摂津国老朗おじさんのスローな日々

関西の四季を楽しむ老朗おじさんがゆるゆると瞑想しながら、植物観察と徘徊のスローな日々を楽しんでいます。

北野天満宮の紅葉

2019年12月19日 | 関西の四季
12月4日(水)地域の皆さんと一緒に、人権学習の日帰りバス旅行に行った。
行程は以下の通り。
  ①ツラッティ千本(京都市北区)
                                        ↓
       ②北野天満宮(京都市上京区)
                                     ↓
       ③柳原銀行(京都市下京区)
  • ツラッティ千本は京都市人権資料展示施設。同和問題をはじめ広く人権問題を学習する場として、1994年(平成6)に開設された。地域の取り組みの歴史など案内の方が、フランクな語り口で話してくださったのでたいへん判りやすかった。
  • 学問の神さま菅原道真を祀る北野天満宮は梅と紅葉の名所でもある。美しい梅苑や紅葉苑は、などと呼ばれた被差別の人びとが長年にわたって造園の技術を培いながら手入れしてきたものである。 ここを自由散策した(紅葉苑は有料だったので入らなかったけどね)
  • 柳原銀行は京都市登録有形文化財。被差別民が地区内に設立した銀行でこの頃のにかなりの財力があったことを表している。
    以上のように学習した。
    12月に入っていたけれど北野天満宮の境内はポスターにある通り、紅葉の見頃だった。
     

  • 紅葉苑の外側に秀吉の造ったお土居があった。お土居のそばの紅葉が特にキレイだった。


  • 秀吉のときに洛中を囲ったお土居。お土居の説明板。


    京都には「伏見や嵯峨やらお土居の外は京都やおへん」と言いかねない面(私は苦手だね)と造園業に携わる人々を今も尊重して、随所に立派な庭園を残している面(大したもんだ)とがある。
    美しくも陰影に富んだ街だったなあ。

岡山に行ってきたで

2019年12月10日 | 旅行

俺のとって第二の故郷岡山に久しぶりに行ってきた。十何年ぶりか、何十年ぶりかそれさえもはっきりしない‥‥ほどの久しぶりだったのだ。50年ぶりに昔の同級生たちに会った。
岡山駅前の桃太郎。むかーし応援団が演舞で「ももたろうさんももたろさんお腰につけたキビ団子一つ私にくださいな♪」って踊っていたよな。桃太郎は俺と違って年取らないね。
ここで旧友と待ち合わせたけど、お互いにそれとわかるまで一瞬、を置く必要があったな。お互いにずいぶん年を取った。

昔、それなりの充実感と共に見上げた図書館の時計台。ベトナム反戦運動やアメリカの公民権運動、パリ五月革命、中国の文革など当時の若者たちの闘いに高揚と充実、連帯感を感じながら空を見上げていたよな。高揚感は一瞬のことみたいやったけどな。何だか前向きの気持ちだったのは事実やった。図書館の本の多さを見ても何だか賢くなれそうな気がしてたんだ。


図書館横のナナカマドが見違えるように大きくなって真っ赤に紅葉していた。

一瞬の高揚のあとの 【さまざまな運動が先鋭化するにつれて……】 もやもやした違和感と幻滅。落伍または裏切り、自責の念。なんだかつらい時間を過ごしたなあ。それでも生きていかねばならないと…それなりに整理をしたような、整理しきれずに苦しんだような長い歳月だった。

当時の若者たち‥‥みんなそれぞれ楽ではなかったんだよね。それでも生きてきて、再会出来て嬉しかった。


1960年代末期に体験したことに、まだ自分の中で整理しきれていない部分が残っていることが改めて判った しかしながら、「されどわれらが日々」の佐野のように俺はなれないし、ならなかった。 俺の時代には吉本隆明が憎しみを込めて罵っていた『前衛党神話』はもうなかったうえに、新左翼セクトのエリート意識の気配にも微妙なものを感じていたもんな……「されどわれらが日々」に節子っていたよな…節子はどう生きたのだろうな  とにもかくにもひとは自分らしく、最後まで生きて行かねばならないのだから

閑話休題。このブログでは、心静かに花鳥風月を愛でて過ごすことにしていたのだった。風化しかけの脳内に妙に力こぶが入ってしまった。
せっかく岡山まで行ったら倉敷に行かなくてはもったいない。
倉敷といえば大原美術館。エンタシスの柱とカレーの市民が出迎えてくれた。
   

モネの睡蓮やエルグレコの受胎告知 ルノワールの泉による女 本物はやっぱりよかったな。 珈琲店エルグレコでどの絵を見るかを決めてから、2~3点だけ頭と胸に焼き付けようと方針を立てて、本館の中に入ったけど、棟方志功の観音様の版画も良かったな。 

お土産の絵葉書。ルノワールの女の赤い唇。本物の絵では恐ろしく蠱惑的やったな。


ジヴェルニーのモネの池の大原版。モネは園芸好きで日本びいき。日本全国各地にモネの睡蓮があるのが嬉しい。年老いて、登山道を行くのは危険をともなうけれど、美術館めぐりならまだ大丈夫そう。
  

児島虎次郎の里の水車 表から差し込んで来る光の表現がいつ見ても素晴らしい。今回は左側の農家の娘が子どもに見えた。昔、若かったころはは同世代の若い魅力的な女性に見えてたんやけど。今や乳児を抱えた主婦らしき女性の存在感に注目させられる。見るたびに良さが新たに伝わってくるのはさすが名画だなあ。右の女性が乳児の母で左の女性がおそらく乳児の姉なのだろうな。 

今回、ルオーの絵がお休みだった。次はルオーの道化に会いに行くで。

今回は閑話休題までの部分に時間がかかった。
「されどわれらが日々【柴田翔】」や「青春の墓標【奥浩平】)」「叛逆のバリケード」を読んだことを思い出したこと。激動の中で四分五裂した構造改革派、「現代の理論【安藤仁兵衛】」などが封印していた記憶の底から蘇ってきて……記憶をたどっているうちに前置きに時間がかかってしまった。
初回投稿12月4日➡ 修正加筆等12月10日