摂津国老朗おじさんのスローな日々

関西の四季を楽しむ老朗おじさんがゆるゆると瞑想しながら、植物観察と徘徊のスローな日々を楽しんでいます。

寒の入りから立春にかけて

2024年01月31日 | 関西の四季

 今年の寒の入りは1月6日だった。フツーは寒の入りから2月初め立春までの間が1年で一番寒い時期とされる。地球温暖化のせいか春みたいな日和の日も多かったけど、暦の上では真冬。この時季のスターは木の花では何と言ってもロウバイだと思う。そんなわけで今回の見出し写真はロウバイ。ロウバイのファンはあちこちに多くいて、上品な気配を漂わせたソシンロウバイの良い薫りが、都会中の都会、大阪市港区築港の住宅の軒先からもしていた。 ➡その右はシロバナの椿。椿の白花は貴重なので、信者の方が寄進したのだろう。築港高野山の水掛不動のお堂の傍につつましく咲いていた。
➡その隣はトウネズミモチ。トウネズミモチは繁殖力が旺盛なので在来種を駆逐する怖れがあり嫌がる人もいるが、新緑の頃の葉は美しいし、一本いっぽんの葉も光を通して透けて見え結構きれいなので、俺は嫌いではない。
  

 寒さに耐えるために、冬のあいだは身をかがめて地に這いつくばるギシギシ。この状態をロゼットまたはロゼッタというそうだ。暖かい春になるとニョキニョキと背を伸ばし1メートル近くにまでなる。スカンポもタンポポも真冬の今は、すべてロゼットになって寒さに耐えている。 ➡ その右は冬枯れのメリケンカルカヤ。

 

    雨あがりの木の幹に姿を見せたロウソクゴケ。苔と名前はついているけど苔ではない。地衣類と言って菌類と藻類の共生した状態。地衣類の仲間にはウメノキゴケもあるが、ウメノキゴケは排気ガスなど大気汚染のある所では生き残れない。空気の清浄さを示す生物である。それと違ってロウソクゴケは大阪市内の道路沿いでも生き残っている。
    生き残るとは大変なことやね。動物も植物も、生き残るためにあらゆる工夫と努力を惜しまずに頑張ってんねんな。脱帽!


閑話休題。地衣類のうちの菌類、キノコや酵母、カビなどの仲間は植物にも動物に分類されないジャンルの生物らしいな。石炭が地中から出てくるのは菌類がまだなかった時代に、地上で大繁栄をした樹木が地中に埋もれて行って炭化したためらしい。菌類が登場するや倒木はどんどん分解されていくため、石炭は生成されなくなったとのこと。聞いた話やネットでかじって知ったことだけど、小さな生き物の有するスケールの大きな話やなあ


突然の雪

2024年01月30日 | 関西の四季

 寒中とはいえ、温暖化の進む昨今、手足に霜焼けもヒビもこしらえずに済む幸せを感謝せねばならない。こんなことを書くと被災地の皆さまには申し訳ないような気がするけど…。それにしても昭和の三八豪雪の頃は寒かったよな。今ではほとんど雪の降らない大阪でも、当時は毎日のように学校のプールの水が凍り、水道管の凍結もしょっちゅうだった。北陸では列車が何日も雪に閉ざされて、被害状況すらハッキリとは判っていなかったんではなかろうか。今では「さんぱちごうせつ」何のこと?と言われそうな遠い昔のことになったな。見出し画像は、雪を被った湖西の田園風景。
 比良の山なみの向こうはシベリアからの風が吹いているのだろうか。雲の動きに不穏なものを感じながらも、呑気な私は、寒中でも暖かい冬日和をのんびり楽しんでいた。

 
 
 翌朝、目覚めるとクルマが雪を被っていた。前日までとは一変して、あたり一面雪景色。この中を高齢者が大阪まで帰るのはちょっとたいへんなんや。午後になって気温が上がり、雪が解け路面の凍結も何とかなりそうにるまで辛抱強く待った。その後、恐る恐る帰途についたことである。
 

 雪山よさようなら。今度来るときにはもう車では来ないからね。


我が国で一、二の低さを誇る天保山へ

2024年01月22日 | 関西の四季

今年最初の自然観察お出かけウォーキングは、日本有数の低い山である天保山へ行った。見出し写真は渡し船から見える天保山大橋と右手の木立の中の天保山。


大阪メトロの大阪港駅で降りて、第一に印象的だったのは大きな正月飾りやしめ縄。
その次は街の規模を思うと不釣り合いなほどに立派なお寺・築港高野山と港住吉神社だった。海に生きる人びとが今年もまた、無事に生きて正月を迎えられた喜びと、信心の深さを現わしているのかなと思った。

