摂津国老朗おじさんのスローな日々

関西の四季を楽しむ老朗おじさんがゆるゆると瞑想しながら、植物観察と徘徊のスローな日々を楽しんでいます。

文化の秋も深まった

2019年10月30日 | 関西の四季

暑さと野菜不足で記憶される2019年の夏がようやく去った。
涼しさと共に夏バテだった我が脳ミソも少しずつ活動を始めた。公民館の文化祭に向けて、作品作りに追われているところやねん。
本日の苦心の作は何だと思う?見出し写真の鉢植えなんやけど。ちなみにグーグルの画像検索にかけてみると「植木鉢」だって!
(;´д`)トホホ。本人は「多肉植物の寄せ植え」のつもりなんやけどね。
ではこれはどうだ!グーグルの判定では「イラスト!」。「ミッキーマウスなんかかもね」 だとさ…
うーん。ええ線いってるなあ。実を言うと来年の干支のネズミの切り絵のつもりなんや。

ちなみに去年の作品は今年の干支のイノシシ。どや!切り絵らしい味が出てへんか!


その前の前は酉やったな。


公民館の切り絵講座では元のデザインは先生から与えられる。 その中で如何に切り絵らしい味を出すかが、腕の見せ所だし、楽しいところやと思うねん。
1.亥から子へ干支のバトンタッチ
2.お正月飾りにするつもりで、短冊も子で作った。
3.切り絵の先生の作られたアガパンサスのデザインを少々自分なりに脚色して色にグラデーションを施したりした。

      

やりだすと面白くて時間を忘れてしまう。ブログと同じやね。


比叡山の山頂・晩夏

2019年10月13日 | 関西の四季

はじめに
あれから1か月以上たったけど 9月上旬、猛暑日のある日、京阪の比叡山1dayチケット(2500円で山上バス・ケーブルカー・京阪電車が乗り放題のお得な切符)で比叡山に行った。
鞍馬電鉄八瀬比叡山口からのケーブルカーでお山にあがったのだ。そこは猛暑日の京都や大阪とは別天地の涼しさだった。シャクナゲのつぼみが,もう来年の春に備えて丸くなっていた。
来春が楽しみ。シャクナゲが咲く頃に、また来ようと思ったね。ガーデンミュージアム比叡(ちょっとした美術館兼花壇かな?)とバスやマイカー用の広大な駐車場のある平らな山上からは、はるかに近江大橋が見えた。
写真は左からシャクナゲ➡ シャクナゲの花の芽 ➡ 同 ➡ 近江大橋の遠景

   

ステップ1 横川
バスセンターを経てここ・比叡山頂バス停から山上バスに乗り、まず横川(よかわ)地区に向かった。

 

 横川地域には道元禅師得度の地の碑とか、おみくじ発祥の地とかの碑とかがあって比叡山仏教の懐の深さを感じさせられた。庶民の感性に寄り添う雰囲気がしてこれがいいんだよね。
右の写真は白い花がギボウシ。苔はジャゴケかな良い香り(墨のような)がした。

    

ここで比叡山延暦寺中興の祖・元三大師のお話。この方は人々の病気などの厄を払うために一心に祈りを捧げられ、ついにお札の夜叉のような姿になられたとか。このお札は良ーく効く、ご利益のあるお札といわれている。夜叉となった元三大師様を病魔や疫病神が怖がって逃げて行くんだって。

吉田兼好はしばしば横川地区を訪ねたらしい。
兼好法師は比叡山で出家したんだもんね。道標のそばにモミの木の芽とオオシラガ(アタマ)ゴケ
    

オトギリソウ➡ シハイ(紫背)スミレ➡ チドメグサ➡ ホトトギス
     

ネジバナの葉(花はまだ) ☚ つやつやして若々しい 


湿気の多い比叡山では苔の生態がよく見られる。スギゴケが胞子を出そうとして赤くなっていたよ。乾燥した気候の大阪ではそれほど多くは見られないけしきだ。


ステップ2 西塔
横川を後にして、再び山上バスに乗り西塔地域へ向かった。引率されてバスでぐるぐる回っていたら便利なんだけど、何処がどこやら判らなくなってくる。家に帰ってからパンフレットと地図をにらめっこして、略図を作ったらやっと位置関係が呑み込めてきた。

