摂津国老朗おじさんのスローな日々

関西の四季を楽しむ老朗おじさんがゆるゆると瞑想しながら、植物観察と徘徊のスローな日々を楽しんでいます。

プランターで夏野菜と親しむ

2022年05月30日 | 関西の四季

【はじめに】
5月30日は地元の小学校は日曜参観やったな。親子連れの小学生の弾んだ声が通ると我が家の周りもパッと明るくなるから嬉しいな。俺の頭痛の種、少々気の重い5080問題などを束の間忘れることが出来るからかな。
そんな華やぎのなかで、突然、夏野菜を我が家のプランターで作ってみようと思いたった。平素、目に見える範囲内で生き生きと、何ものかが育っていくのを感じられたら、ヨボヨボ爺さんの立ち居振る舞いも少しはシャンとするかも知れへんしな。
とは言うものの、気が付くのが遅すぎてな。もうお手軽さ一番のサツマイモやゴーヤの植え付けには遅すぎる時季とあいなっていた。
そんな日々の中で嬉しいことが一つあった。【桃栗三年柿八年柚子の大馬鹿十八年】と言うらしいけど十年ほど前に植えた小さな柚子の木にやっと花が咲いた。実がなるのは何年先かなあ。楽しみにしている。見出し写真はその柚子の花と顔を出した冥加などのコラージュ。
【この季節を振り返ると】
五月の大型連休前後にはゼラニウムがキレイやったな。
急激な気温上昇のため夏日や真夏日やと騒がれる今は、ポーチュラカが元気いっぱい。
この時季はトウの立ち始めた葉ボタンをしぶとく苛め抜いて踊り葉ボタン仕立てにしてたんや。割とこぎれいな格好になってるやろ。
あわれパンジーの季節は終わり。冬の鉢植えのエースも夏日を前に消えるしかすべがなかったな。
   
【趣味の園芸の再開】
何はともあれ時間との闘い。ぼーっとしてたら秋風が立ってしまうで。
かみさんがスーパーの特売で買ってきた格安のオクラとキュウリの苗を植えてくれと言われていたしな。グズグズせずに気合を入れて、夏野菜の苗を植え付けた。先ずオクラ。次いでナス。
 

ピーマンと鷹の爪。
 

ところでこの苗、見慣れた胡瓜の葉はこんなもんやと思ってたんやけどGoogleレンズによると褐班病に罹ってるというんやわ。むむっ
もしかしたらほんまかも知れんがな。取り合えず梅雨入り間近でもあるので
殺菌せんならんかなあ。防疫の基本に立ち返り他の苗から隔離しようかな。
狭い敷地内で行くところがないのにな。出鼻を挫かれたけど、こんなことで負けへんで。
取り敢えずは明日、展着剤ダインと殺菌作用のあるベンレート水和剤で対策しようかな。その後はしばらく落ち着いて様子を見ることにする。ヒヤヒヤするけど仕方がない。生き物を育てるにはつきもののヒヤヒヤ感だものな。
「頼むからビョーキから立ち直ってや」と祈ってるのや。


行く春や鳥蹄き魚の目は泪…と詠った人がいたなあ

2022年05月19日 | 関西の四季

卯の花の♪匂う♬頃はもう初夏になるねんなあ。
つい今しがたまで早春の息吹に一喜一憂していたのに、もう夏になるんやて
見出し写真はその卯の花。
次いで、早春から初夏までの移り変わりを教えてくれる地べたの草や花たち。
この春始めてスズランスイセンやタンポポを目にした時は嬉しかったな。
クサフジが蔓延(はびこ)っているのを見ると、また夏日が来るのかあと複雑な思いをしてしまう。これを春愁と言うのか。
春愁の句としては、ちょっと大上段に構えた感じの旅立ちの雰囲気が漂う唄があるなあ➡ 行く春や鳥蹄き魚の目は泪   江戸期の俳人にもいろいろな事情があった見たいで小生のような凡人はいろいろ考えてしまう。
さすが芭蕉は俳聖。この季節の近江にピッタリの句も詠んでいるね。
行く春を近江の人と惜しみける 
     

