10月の第一木曜日は柏原市の高井田横穴古墳群を訪ねました。
近鉄国分(こくぶ)駅を降りて大和川沿いを歩きました。【国分って大和の国と河内の国の境界ということやったのかな?】【河内国の国府は藤井寺に、国分寺は柏原にあったそうやな】
大和川といえば江戸時代の大土木工事、大和川付け替え工事を忘れることができません。ここの川の合流点付近はその大工事のポイントになった地点だったようです。奈良時代の和気清麻呂も大和川付け替え工事に挑戦していたとは、この日柏原市立歴史資料館へ行ってはじめて知りました。うーんだいぶ賢くなりました。
河川敷でツルボの群落⇒ ヨシ(琵琶湖岸でおなじみのヨシ)の群落(高さ3~4mにもなるといいます)を見かけました。
ウマノスズクサの群落(保護されていて標識もあります)とジャコウアゲハの幼虫も見かけました。
ジャコウアゲハ(成虫)の写真はウイキペディアから借用しました。
大和川から外れて小高い丘に登ると…何やら格式の高い天湯川田神社←古代の鳥取県の開祖と関係があるみたいでした。
そこにノダフジがあって…ノダフジは右巻きなんだと改めて認識しました!
老婆心ながら念のため巻いている方向の矢印を入れてみました。余計なおせっかいかな。
斎藤先生とスタッフの山口さんのおかげで地図を見なくても見知らぬところを歩けるのが、この会の良いところです。横穴式古墳がきちんと残されていることに感動!盗掘とか崩壊とかしていたらみじめですからね。文化財保存に尽力されている方々の地道な努力に改めて感謝致しますm(__)m
近鉄国分駅を降りてから、いろんな植物の群落を見たり高名な神社に立ち寄ったりしながら、スイスイと横穴式古墳までたどり着きましたが、ひとりだったらウロウロしていたでしょうね。
締めくくりに歴史資料館にまで行くことができ、河内木綿のことまで学習出来て本当に良かったです。
明治維新前後の経済混乱期にどっと外国産の綿花が入ってきて⇒ 河内木綿はその歴史を閉じるのですが、それまで商品作物の雄として栄えたらしい ←東京一極集中の今、関西経済の地盤沈下は目を覆うべくもないですが…古代から長いあいだ河内は全国経済の先進地域やったんやな
歴史資料館の前後で観た植物の数々⇒ 中でもハナズルソウ(南アフリカ原産の多肉植物 これは耐寒マツバギクといわれるものかもしれない…自分でも育ててみたいと思いました)は赤が綺麗でした
痰切豆(たんきりまめ)⇒ミズヒキソウ⇒ミカンソウ
ハナミズキが鮮やかにに色づいていました。赤いのが実。つやつやしてとっても美しかったです。白っぽい橋の欄干みたいな形をしたのが花のつぼみです。