【大阪港駅の正月飾り】  【築港高野山・釈迦院のしめ縄】
  

「板子一枚下は地獄」という船乗りにとって、ひと航海ごとに神仏に手を合わせる気持ちは陸で呑気に暮らす我々には思いもつかないほど切実なものがあったのだろうな。築港のお寺はかつて7800坪ほどの大きな敷地を有し「西の築港高野山、東の四天王寺」と並び称されるほど栄えたと言われる。戦災と阪神淡路大震災により大きな打撃を被ったが、その佇(たたず)まいにはなお、往時をしのばせるものがある。
また、港住吉神社は天保の世に、航海の神である住吉大神を天保山頂に祀ったのが始まりであるとされる。当時、天保山は船乗りたちが大阪港に帰って来る時の目印になっていたのだ。とき移り星移り、祀られる場所が代わった今も、海運等に携わる人びとの信仰は篤い。私たちが見学に行ったこの日も、正装をしたおおぜいの人びとが、巫女さんに率いられ威儀を正してお参りしておられるのに出会った。
【築港高野山の水掛不動さん】 【港住吉神社(写真はグーグルマップより)】
  

新幹線や航空機に交通の主役を奪われた今、瀬戸内海航路の花形だった関西汽船や加藤汽船が発着した弁天ふ頭はすっかり寂れ、天保山もクルーズ船の発着場と化した。往時の大阪の表玄関、押すな押すなの盛況をしのばせる賑わいはなかった。フェリー乗り場も南港やコスモスクエアが中心のようで、時代の変化の目まぐるしさに今更ながら驚かされる。

デンマーク・コペンハーゲン港と大阪港の文化交流により寄贈された人魚姫。
東日本大震災により地盤が沈下して、低い山日本一の座は東日本に移ったらしいが、三角点のある山では天保山が今でも日本一。その二等三角点を参加者一行で踏みしめて来た。

    

対岸の桜島に行くために無料の渡し船に乗って安治川を渡った。築港からUSJに行くにはこれが一番の近道。
さて、桜島に上陸したけれど子どもの頃あった日立造船桜島工場はとうの昔になくなっていた。小学生だった頃、進水式を見に行ったりして感激したのも、60数年以上も昔のことになるねんな。代わりににぎわっていたのがUSJだった。
港は大きく変わった。街も変わった。人びとの興味関心もずいぶん変った。
そんなことを感じさせる天保山詣でだったけど、ひとの命の安全と無事を祈る気持ちだけは変わらずにあった。具体的に目に見える形では、神仏に祈り敬うという形で残っていた。

 


冬至・クリスマス・新年などがバタバタと通り過ぎて行った

2024年01月08日 | 関西の四季

年の瀬の慌ただしさ。あえて怠惰に過ごす正月三が日。そんなこんなで生活のペースが狂うのかなと思っていたら、なんと元旦から能登大地震のニュース。続いて羽田空港の航空機事故。ざわざわと大災害の続く年の始めで、お正月気分とは縁の遠い日々が続くことになった。
閑話休題。
家を一歩出るだけでも、近年の気候変動の異常さは自分のような高齢者にも一目瞭然。冬至を過ぎても咲き誇り続ける菊とバラ。本来10月や11月頃が旬のはずだったけど、旬のはずの11月になっても暑すぎて菊は咲かなかったし、バラも貧相極まりなかった。12月を過ぎてやっと元気になってきたのだ。
 

12月22日は冬至。ユズ湯に入った。ホカホカと体の芯まで暖かくなって幸せな気分にひたれた。ケヤキも冬至を過ぎてようやく冬らしい姿になった。見出し写真は冬枯れのケヤキ。
冬枯れの姿を見てホッとするなんて、何だか妙な気分……
 

瞬く間に子どもたちの大好きなクリスマス。この横文字はメリークリスマス 点線内のフランス語は意訳すれば この幸せよ永遠にあれ! とかゆう意味らしいな……そして呑兵衛たちの大好きなお正月。

    

冬至もクリスマスもお正月も何だか一緒くたにして祝うのは日本人のええ加減で無節操な宗教心の現れだという声もある。けど、原始・古代の人びとの絶対的にあがめていた太陽が復活するこの季節を、めでたいめでたいと祝うのに多少の言葉や作法の違いがあっても良いではないかと、おおざっぱな私は思うのだ。そういえばフーテンの寅さんが欧州の街角で、キリスト教の聖職者に出会ったとき「これはこれは御前さま」と恭しく頭をさげていたよね。良い悪いは別として、経典が違う、神の言葉の解釈のしかたが違う……など、こ難しいことを言っていがみ合うよりは、私にとって馴染みやすい態度だった。良いかげんと宗教的寛容とは違うだろうが、その昔、八百万の神々がおわしたこの国では、キリストも仏も、その他の神々もすべて相対的なものになりがちのような気がする。

 

日が経つにつれて、心なしかパンジーとアリッサムが、次第に元気になって来た。とは言え今年の大阪の正月は春のような温かさが続いている。クマやカエルはぐっすり冬眠できているのだろうか?

年が代わっても地球温暖化の中での、植物ウォッチングを続けるつもり。同じ地球に生きるもの同士の連帯感を忘れないでいようと思うからね。
今年もよろしくお願い申し上げます。

年賀状仕舞いをする人も多いが、自分としては「今年もまだ生きているで」と、安否情報を発信するつもりでに出している。『まだ、生きていやがったのか。もうろく爺め!さっさとくたばれ』なんて、ののしられるかもしれない。とはいうものの…わけあって、あと何年かはしぶとく生き続けなければならない。