばからGWのころまで)家の中ではしばしば松葉杖ごと転倒した。よろよろしながら、(最終的には松葉杖を頼って)立ったり歩いたりしているから、インターホンや電話が鳴ったりして慌てると➡杖や足もとがちょっと何かに引っ掛かっただけでもドッシーンとコケていたんや…5月の大型連休のころまでそんな状態が続いていたから 街に出るのは怖かったな。
【いつのまにか、歩き回れるように】
気持ちの上でも浮いたり沈んだり・行きつ戻りつしながらGWも終わってみると やがて階段や大きな段差の登り降り以外は松葉杖からも離れ、次第に自信がついてきて…5月後半に入ると…公園以外のところも自信を持って歩けるようになってきた。それもこれも、家族や医療スタッフや皆さんのおかげと感謝…
松葉杖からはなれたとはいうものの…外出時などはまだ手に杖を持っているねんけどな…
【お礼参りや】
何とか歩けるようになった喜びと感謝の気持ちを表現したくて、善行寺さんにお礼参りに行ってきた。
泊めてもらったのは善光寺の宿坊。見出し写真のようにユースホステルになっていた。
教授院という名の宿坊は、あるじが丁寧に育てたバラなど美しい花が咲き、うるおい館という湯量豊富・泉質最高な近場の天然温泉に行けたり、住職のご案内でお朝事に連れて行ってもらったりして、経済的にも精神的にもたいへんお得な宿(やど)でしたな。感謝!合掌!
その住職のお話では善光寺の建築のありようは神社の屋根などと様子がよく似ているということで…言われるまで気がつかなかったけれど…確かにそうやった。
神仏習合の走りのような民間信仰(『何やらありがたい神様が異国から来られて霊験あらたか』と思われていたふしがある…)の上に善光寺があったのかもね。明治期の廃仏毀釈や神がかり的な国家神道に違和感を感じる私にとっては ただそれだけでも、善光寺さんに有難さを感じてしまうんだよね。合掌
写真は左からバラ→ 教授院→ 善光寺仁王門→ 善光寺本堂→ 特急信濃
ワードとFotor無料オンライン版を組み合わせて上の写真を合成しましたが出来はイマイチです。次はもう少し上手くつくるからね こうご期待?
長野駅で見た北陸新幹線はくたか。上の写真の北陸新幹線もワードと写真の組み合わせ。その左は車窓から見る田植え前後の初夏の水田。新幹線やったら振り子式電車みたいに揺れないけれど、こんな美しい田園風景をゆっくり見ることも難しいやろうな。
善光寺境内の仏足石 しっかり撫でて足の快癒を祈りました…合掌
同じく善光寺境内にあった親鸞聖人像
四天王寺さんと同じで民衆に愛される懐の深いお寺には何故か親鸞聖人像がいらっしゃるんだよねと…勝手に納得していました
親鸞聖人像の足もとにあった満開のつつじ
その近くでみたこれまた美しい花。なんて名前か知らないんだけどね。
高村光雲作の仁王像 あ 口が開いてるで
同じく光雲の仁王像 ん 口が閉じているで 阿吽(あうん)の呼吸っていうよね。最初の呼吸あ から最後の呼吸ん までピッタリ息の合ってることを言うらしいで
【またおいでよね】と『牛にひかれて善光寺参り』の手ぬぐいが呼んでいます
今後もリハビリに猛訓練で励み 今のようなヨチヨチ歩きから抜け出して 次回は9月末ごろにかっこよく歩けるようになって そのお礼参りに来るで
その時にまた骨折後の足の経過報告もしますよね