暑苦しい夏も悪いことばかりではない。近所のおばちゃんがくれたアブロチンがキレイに咲いて、毎日のようにおばちゃんが見に来てくれる。根詰まりしやすいらしいからテキトーな時期に植え替えをしなくてはならないのがメンドーやけどな。ピンクが華やかなこのタチアオイも近所のおっちゃんやおばちゃんが力を合わせて植え付けや水やりなどして見事に咲かせたもの。花の世話の極意やhow toを交換しているといつの間にか雰囲気が良くなる。植物は黙ってご近所の平和に貢献しているねんで。
 

おつぎは、今年になって初めて知ったこの花。5月に入ってから公園の花壇や道ばたの鉢植えでしばしば見かけるようになった。キキョウ科ホタルブクロ属でカンパニュラいうらしい。風鈴草とも。中学生の頃、学校で釣りがね草の歌ゆうのを歌ったことがある。そのつりがね草がこれだとは今の今まで知らなかった…花言葉は感謝、誠実な愛。真剣な恋。こんな言葉に出会うとたちまちタイムスリップして多感でもあった若い頃に連れ戻されそうや。
地中海沿岸原産で高温多湿に弱いので大阪では一年草みたいになっているけどもともとは多年草。冬越しは比較的簡単だけど夏をどう乗り切るかが問題やな。花の通販日比谷花壇によると、近年は品種改良が進んで育てやすくなっていると言うので、一度手元で咲かせてみたいという気にさせられた。



左はマメ科ベニコウガン属のベニコウガン←ねむの木の花に似ているので緋合歓(ひねむ)の別名もある。ただしこちらは常緑低木。南方出身らしくクッキリと赤く華やか。これに対してやや北方出身の合歓(ねむ)の木は落葉高木。花もやや繊細。
左は今年初めて咲いた赤いバラ。多分ダブルノックアウト。これからどんどんつぼみを膨らませていく態勢を取っている。若々しい姿。
 

ピラカンサスの白く小さな花。今は目立たず控えめだけど秋から冬の間は真っ赤な実をたわわに実らせ、冬枯れの野をしっかり見守り続ける。頼もしいヤツに変身する。蛍飛び交う夏のうちから厳しい冬を越すための備えを怠らずにいるねんで。そう言えば夏は来ぬの歌詞にも♬怠り諫(いさ)むる♩とあったよね。蛍雪の功なんぞよりもっと雄大な、自然界からの励ましの声をピラカンサスの可憐な花から小生は感じる。


夏も近ずく八十八夜

2022年05月12日 | 関西の四季

夏は来ぬ。文部省歌にも出てくる卯の花が今回の見出し写真。卯の花は丈夫な上に花もいいよね。 
夏も近ずく茶摘み歌を聞くころはこころ浮き立つ五月やな。3月3日散らし寿司を作ったとき、子どもの日には巻き寿司に挑戦しようと決意していたので、ひと頑張りして巻いた。残念ながら見栄えがイマイチやな。ご飯が偏りすぎている。ご飯が巻けてなくて巻き寿司が割れ寿司になりかかっている。エトセトラetc……とまあ散々の出来栄えやったな。負け惜しみを言うと口の中に入れてしまえばなかなか美味しかったんだけどね。具材にシシャモ、卵焼き、高野豆腐、ほうれん草,ニンジン、カンピョウに椎茸と欲張って詰め込みすぎたのが失敗のもとやった。
 これというのも爺様が子どもの頃のはるか昔、今は亡き母が巻きずしの具に穴子やカマスゴなどを入れてくれていて、その味が忘れられないのが原因。あれは美味しかったなあ。物価高の現在、アナゴや鰻を使わないでシシャモや高野豆腐で経済的におふくろの味を再現したくて、肩に力が入りすぎたのだ。
第一号は注意深く巻いたのでまだ見栄えが良い。

 第二号は少しばかり雑。その隣の第三号になると目も当てられない。巻き寿司と言うよりは割れそう寿司で無茶苦茶でございまする。まだまだ修行が足りんぞ。
  

戸外は春爛漫の花盛り。シャリンバイが涼しげやった。生け垣用のシャリンバイは少しばかり暑苦しそうやな。
 
  
マツヨイグサが独特の高貴な雰囲気を醸し出していた。その隣はオオデマリ。次いでコデマリ、ジャーマンアイリス。どやっ豪華に見えるやろ。
自然の中で生きているものにはあたりはずれや失敗作が無くて、時を得るとどの花も素晴らしく美しい瞬間があるよね。