うーん、なるほどこんなふうになっていたのか

西塔地区入り口にゲンノショウコの白花が咲いていた。フウロソウ科フウロソウ属。下痢便秘食あたり慢性胃腸病などにしっかりよく効く。
よーく見るとあちこちで普通に咲いているらしいけどね。

写真はゲンノショウコ➡ クラマゴケ ➡ 心海上人(僧・歌人) ➡中西梧堂の説明版      

平安末~鎌倉期の僧・心海上人は、「人間にはもともと仏性が備わっている それを自覚して修行に励めよ」と若い僧に向けて詠んだ
「本覚の山のたかねの鐘の音に長き眠りをおどろかすかな」
中西悟堂は比叡山の仏門で学んだ後、野鳥研究家となり日本野鳥の会を設立。自然保護運動に打ち込んだ。
樹之雫しきりに落つる暁闇の比叡をこめて啼くほととぎす
この岩はその歌碑。
比叡山には親切な説明版とか歌碑が多く、それを見るのも楽しみの一つである。一見すると花崗岩がゴロンと転がっているだけに見える歌碑。自然保護運動に打ち込んだ梧堂らしい歌碑である。


弁慶が担いだという担い堂➡ 釈迦堂➡  釈迦堂の説明板
左の常行堂と右の常行堂  釈迦堂は重文、比叡山最古のお堂、なにしろ信長に焼き討ちされから釈迦堂より古いお堂は現存しない 
   

ステップ3 東塔
西塔を後に根本中堂のある東塔地区に。根本中堂では不滅の法灯などを見ることができて良かった。本尊の薬師如来像や法灯は参拝者の目と同じ高さにあって、それは比叡山仏教の「仏凡一如(仏も人もひとつ)」というありがたい教えから来ているんだよね。
[有難い、ええ仏さんやなあ…『威張らない、気取らない、飾らない…』は人間にとっても美徳やけど、神仏としても大きな魅力やで 偉そうに威張っている神さんには閉口するもんな]
あいにく修復工事中で、根本中堂の外観は足場と覆いに囲まれて拝見できなかった

東塔にある大講堂のご本尊は大日如来で、その左右には比叡山で修行した名だたる高僧たちの像が並んでいた。親鸞 一遍 道元 栄西 日蓮 etc…

高野山の空海と比叡山の最澄の違いもあるのかなあ。高野山は空海があまりにも偉大すぎて空海オンリーワンだけど…比叡山は多士済々というところがいいんだよね。




ステップ4 東山三十六峰とホルンフェスス
都に近かったために何かと影響力の強かった比叡山。信長の憎しみを買って残虐な焼き討ちにあった。五百余りの堂塔が焼かれ数千人もの人びとが首をはねられたという。五百と数千は誇張かもしれないが、京都の街から見たら、あの山の上のどこに、それだけの人や堂塔があったのかと不思議だよね。その秘密はNHKブラタモリの受け売りだけど…この辺りのホルンフェルスのため。
下のパノラマ写真は「せき仙人の京都然」からお借りしました。文字は私が入れたんだけどね。大文字山と如意が岳が重なって見えている。大文字山の左手前は吉田山かな。

比叡山と大文字山のいただき付近の岩盤は丹波層群の地層がマグマの熱により変成した堅い岩石層・ホルンフェルス。マグマは上昇したのち冷えて比較的柔らかい花崗岩となり長い年月の間に浸食されたが、ホルンフェルスは堅いために浸食されずに残った。その結果、遠望すればU字型の稜線になっている。ホルンフェルスのすぐ上は堂塔の立ち並ぶ平らな一角となった と、いうことだった。


この項を書くのにブラタモリと京都市青少年科学センターの「大文字山の地学」を参考にさせていただいた。ふーっよーく判った。
東山三十六峰の概略地図もグーグルマップを基に作ったから写真と照らし合わせてみたら面白いよ。




来春、再び比叡山に行くときにこの自作のブログを見れば楽しみが倍増するはず。そう期待して自分を励まし、フーフー言いながら「比叡山の山頂・晩夏」を書いた。いつか次の機会には「比叡山の春」を投稿する予定。それまでしっかり生きているからな。